《永遠の抱擁が始まる》第三章 最初の抱擁が始まる【五千年の約束3】
いつものように語を楽しんで、前もって調べておいたに良い食材を使い、不用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。
 
「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日のに當たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教會があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」
 
こうして翌日、教會を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。
 
「王様、そのお姿は一……?」
「ふふ。驚いたか」
 
王は純白のドレスをに纏い、頭には王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。
 
「そなたの願い、葉えてやろうと思ってな」
「そんな! 恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし……」
「指もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」
 
王は小さな箱を青年に差し出します。
彼は小箱をけ取ると中から指を取り出し、それをゆっくりと王の左薬指に収めます。
 
次に王は青年に左手を出させました。
彼は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指の大きさは調度よく、青年の薬指に吸いつくように収まります。
 
「よかった! ぴったりじゃ! 本當は牧師を招きたかったが、わらわの分が知られたら困るでな。二人きりで式を挙げようぞ」
 
そして王は青年の目を心配げに覗きます。
 
「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になってもよいか?」
 
青年が見つめ返します。
 
「まさか夢が葉うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」
 
そして二人は口づけをわします。
この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。
 
「王様!」
 
教會の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大聲がしました。
 
「ここにおられましたか!」
 
それは城の兵隊長でした。
一何があったというのか、彼は數本の矢を背中にけており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。
 
王が目を見張ります。
 
「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴様を殺そうと躍起になって王様を探しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、王様を裏切ったのです」
「くッ! あの下郎め! さっさと殺しておけばよかったわ!」
 
そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。
 
青年が王に駆け寄ります。
 
「わたくしの馬で逃げましょう!」
森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
日はもう落ちていて、王たちの背後にはおびただしい數の松明の火が。
城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
追っ手はもうすぐ王たちに屆こうとしていました。
手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、王はしがみついています。
 
ドスッとを刺す音を、王は自分のから聞きました。
同時に冷たい金屬のが背中からって、それがの中で止まります。
追っ手の放った矢が、とうとう彼に屆くようになってしまいました。
 
王はさらに大きく背をばし、青年の背後を覆います。
 
ドスッ!
と、もう一本の矢が王の背に。
 
矢は馬にも當たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。
 
「あの砦に逃げ込みましょう!」
 
青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
二人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま橫になります。
 
「すまない」
 
馬の顔をで、青年は王の手を取って建の中へ。
 
そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火をれます。
わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。
 
「大丈夫か!?」
 
王が駆け寄ってきました。
 
青年が儚げに微笑みます。
 
「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」
 
王が青年を抱きかかえるようにしました。
それに応えようと、彼も王の背に手を回します。
それで青年は王が矢をけていたことを知りました。
 
「王様! 背に矢が!」
 
なんとかを起こし、青年は王を振り向かせます。
 
「二本もおけになっているではありませんか! 今抜きます! ご自をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらにが避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「それは一……?」
「うむ。何故なんじゃろうな。わらわは、わらわ自を治すことができん。だからこの傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこのの高鳴りも、治すことができぬからじゃ」
 
それに、と王が続けます。
 
「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。だからこの背は、わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の求ではないのですか?」
「そうじゃ。その求はどうしてあったのか、そなたに解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みをじぬを持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわには解らぬのじゃ」
 
ランタンの微かなが、王の微笑みを照らしています。
 
「だから、わらわは痛うない。案ずるな」
 
青年はそれで、そっと王の背にある矢から手を離しました。
 
「貴に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴に近づくために語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しく想ったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴からする者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」
 
王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
目の前でする者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。
 
「わらわにも、しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴にされようと振舞ううちに、こちらが先にしてしまったのですから」
 
言うと青年は微笑んで、そっと王の顔にれます。
王はそれでを起こし、目をつぶって顔を夫に向けました。
二人はゆっくりと、長くを重ねます。
 
離れると、王は今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。
 
「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」
 
自分の分など忘れ、彼は泣いて泣いて泣き喚きます。
 
「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」
 
青年はすると力強く王のぐらを摑み、暴に顔を引き寄せました。
 
「甘ったれるんじゃない!」
 
青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。
 
「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合のよいことを! なんとみっともない!」
 
赤く充した彼の目は、王へと真っ直ぐに向けられています。
 
「貴方、それでも私の妻ですか!」
 
やがて青年はふっと力を緩め、王の元から手を離し、代わりに彼の頬をでます。
 
「貴は優しい人です」
 
そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、王は大きくうろたえました。
 
「優しい? わらわが、優しい?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておる」
「あなたは生まれる前に、天國でんな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自への不幸を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不運は他者によるものではなく、前もって他の魂に頼み、自分自で準備していた試練なのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「そうです。苦労をすればするだけ、辛い想いをすればするだけ、天國や來世で幸せになれますからね。しかし誰もがそんな不幸を與える役を引きけようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰をけねばならないからです。貴が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰をけると知りながらも、自ら損な役を買って出たということなのですよ」
「わらわではない。優しいのは、そなたじゃ」
 
自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
その言葉を、あえて王は口にしませんでした。
 
「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」
 
彼は夫を橫たえ、子守唄を唄う母のようにその髪をでます。
 
「わらわ、これから何度も生まれ変わって罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踴り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ずわらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」
 
夫に最後の口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。
 
「本當ならそなたと抱き合ったまま果てたいが、それは未來に取っておくよ。また逢おう」
 
外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか分かったものではありません。
 
彼はそっと夫の顔をでるとその場を立ち、砦の出口に向います。
最初の償いを果たすために。
 
さて、それから數千年も時が過ぎれば人々の暮らしは大きく変化しています。
馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き來し、栄えた場所は夜になってもまるで晝のように輝いています。
 
多く立ち並んでいる高い塔の一つでは、若い男が食事を楽しんでおります。
二人は抱き合った太古の骨が三組も発見されたという話題に夢中。
 
男は畫像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを察し、はその者たちの人生を夢中になって聴きます。
やがて三組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。
 
「実は四組目の話があるんだ」
「え? 四組目?」
「そう。でも、まだ発見されていない」
 
どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
が問い詰めます。
すると、男はわずかに張しました。
 
「四組目はまだ生きていて白骨化していない。ってのはどうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君にプロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く『俺たちが未來で四組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも我ながらキザっぽくって」
 
彼が上著の側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
にを張ります。
 
「ちゃんとベタに給料三ヶ月分だ。律儀だろう?」
 
それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
そのしさときたらまるで數千年前の、あの夜のよう。
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