《永遠の抱擁が始まる》第四章 三人の抱擁が始まる【アスラのように5】

ノアが私財の全てを費やして移式シェルターの建設を始めてからというもの、巷では天変地異が噂されるようになっている。

とはいえ信じない者がほとんどで、かの好きは気がれただけという説が定著しつつあるようだ。

 

クラークちゃんは言う。

 

「天変地異が起こるかどうかは別として、いざというときのために避難場所があったほうがいいと思うんです」

 

基地の場所はここから遠く離れた巨峰の頂辺りにあるという。

他ではないクラークちゃんが言うのだから、それはきっと妄想の類ではないのだろう。

 

しかしそんな遠くにどうやって、いつの間に基地なんて施設を作ったのかなどといった疑問に彼は答えてくれなかった。

アララット山といえば長期旅行に行く程度の距離がある。

有事の際、避難するには遠すぎた。

 

「もし避難しなくてはいけないような災害が起こったとしたら、そのときはまた奇跡が起こると思います」

 

質問を重ねられたくないらしく、彼はわずかにうつむいている。

 

「その場所にはあっという間に行けるでしょう。それが僕らに起こせる、最後の奇跡です」

 

ふと、窓を開けて空を見上げてみる。

夜はもう更けていて、天空には適當にばら撒いたかのように星が散らばり、月が大きく佇んでいた。

天変地異は本當に起こるのだろうか。

 

「だーかーらー! 何度も言ってるでしょ、クラちゃん」

 

背後から長の聲が聞こえる。

 

「運命なんだってば。基地にはどうやっても行けないよ。そこに行けない出來事が絶対に起こるんだってば」

 

ロウちゃんの言った通りになることを、私は數日後に知る。

 

私はさる実業家のパーティーに招かれていて、手短な語を披することになっていた。

子供たちには家で留守番をお願いしてある。

 

「きゃ」

「ん? なんだ?」

 

最初は大広間が震えたのだと思った。

屋敷の振は數秒で大きくなり、シャンデリアを揺らし、花瓶を倒し、壁の絵畫を落とす。

揺れはそこからまたさらに一気に加速して家や人間を立っていられない狀態にした。

數々の悲鳴の中には私の聲も混ざっていたはずだ。

壁にひびが走り、天井がパラパラと破片を落とす。

が倒れる音、壊れる音、人々の悲鳴が私をさらに恐怖させる。

 

の一部がこちらに覆いかぶさる瞬間、私は意識を失った。

 

「もしもし! もしもーし!」

 

遠くからの聲がして、私はゆっくりと目を開ける。

ここが瓦礫の中だからなのか、暗闇だ。

私はどれぐらい気を失っていたのだろう。

さっきの揺れはこの屋敷だけで起こったのだろうか。

もっと広い範囲で地面そのものが震えたのだとしたら、家にいる子供たちが心配だ。

 

「っつ!」

 

かせようとした途端、験したことがないほどの激痛に襲われる。

瓦礫が、私の腰から下を押し潰しているらしい。

 

「もしもし! 私だ! いつか送ってもらったケータイからかけている!」

 

離れたところから屋敷の主の聲が聞こえる。

どうやら電話で話しているようだ。

ケータイというのが何かは分からないが、建が倒壊するほどの中、電話が生きていることはありがたい。

主が呼ぶであろう救援が早く來ることを私は祈る。

私以外にも、大勢の客が私と同じ狀況になっているはずだからだ。

 

「例の天変地異で負傷した! 私と家族を治し、安全な場所まで連れていってくれ!」

 

主は確かに、客とは言わなかった。

 

「なに!? ポイントが足りないだと!? どうにかしなさい! 今まで々願いを葉えてきただろう!」

 

彼は一、誰と話しているのだろうか。

 

「じゃあ、私一人を避難させることは可能か? 傷の治療もいらない。それなら足りるだろう?」

 

続けて主は「足りないはずないじゃないか」と怒鳴った。

 

「いや確かに天変地異のことは信じていなかったよ。だがな、こちとら魂をくれてやったんだ。しぐらいのサービスはするべきだろう。いや、待ってくれ。君とはもう十年以上の付き合いじゃないか。最初の願い、覚えているだろう? そう、大型馬車の件だ。あれだって私のせがれが不注意で酒瓶を馬に投げつけたことが原因だったのに、君が上手いこと事実を隠蔽してくれたんじゃないか。あれと同じようにしよう。な? 君が個人的に、上司に緒で私を助けてくれればいい。そうすれば君には、なに? だから! ポイントが足りなくてもどうにかしたまえよ! こっちは足の骨が折れ……、くそが! 切りやがった!」

 

私は、話の容を全て理解したわけではなかった。

ただ、ただ悲しみが大きく、強い。

人はどうして他人のことを想像しようとしないのだろう。

何かを綺麗にするには、別の何かを汚さなければならない。

しかし、何かを汚すために何かを綺麗にする必要はないのだ。

自分のために、他人の心を汚してしまう人がいるのは何故だ。

汚す者に、それが罪であるという実がないのは何故なのだ。

目から出た雫が耳にまで伝わる。

 

「ママ!」

「ママー!」

 

聞き慣れた聲。

幻聴の類かと思っているうちに、それははっきりと聞こえてくる。

 

「ママー! どこですか!?」

「大丈夫、ママー! 助けに來たよ!」

 

ロウちゃんとクラークちゃんだ!

 

「ここよ!」

 

大聲を出すと、その音が生じさせるわずかな振が下半に伝わり、ズキンと痛む。

私はそれでも一杯にぶ。

 

「ここにいるわよ!」

「いた!」

「よかった!」

 

二人が駆け寄ってきたらしく、聲が近くなる。

私は腰の痛みに耐え、二人がいると思われる方向に怒鳴りつけた。

 

「なんで來たの! 早く戻りなさい!」

 

一言毎に、骨をハンマーで毆られたような衝撃が走る。

 

「戻って、大人たちを呼ぶの! あたしの他にもたくさんの人が埋まってる! 助けを呼んだら、もうここには絶対に來ないで!」

「嫌です」

 

クラークちゃんだ。

 

「三人で基地に行くんです」

 

基地──。

避難場所があることをそういえば私は思い出す。

しかし、私はこの怪我だ。

 

どこからなのか、巨大な滝のような低い音が響き渡っている。

その音はしずつ大きくなっていて天変地異の本領発揮を予させるに充分だった。

 

「クラークちゃん、聞いて」

「はい」

「ママね? 大怪我してるの。だから基地まで行けないの。ごめんね」

「怪我!?」

「いつか、顔が三つあって、手が六本ある神様の話、したよね? 覚えてる?」

「覚えてます。それより怪我って、どこをどの程度?」

「クラークちゃん聞いて。ロウちゃんも一緒に。あたしたちも、アスラみたいにね? 三人で一人って思われるぐらい、仲良し家族よね?」

 

私は長らく、片腕だけの生活を送ってきた。

 

「アスラだってさ、顔を一つ、腕を二本ぐらい無くしても、生きていけるでしょう? ママはしばらくここから離れられないから、二人で先に基地に行ってなさい」

 

沈黙。

それを破ったのはクラークちゃんだ。

 

「ロウ君! 瓦礫の撤去とママの治療、可能か!?」

「可能だよ。再生と違って修復は安く済むからね。でも、そうするとシェルターまで移するポイントが殘らないよ?」

「構わん! すぐに取りかかってくれ!」

「そう言うと思って、もうやってる。クラちゃん、ごめんね? 僕のポイント、もう使い果たしちゃっててさ」

 

不思議なことが起きた。

下半じていた重みや痛みが薄らぎ、消えてゆく。

頭上を覆っていた瓦礫は小石を落とすことなく、ふわりと浮いてどいていった。

奇跡の力を、この子たちは使ってしまったのだ。

 

「なんてことするの! あなたたちが避難できなくなったでしょう!」

「避難だったら走ってすればいい。行きましょう!」

 

クラークちゃんが私の手を取り、立ち上がらせる。

 

屋敷の主は足を引きずって逃げたのだろう。

既に姿を消していた。

 

生き殘っているかも知れない皆に聞こえるよう、私は聲を張り上げる。

 

「人を呼んできます!」

 

外に出てみると私は耳鳴りをじ、同時にさっきの発言をしたことに後悔をした。

人を呼ぶどころではなかったからだ。

 

町のいたるところから火の手がび、ほとんどの建が崩れ去っている。

慌てて逃げようとして転んだ一人が集団を巻き込んだのだろう。

大勢の人が道端で倒れ、かない。

が逆流しそうになって、私は手で口を覆った。

 

「こっちに行こう」

 

ロウちゃんが森を示す。

クラークちゃんに手を引かれ、私はよろよろと歩を進める。

 

夜空は不気味な赤さを纏い、暗かった。

ごごごごごと、どこから発生しているのか判らない轟音をさっきよりも近くにじる。

 

森の中。

ちょっとした広場のような場所に出て、私は子供たちを抱きしめていた。

 

「ママはもう大丈夫。もう怖くないからね」

「うん」

「ねえ、ちょっと休憩しようよ」

 

ロウちゃんの言葉に甘え、私は地面に腰を下ろし、息を整える。

先ほど見た景は私に恐れを抱かせ、今耳に屆いている轟音は私に不安を與えてくる。

抱きしめた二人は、そんな臆病な私を安堵させている。

 

「そろそろだね」

 

ロウちゃんが木々の向こうに目を向けた。

地平線からびた壁のようながうっすらと窺える。

背筋が凍った。

あれは巨大な波で、こちらに向かってきているのではないか──。

 

「やはりこうなってしまったか」

 

クラークちゃんは何かしらを覚悟したようだ。

逃げ道などどこにもないことを、この子たちは最初から知っていたのだろうか。

 

頭上では鳥が津波と反対方向に逃げていく。

それを見送ると、ロウちゃんは弟に視線を移した。

 

「夢の録畫、完了だね。クラちゃん、お願いができたよ。いつかの約束」

「もう私にポイントは殘っていないんじゃないのか?」

 

謎のやり取りだったが、私はそれを黙って見守る。

 

「ううん。ほんのちょっぴりだけ殘ってるよ。僕の願い、葉えてもらっていい?」

「好きにしていい。それと何度も言うが、の子なんだから僕はよせ」

「うっさいハゲ」

 

正真正銘、これが最後の奇跡なのだろう。

目覚しい速度で、花が咲いてゆく。

私たち親子の周りに、次々と黃い花が咲きれていった。

不気味な天候とは裏腹に、この広場だけはまるで楽園のようだ。

辺り一面に今まで嗅いだことのない良い香りが立ち込めた。

 

「レミの花だよ」

 

ロウちゃんが微笑む。

 

「ママの言ってた通り、安心して眠くなっちゃう香りだね」

 

私はを橫たえながら、しい我が子らを抱き寄せる。

 

「二人にね、聞かせたいお話があるの。聞いていて、眠くなったら、眠りなさい」

「どんなお話?」

「ある仲良し親子のお話よ。最後はね? みんな天使になって、ずっとずっと幸せに暮らすの」

 

するとクラークちゃんが浮かない顔をする。

 

「僕は、生まれ変わってもみんなと一緒になれない」

 

どういうこと?

と私が訊くよりも先に、ロウちゃんが聲し高くする。

 

「クラーク様、悪魔にとっての不正行為でございます」

「なに?」

 

また私には解らない容なのだろう。

クラークちゃんが驚きの聲を上げた。

 

「どういうことだ?」

「わたくしが悪魔をクビになるために、以前どのような悪事を働いたと思われますか?」

「自分のポイントを持ち出したんじゃないのか?」

「それはついででございます」

「じゃあ、一何を……?」

「わたくしの勝手な獨斷で、ポイントを付與した狀態のままクラーク様との契約を破棄させていただきました」

「なんだと? ということは──」

「クラーク様の來世は蟲でもプランクトンでもございません。あの頃、わたくしは親子三名の死後についても調べさせていただきました」

「ああ」

「その結果、なんと三名とも天使に生まれ変わることが判明いたしました」

「なんだって!? 三人とも!? 私もか!」

「はい、さようでございます。でなければわたくし、人間になるだなんて冒険はいたしません」

「つまり君には最初から保障があったってわけか! この悪魔めが!」

「とんでもございません。死後、お目にかかれば判ります。わたくし、將來は天使でございます。ママも、クラちゃんもね」

 

次にロウちゃんは寢ぼけ眼を私に向ける。

 

「ごめんね、ママ。話題に置き去りにしちゃった。改めて、お話聞かせてよ。とびっきりハッピーなやつね」

 

にっこりと私は頷いた。

 

初めて出逢った日は創作に失敗して、この子たちにはつまらない思いをさせたままだ。

それでは語り部としての誇りが許さない。

最高の客からのリクエストに今度こそ応えよう。

 

私が最後に語る語。

それは自分なりに楽しんで考え出した、自作のおとぎ話だ。

 

「ある町に三人の親子がいました。お母さんと、天使みたいに可の子と、お父さんみたいにしっかりした男の子」

 

──アスラのように・了──

空いたメインディッシュのお皿が下げられ、あたしは紅茶のお替りを頼む。

窓からめる夜景がさらにあたしを優雅な気分にさせた。

 

「どうだった?」

 

すっかりワインが回っているのだろう。

彼は上機嫌だ。

 

「怖くない話でよかった」

 

と、あたしは下腹部をでる。

 

「でもさ、毎回毎回よくそんな凝った話、考えるもんだよね」

「僕も語り部になれるかも」

「なれそう」

「真の語り部に必要な條件はする者のために自分で話を作ることなのかも知れないなあ」

「あはは。ありがとう」

 

新しい紅茶が運ばれ、あたしはウエイターに禮を言う。

カップに注ぐとゆるやかに湯気が舞った。

 

彼はテーブルの上で指を組む。

 

「今回も、裏設定っていうのかな。あるんだよ」

「へえ。どんな?」

「まずね、僕の中では五千年前に地震を経験した人はいない」

「へ? なんで?」

「地表が安定していてプレートが移していないから」

「難しい話なら結構です」

「はは。やっぱり手厳しい。でもまあ火山の噴火ぐらいはあっただろうからね、地震が起こるとしたらそれぐらいかな。だから正確にはしぐらいなら地震を験した人が當時いたかも知れない」

「あ、もしかして、だから?」

「なにが?」

「地震っていう単語、ルイカさん使わなかったでしょ」

「気づいてくれて嬉しい」

 

彼が小さく拍手をする。

 

「地震っていう言葉が発明されてないから、ルイカさんは屋敷が震えたとか地面が揺れたなんて表現をしたんだ」

「凝りだなあ」

 

彼はそれを褒め言葉とけ取ったようだ。

當事の電話機は子供がりそうなぐらい大きいだとか、一部の上流階級の自宅にしか普及されていなかったとか、自分なりに考えたらしい世界観を語っている。

 

「あたしとしてはハッピーエンドだったらそれでオッケーだよ」

「君の格上、そうだろうね」

「ねえ、あたしにプロポーズしたときのこと、覚えてる?」

 

すると彼は照れたように頭をかく。

 

「うん、まあ」

「お返し、してもいい?」

「どういうことだい?」

「今度はね、あたしから問題を出すの」

「へえ、興味深い」

 

紅茶をしすすり、あたしは「では第一問目」と笑む。

 

「あたしがお酒をやめたのは何故でしょうか?」

容と健康のため」

「ブー! 続けて二問目ね。さっきあんたに煙草を吸わせなかったのは何故でしょう?」

「実は元々煙草の煙が苦手だった」

「ハズレ。それでは最終問題」

「もう?」

「うん。あたしは今回、ハッピーエンドで終わる三人の話をどうしても聞きたかったの。それは何故でしょうか?」

「知的好奇心の故」

「もー、鈍いなあ」

 

彼はさほど問題の答えに気が向いていないようだ。

「なら正解はなんだい?」と涼しげな顔でグラスに口をつけている。

 

「あんたさあ、ここでプロポーズしてくれたとき『ずっと二人でいたい』って言ったよね?」

「持ち出さないでくれ。恥ずかしい」

「殘念ながら、あたしたちは二人でいられません」

「なんだって? どういうことだい」

「ふふ」

 

あたしは心の中で「アスラのように」とつぶやく。

 

「二人じゃないの」

「ん?」

「三人になるの」

「え!? ああ!」

 

あたしは再び下腹部に手を添える。

 

「ハッピーエンドで本當によかった。もし後味の悪い話だったら縁起でもないから」

「君、もしかして、え? 本當に、その……」

「今の話、將來また聞かせてね」

 

お父さん。

と付け加え、あたしはしい我が子を腹の上からでる。

 

キャンドルの炎が、また小さく揺れた。

 

 

 

──了──

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