《鸞翔鬼伝〜らんしょうきでん〜》天命.一 邂逅〔肆〕
「………!」
謀られたと知り、睦月は眉をしかめる。
そこに怪我人などはおらず、代わりに織田信長と塙九郎左衛門・丹羽萬千代・池田勝三郎ら主従が、居たからである。
蔵助は睦月の前に立ち、ぺこりと頭を下げる。
「済まぬな、悪く思うな薬師。これもご下知」
ふう…
睦月はため息を吐いて“城主”の前にゆっくりとひざまずき、籠と薬箱を降ろした。
「かような薬師めに、織田家嫡男様が如何なる用にござりましょうか?」
そう尋ねると、信長は片笑む。
「隨分と口が達者よのぉ? たかが薬師にしては、何処ぞの使者のようではないか…?」
「…領主の嫡男様に失禮の無いように、と思いまして…」
「南蠻人のような薬師が、よお淡々と語れるものよな」
〝南蠻人〟とは、ポルトガル人やスペイン人ら貿易をする者の名稱だ。
「…――――!」
これはまずい事をした…。
この容姿で日の本の者とは思われない…南蠻人に思われて當然。
〈こんな流暢に話せる者はない……〉
それに話せたとしても、もっと砕けた話し方をするだろう…。
しばらく一族と里の者としか接していなかったから、そんな事すら忘れていた。
黙っていると、信長は一笑して言う。
「そなた〝とびたか〟という鬼を、よう知っておるであろう?」
ドキッ …やはりそうきたか…。
翔隆が信長を追い掛け回して、早八年……そろそろ當の信長がくだろうとは思っていた。
〈…どうする? 話した方がいいのか…? いや…萬が一にでもあの子が信長に仕えでもすれば、あの子は一生苦しみ続ける事となる…!〉
いや〝萬が一〟などではない。
〝確実に〟なのだ!
「その様子では誠のようじゃな。…して、奴は何者だ?」
…何者…。そんな事を話せる訳がない。
「とても、明るい子です」
にっこりとして言うと、信長はふんと鼻で笑った。
「そんな事は判っておるわ。人並み以上に強い、という事もな!」
「! 會われたのですか?!」
「おう、相撲をしていたらな。この九郎まで…」
言い掛けて信長は止まる。
睦月がブツブツと何かを言っているからだ。
「…昔からキツく言い付けてある…私の言い付けを破ったりはしない。自ら出る筈はない。…やはりお前の仕業か織田の嫡男!」
分析してから結論に至り突然怒鳴ると、睦月は殺気をはらんだ憎悪の目で信長を睨み付けた。
「この…っ」
小姓達が刀を手にしたのを信長が手で制して止め、睦月を見た。
その気迫だけで、到底小姓などでは敵わないと分かるからだ。
「あやつが、相撲を取りたいと言うのでな、蔵助と萬千代が相手をしたが」
そう言うと、更に睨まれた。
どうやら、この鬼はあの小鬼と自分を合わせたくなかったので激怒しているのだと分かる。
分かるのだが、それ程までに憎悪されるのは何故なのか…。
真正面から対面での憎悪を向けられたのも初めてなので、信長はそれにも興味を持った。
「それ程大事ならば、何故、お前が側にいて止めなかった?」
「お前…っ、お前などに何が分かる! あの子は、お前などに関わってはならんのだ!!」
「…鬼の嫡子か?」
「何故それを…!」
「言い方で大…當たりか?」
「貴様…っ!」
言い掛けて睦月はハアハアと息を整える。自分の怒りを抑えようとしているのだ。
〈殺したい…!〉
何度も何度も拓須に先視をしてもらったが、どうやっても織田信長が翔隆を苦しめる元兇となると言われた…。
どんな風なのか視せてもらった事もある。
〈今殺せば翔隆はこいつと関わらない…〉
しかし、この男が居なくなれば、翔隆は拠り所を失う………!
「お主、影の一族か?」
それには答えず睦月は冷靜になって信長を見て言う。
「貴様は、とにかく翔隆に関わるな!」
そう言い消えた。
「…ふむ」
そちらからは來るくせに、こちらからは関わるななどと…隨分と偉そうな態度だ。
「偉そうな口利きを! 殿、何故止めたのですか!」
長谷川橋介が怒りをあらわにしながら聞くと、代わりに塙直政が笑って言う。
「斬りかからなくて良かったな。今頃死んでいたやもしれぬ…相手は鬼だ。油斷するな」
「塙殿…」
「そろそろ帰るか」
そう言い信長は歩き出した。
〈…これが運命………避けて通れぬのか…?〉
睦月は、ため息をついて己と拓須にあてがわれている小屋にる。
―――とそこに、拓須が待ち構えるように立っていた。
「余り無茶はするな」
「拓須…」
戸を閉めて中に上がって力無く座ると、睦月は悲しげにうつむく。
拓須はそんな睦月の背から、優しく薬箱を取ってやり土間に置く。
「睦月、もう良かろう? そろそろ決著を付けよう」
「…!?」
唐突に言われて、睦月は驚いて顔を上げた。
拓須は眉を吊り上げて、睦月を見つめる。
「ここへ來て何年になる。…九年!
 九年だぞ!?  何の為にここに來たと思っているのだ!!」
「拓須…聲が大きい……」
「構わん」
言い放ち拓須はドスッと睦月の前に座る。
「元はといえば、お前が言い出した事であろう! 我らが〝長〟、京羅きょうらに!!」
「……っ!」
何も言い返せずに、睦月はぎゅっとを閉じた。
拓須は優しく睦月の肩に手を置き、話を続ける。
「〝嫡子を殺す〟そう言ってここへ潛した…お前は京羅の懐刀だった…よく仕えていたのを、忘れたか…?」
「……っ」
それを言われ、睦月は無言でを噛み締める。拓須は、優しく睦月の両肩に手を置き、話を続けた。
「睦月…に流されるのが悪い、とは言わぬ。だが…よりにもよって、奴にを移し庇って傷を負うなど…」
そっと、睦月の右目を覆う前髪をで上げる。
そこには、酷い傷痕があった。
「本來なら當の昔に〝終わっていた〟ものを……右目を失くしてまで…そんなに、奴がしいのか…?」
「わたし…は…!」
「睦月、忘れるな……。どう足掻こうが、我らは〔狹霧〕なのだという事を…」
「……っ!」
堪らなくなり、睦月は拓須の優しい手を払い除けて飛び出した。
「忘れるな。私は、お主が苦しむ様なら…いつでも、“奴”……翔隆を殺すとーーー」
言葉は、風となって消えた…。
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