《永遠の抱擁が始まる》第三章 最初の抱擁が始まる【最後のアダム2】
靜かな瞳をしているその娘は白銀の薄いをにまとっていて、足には革のサンダルを履いている。
髪飾りは銀の鎖で編み込まれていて、同じく銀をした長い髪が風になびく。
彼がに著けているのいたるところから、どこか品格をじさせる細い鎖がびていて、それも風に吹かれ、わずかに揺れていた。
 
彼はまるでいつか絵本で見た霊のようだと、あなたは思う。
 
「ここはあなたが住んでいた世界とは全く別の世界です」
 
敵意をじさせない娘の口調が、あなたにかすかな安らぎを與える。
彼の話を聞けば未知は未知ではなくなり、それで不安や恐怖は拭われるような心地がした。
 
「ご覧なさい、太を」
 
言われるがままに見上げると、強いを発している丸い眩しさこそが太なのだと、あなたは初めて理解をする。
 
「この世界には太が二つあります」
 
頭上には大きな太があって、視線を下げると小さな太もまた、地平線の近くで力強く輝いていた。
 
本の太は自分が作った太とは比べにならないほどに神々しく、直視できないほど眩しくて、あなたはしばかりの恥を覚える。
 
「あの二つの太のおかげで、この世界には滅多に夜が來ないのです」
 
夜。
その言葉はあなたに、ラトを連想させた。
 
「ラトは!? 僕の他にもう一人、近くにいませんでしたか!?」
「彼なら──」
 
娘は靜かにあなたの背後、木が群生している所を手で示す。
 
「あそこにいますよ」
 
目を凝らすと、木と木の間で蝶を追いかけ回している親友がうかがえて、あなたは安堵する。
 
「この世界には、よく人が迷い込んでくるのです」
 
娘に視線を戻すと彼は既に立ち上がっていて、うやうやしく頭を下げている。
 
「私の名はレビト。あなたを導く者です。この世界に來てしまった者を、元の世界に送り屆けることを使命としています」
「お聞きしたいことが山ほどあります」
 
あなたはようやく腰を上げ、レビトの前に立つ。
改めて見ると、彼は瞳までもが銀だ。
 
「お答えします。ただそれは旅を続けながらにしましょう」
「旅、ですか?」
「この世界には一ヶ所だけ『夜がくる場所』があるのです。あなた方はそこに行かねばなりません」
「よよよ、夜が見れる! 夜!」
 
いつの間にかこちらまで來ていたラトが飛び跳ねながら両手を叩いた。
 
あなたには何もかもが初めてのことだ。
旅も外気も、景も、異世界も。
 
この外が、自分たちの世界の外ではなくてよかったとあなたは思う。
もし元の世界の外だったなら、あなたは毒を含んだ空気のせいで死に、砂の中に溶けてしまっていたことだろう。
 
「夜がくる場所には──」
 
レビトはこの世界の様々なことを知っていた。
 
「砂時計の塔が建っています。あなた方が元の世界に帰るにはその塔に登らなくてはなりません」
 
告げて、レビトが歩き出す。
あなたは慌てて親友を呼び寄せ、彼の後に続いた。
 
旅の最初、あなたの中で大きかったは不安だったが、それは次第に好奇心に取って代わられる。
 
飛べば天空を覆い隠すほどに巨大な鳥。
「大地を憎む者」と呼ばれる、大剣で何度も地面を突き刺し続けている鎧。
連なった山脈にぽっかりと開いた巨大な橫からは、向こう側の景がめた。
 
夜のない世界では日數の経過が解りにくかったが、數日に渡って旅を続けると慣れ、気がつけばあなたは次の景を楽しみに思っている。
あなた以上に好奇心が強いラトにとっては、さらにが躍らされているに違いない。
 
「ねねね、ねえ! れれ、れび、れび、レビト! ここ、この実の他には、どどど、どんな、どんな実がある?」
 
泉のほとりで座り、黃い果実の皮を剝き、を潤していると、やはりラトが騒ぎ出した。
 
「せせせ、世界一、おおお、味しい実、どど、どこ? どれ?」
「そうですね」
 
案人は靜かに微笑む。
 
「この世界には、千年に一つしか実らないという『神の果実』がありますよ」
「そそそ、それ、それ、おお、味しい?」
「味は、どうでしょう? ただ、その実を口にした者にはある変化が訪れるとされています」
 
その話にあなたは興味を示し、ラトに代わって問う。
 
「それを食べると、どのように変化するのです?」
「最初の実は」
 
レビトの憂うような橫顔がどこか寂しげに見えた。
 
「口にした者に永遠の命を與えました」
 
最初の実、と彼は言った。
神の実は、実る毎に違う効果があるということだ。
 
「では、次の実は?」
「斷の知恵を」
「では、さらにその次は?」
「そこまでは知られていません。『始まりを終わらせる実』とも『終わりを始まらせる実』ともいわれています」
「それは、どういうことですか?」
「ねね、ねえねえ!」
 
興を抑えきれないらしいラトが、大きな聲であなたたちの會話に橫槍をれた。
 
「どどど、どこにある! そそ、その実! 実! どこ行けば食べれる?」
「ラト、話を聞いていたのか? 千年に一つしか実らないんだぞ」
「ででで、でも! でも!」
「その果実は、この世界で最も巨大な樹に実ります」
 
続けてレビトは、ラトを喜ばせるようなことを告げた。
 
「その雲よりも高い樹は、もう近く。夜がくる場所に立っていますよ」
 
やったー!
とラトは両手を挙げて、もう既に幻の実を食べられる気になっている。
 
夜がくる場所。
そこには夜があって、元の世界に帰るための巨塔が建っていて、世界最大の樹木が雲を貫いている。
あなたはその景を思い浮かべた。
 
「さあ、行きましょう。もうすぐ夜がきます」
「よよ、夜!?」
 
やったー!
とラトが、再び両手を挙げた。
 
目的地が、いよいよ近いのである。
 
星は暗いときにこそ目撃できるという友の説が事実だったと思い知り、あなたは嘆の溜め息をつく。
風に吹かれることのない無數の白い瞬きが、つくづく空の無限さをじさせていた。
満月が赤く三人の旅路を照らしている。
 
視界が許す限りに膝ほどに高い草の絨毯がどこまでも広がっていて、遠方には山々がぼんやりと眺められた。
初めて目撃する夜に親友は大いにはしゃぎ、それを目に案人が口を開く。
 
「この世界には晝の季節と夜の季節とがあって、夜とは必ずしも毎日訪れるものではありません。この『夜がくる場所』を除いては」
 
レビトは前方をまっすぐに見つめ、あなたの前を歩いていたが、やがてふっと立ち止まる。
 
「さあ、ご覧なさい。あれが砂時計の塔です」
「なんと! あそこまで巨大な塔だとは思っていませんでした」
 
塔は闇のせいで形しか判らず、それでも遠くから強大な存在をあなたに與えた。
雲一つない星空を背景に、塔は大地から生えた角のようにどっしりとし、天に向かってびている。
もし雲があればそれに屆きそうなほどに高い。
 
砂時計の塔という名稱から、あなたは上下対稱のアンバランスな形狀を想像していたのだが、実際には上にいくほどに塔は細まっている。
 
「さあ、あの扉を」
 
見上げても頂上が見えないほどに塔に近づく頃になると、レビトがり口を示す。
塔は全て木で作られているようで、重そうな両開きの扉も同様だ。
あなたは竜の浮き彫りが施された扉の取っ手を摑む。
 
ラトが「神の実がる樹を見に行きたい」と駄々をこねたのを、あなたは一喝した。
 
砂時計の塔は部さえも全て継ぎ目のない木でできていで、あなたは足を踏みれた瞬間にどういったわけか馴染み深い空気をじ取る。
 
「この塔の、どこまで登れば僕らは元の世界に戻れるのでしょうか?」
 
木造の長い螺旋階段を上りながらあなたが問うと、レビトはうつむいた。
 
「もうすぐです」
「おや?」
 
あるべき気配がなくなっていることにあなたは気づき、のが立つような心地に襲われる。
 
「ラトがいない!」
 
階段を見下ろすと手すりのない螺旋が闇に向かって下りていて、底が見えることはない。
背後から著いてきていたはずの親友の姿がなく、あなたは激しく狼狽する。
落ちていたら助からないと察し、あなたは背筋を凍らせた。
 
「ラト! ラトー! どこだ!」
「この世界には、人間は二人しかいません」
 
案人が謎の言葉を発する。
 
「次の扉を開ければ、あなたは元の世界に戻れるでしょう」
「そんなことより、ラトがいなくなりました! 彼を探さなければ!」
「彼は大丈夫です。消えてしまったのは、あなたのほうなのだから」
「どういうことです!?」
「彼が一緒だと困るのです。私が故意に、あなたを連れて彼から逃げました」
「なんですって!?」
「さあ、扉を開きましょう」
 
長かった階段がようやく終わり、レビトが扉の前に立つ。
 
「ちょっと待ってください!」
 
あなたは強い口調になって案人に詰め寄る。
 
「ラトから逃げたとは一どういうことなんですか!?」
 
レビトは儚い者を見るかのように、あなたの目を見つめ返している。
 
「何もかもお話しします。そのためにもまず、この扉を開くことが必要なのです」
 
彼が扉を押し開けた。
開かれた扉の向こうには見覚えがある景が広がっていて、だからこそあなたはこの現実を信じることができない。
 
そこは、あなたが暮らしていた街だった。
偽の夜に覆われた街並みには一切の人気がなく、見慣れたはずの景をどこか不気味にあなたはじた。
 
「さあ、元の世界です」
「どういうことですか、これは!」
 
無人の街並に、あなたは踴り出る。
 
「僕の街がどうしてここに!? それに、何故誰もいないんだ!」
 
案人はここでもやはりあなたの前に立ち、先を進んでいく。
あなたは早足になってレビトの後を追った。
 
彼はうつむいて、悲しげに問う。
 
「あなたは今まで疑ったことがないのですか?」
「なにを!」
「自分が今まで知ったことの全てが真実であるか否かを」
 
レビトは角を曲がり、商店を抜け、やがて袋小路に差し掛かる。
樽に隠されたドアに手をかけた。
 
「あなたが地下だと思って育ったこの町は地下ではなく、むしろ上空にあったのです。この塔こそが、あなたが生まれ育った町」
「なんですって!?」
「あなたは異世界に墮とされたのではありません。ただ単に外に出てしまっただけなのです」
「そんな馬鹿な! 外は灼熱の世界のはずです!」
「三千年も経てば汚染は浄化されます。あなたは生まれた時から噓を教え込まれてきたのです」
「まさか! 外に出ただけですって!? ここが異世界だと言ったのはレビト! あなたではないですか!」
「それは近くにラトがいたからです」
「太だって二つもあった! それこそ異世界のように!」
「三千年前、小さな太は木星と呼ばれていました。當時は星規模でも大変が起こり、この世界の軌道までもが変わったほどです。木星は高熱化し、第二の太となりました」
 
レビトがドアの中にってゆく。
そこはあなたもよく知った場所、木の部屋だ。
あなたは彼を追うように続いて部屋にる。
 
室はあの時のままだった。
あなたの作った小さな太が倒れていて、レイヤの木が立っていて、薄暗い。
 
「私は、この実を食べることを目的としていました」
 
れて地面に落ちていた赤い木の実を、レビトは拾い上げる。
以前、手作り太をラトに見せた日にあった、一つだけ実ったレイヤの実だ。
 
「この実を口にした者は楽園から追放されることになります。それは言い換えれば、この世界から出できるということ」
 
実を手にし、レビトはあなたにを向ける。
 
「私はずっと待っていました。この神の果実が実るのを」
「それはレイヤの実だ! 神の実なんかじゃない!」
「いえ、神の実です」
 
レビトはさらに哀愁を瞳に宿らせ、あなたを見つめる。
 
「神の実を実らせる巨木は人を飼う者の手によって削られ、塔の形にされました。この世界で最も大きな樹こそが、砂時計の塔。それがあなたの故郷です。あなたは元々地下ではなく、大木の中で暮らしていたのですよ」
「意味が解らない! そもそも、そんな! 樹を削るだなんて馬鹿げたことを! そんなことをしたのは何者ですか! 人を飼う者ですって!?」
「あなたは今までずっと飼われ、監視されていました。この世には、人間はもう二人しかいないのです。あなたと私の二人だけしか」
 
最後のお別れにと、レビトは全てを語る。
 
「私は科學という名の魔でこの部屋にを開けました。この実がし、落ちる頃に」
 
あなたは顔を青ざめさせ、それでも彼の話に黙って聞きる。
 
「空間を繋げ、落下した実が私の元にくるようにしてあったのです。しかし落ちてきたのは実ではなく、あなた方でした。この部屋に開けたはが通過したら消滅し、そして二度と開けることができなくなります。だからはあなた方が落ちてしまったことにより、永久に閉じてしまったのです。私は計畫を変更し、あなた方をこの塔まで送り屆けることにしました。私一人に対してはこの塔は扉を開いてはくれません。したがって私はあなたを飼い主に回収させると見せかけ、自分で直接この部屋に來ることにしたのです」
「信じられない!」
 
あなたは絶する。
 
「ここが僕の街であるはずがない! この世界こそが偽なんだ!」
「まだ気づいていないのですか?」
 
レビトの銀の瞳には涙が浮かび始めている。
 
「あなたの友人の名は?」
「ラトがどうした!」
「では、私の名は?」
「レビト! 偽名でないのならな!」
「あなたの父、母の名は?」
「ルークにマナト! それがどうしたんだ!」
「それでは、あなたの名は?」
 
まるで頭に巖を落とされたかのような衝撃を、あなたは味わう。
あなたは今まで生きてきて、ただの一度も名を呼ばれたことがなかった。
 
「あなたには名前がありません」
 
呆然と、それでもどこかで激しく頭を巡らせ、あなたはただ立ち盡くしている。
レビトの目からついに雫がこぼれた。
 
「あなたは他の者と區別される必要がないのです。だから名前を與えられませんでした」
「噓だ」
「この街の住民は全員、人を飼う者のり人形です。ご両親も、ご友人も、全て」
「やめろ」
「この街も、與えられる報も、何もかもあなた一人のために作られた虛構なのです」
「やめろ!」
 
今までの生涯で最も大きい聲を、あなたは出す。
 
「僕に世界を返してくれ!」
 
あなたがぶと同時に、何かが破裂したかのような炸裂音が部屋中に響き渡った。
赤い実がレビトの手を離れ、床を転がり落ち、止まる。
案人は崩れ去るかのように両膝を床について、やがてゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
 
うつ伏せになった彼の向こうにはラトの姿があった。
 
「ラト!」
 
あなたは親友に駆け寄ろうとする。
しかし違和があって、あなたは足を止め、ラトの様子を伺った。
表の全くない彼を見るのは初めてのことだ。
 
ラトは右手に黒い道を持っていて、それは短い筒を複雑に折り曲げたような形をしている。
あなたはそれが武なのだと直した。
 
ラトが口の端を吊り上げる。
 
「この、最初に異世界に迷い込んだなどと噓を言ったのは、やはり俺の目を気にしてのことか。この人間を気絶でもさせてここまで運ぶようならまだしも、何もかもバラしやがって」
「ラ、ラト? どういうことだ?」
「人飼いはもうやめだ。それにしてもまだ外に人間の生き殘りがいたとはな。全て滅んだとばかり思っていたが、このはどうやって生き延びたんだろうな。殺す前に訊いておけばよかったか」
「ラト、お前、なにを?」
「お前を近で観察し、想像を巡らせては楽しんでいたよ。あと數十年ほど飼って、その頃にこの世界の正を教えれば、お前は今以上に苦しんでいたんだろうってな」
「おい、冗談はよせよ、ラト」
「お前が産まれる前はな、いくらか他の人間もいたんだ。だが思うように繁しなくてな。徐々に數を減らしていった。お前が最後の一人だったんだ」
 
どのようなからか、あなたは涙を流していた。
 
「おい、なに言ってんだよ、ラト。お前、本當にラトなのか?」
「ちなみにお前の本當の両親な、お前を産ませてすぐに始末してやった。使い道が思いつかなかったんだ」
「なんだよ、はは。お前、ちゃんと喋れるんじゃないか」
「どけ。その実は俺が喰う。実は、最初から直接自分で取って喰うつもりだったんだ。それを、そこに転がるに邪魔をされたのさ」
「そうだ、ラト!」
 
あなたは親友に顔を近づけ、「にー!」と笑ってみせる。
人を飼う者は冷ややかに「どけ」ともう一度言った。
 
「ラト! 目を覚ませよ! お前、られてるんだな? それとも偽か? はは。いつもの調子に戻れよ。頼むよ。戻ってくれよ」
 
するとラトはあなたに笑って見せる。
いつか見た絵畫にあった、悪魔のような殘酷さをめた笑顔だ。
暗くなった殺風景な部屋に、その表はどこか映えて見えた。
 
ラトが、覚えのある言葉を発する。
 
「馬鹿だな、お前は。それは今までの人生のほうが間違えているんだ。先観、ってやつだよ」
「うわああああ!」
 
あなたはついに暴走し、親友に毆りかかる。
 
この世のどこまでが噓で、どれが真実なのか解らない。
疑うべきが何で、け止めるべき事実はどこにあるのか。
上とか下といった概念さえも噓なのか、目に見えるものも、耳にる音や聲も信じてはいけないのだろうか。
自分は果たして存在しているのだろうか。
あなたが知っているラトはもう二度と現れないのだろうか。
この偽を倒せば、あるいは強く叩けば、親友は元の無邪気さを取り戻してくれるのだろうか。
 
あなたの攻撃を一切避けようともせず、微だにしないで、ラトは殘そうに高笑いを続けている。
 
あなたはやがて疲れて、ラトにしがみついたまま崩れ、嗚咽した。
 
「世界は正を現すと、僕から友人さえも奪うのか!」
 
ラトは「フン」と鼻を鳴らせ、実に向かって歩こうとした。
 
案人はそこで死を演じることをやめて立ち上がり、あなたが作った太を起こし、起させる。
強力なは、部屋にある全てを照らし出した。
 
壁に映った木や、自分やラトの影を見て、あなたはボロボロになった短剣に手を添える。
以前ラトからけ取った刃は、廃墟となった教會をあなたに思い出させた。
 
「天使の殺し方を知っていますか?」
「天使と悪魔は、同じ生きなのです」
「影を刺すのです」
「ぼぼぼ、僕は、ささ、さ、刺さないでね」
 
あなたは再び絶をする。
壁に投影された友の影に、渾の力を込めて刃を突き立てた。
ラトは驚いたような表を浮かべ、両手でを押さえ、その場に座り込む。
 
「ラト!」
 
短剣を捨て、あなたは親友に駆け寄って抱き起こした。
 
手製の太に照らされながらラトは真っ直ぐにあなたを見つめている。
 
「その実は、お前らが喰っても無駄だ。俺に喰わせろ。喰えば、俺は廻のから外れ、無になることができる。人飼いなんて余興に構う必要もなくなる」
「ラト! ラト! すまん! ラト!」
「また一からやり直しだ。お前ら人間どものせいでな」
「ラト! 大丈夫か! ラトぉ!」
「フン」
 
ラトは最後に、思いっきり明るい笑顔をあなたに見せる。
 
「ぼ、ぼぼ、僕は刺さないでねって、いい、い、言ったのに」
 
そして彼は目を閉じた。
 
「うわあああ! ラトー!」
 
あなたは親友を抱きしめる。
 
電球の壽命がきてあなたの太がふっと消え、木の部屋が再び闇を取り戻した。
 
あなたは二度とくことのない親友を床に橫たえると、頭を抱えてうずくまる。
やがてよろよろと立ち上がると、あなたは無心で木の実を拾った。
赤子のように泣きじゃくりながら、あなたは実にかじりつく。
味など解らず、ただひたすらにかじり続けた。
 
その実には、この世界からする効果がある。
ただの人間であるあなたにとって、それは死ぬということだ。
 
レビトと名乗った案人、つまり私は二千年も昔にこの樹から実を取って口にし、永遠に死ぬことができないになってしまっていた。
太古の武でさえ私を殺すことはできない。
不死になってからさらに千年後に私は再び実を食し、膨大な知恵や知識を手にれる。
神の木が育つ條件が二つの太であることや人類の真の歴史、千年毎に実る神の実の効果などの全てを知る。
次に実る追放の果実を食べなければ、私は永久に生き続けるしかないのだ。
そのことを知恵の実は私に教えていた。
 
私は黙って、銀の瞳であなたの背中を見つめている。
 
案人としてあなたを導こうではないか。
その実であなたは解放される。
せめて安らかにと私は実を食すあなたを止めないだろう。
このまま始まりを終え、終わりを始めようではないか。
 
背後に立っている私の気配に気づくことなく、あなたは夢中で実をむさぼり続ける。
 
やがて、あなたは呼吸を止めた。
 
私はあなたの亡骸に近づいて、半分になってしまった実を拾い上げ、口へと運ぶ。
「起きて! ねえ、起きてってば!」
 
騒がしい聲に目を覚ますと、銀の瞳が僕を覗き込んでいた。
 
「レビト?」
 
思わず口にした言葉に我ながら戸う。
レビトとはなんだ?
 
「なあに、レビトって」
 
彼が可笑しそうに笑った。
 
楽園は今日も小鳥がさえずっていて、暑くも寒くもなく、うららかだ。
僕は寢たままの勢でのんびりとびをする。
 
「いや、ごめん。変な夢を見ていて、まだ寢ぼけているみたいだ」
 
そのままゆったりとを起こす。
作りの空と、作りの風と、作りの草原が今日も僕たち二人を包み込んでいる。
 
僕はあくびを噛み殺し、彼に目覚めのキスをして再び草の上に寢転がった。
 
「で、どうしたんだい? イヴ」
「あのね?」
 
イヴは悪戯っ子のように、ペロっと舌を出す。
 
「あたしね? 斷の果実、食べちゃったの」
「なんだって!?」
 
僕は慌ててしまい、すぐさま上半を起こす。
 
「なんてことを! あれを食べたらこの楽園から追い出されるんだぞ!?」
 
エデンの塔とか園と呼ばれるここには自由と平和が許されていて、與えられた掟は一つのみ。
神の果実を口にしてはならない。
これを破った者は偉大なる斷の知恵と引き換えに楽園と安心を奪われてしまう。
 
僕はイヴを責めた。
 
「なんでそんなことを!」
「だって」
 
イヴは楽しくてたまらないという顔をしている。
 
「凄く珍しい蛇がいたんだもの」
「蛇?」
「そう、蛇。なんと言葉を喋るのよ」
「蛇がかい?」
「うん。その蛇がね? 実を食べちゃいな、って。すっごく面白い蛇なの。アダムも見に行こうよ」
「いや、しかし僕は」
「いいから、ほら! 斷の実、素敵な味わいだったわ。アダムも絶対に食べるべきよ。蛇とも約束したの」
「なんて?」
「アダムを紹介するって。それにね? 本當に可笑しい蛇なんだから」
「可笑しいって、どう可笑しいんだ?」
「あのね? なんか、ちゃんと喋れないのよ」
 
イヴが芝居がかった調子になり、蛇の口調を真似る。
 
「こ、ここ、この、この実を、実を、たた、た、食べると、い、いいよ。ここ、今度こそ、うう、うまく、うまくやるから」
 
終わりはもう始まっている。
そんな予が僕の心に影を落とした。
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