《無冠の棋士、に転生する》第19話「將棋の純文學」
「さて、続きをしようか」
どっしりと椅子に座り、駒を一手進める。
つくもんも私達の対局はお互いに居飛車となりゆっくりと定跡通りの局面を続けていく。
オールラウンダーな私と違って桜花は居飛車黨。桜花に慣れてない振り飛車を託すことはできない。よって2人で指すことになる、この対局で振り飛車は選択できないのだ。
そして相手は元プロ棋士の武藤九十九。
六十年以上、プロの舞臺で戦ってきた武藤九十九。彼のもっとも得意とする戦型が現れた。將棋の世界で王道と呼ばれるそれは。
――相矢倉。
とあるプロ棋士が『矢倉は將棋の純文學』と稱するほど、將棋の中では王道中の王道。それが矢倉という囲いだ。
王道であるがゆえに定跡がかなり研究されており、細かい派生形まで網羅されている。
そして今回私たちと武藤九十九の対局で現れた『相矢倉』とは、その名の通り互いに矢倉を作るミラー対決のことだ。
移り変わりの激しい將棋の世界で今もなお変わることのない將棋の王道――それが矢倉だ。
(さて、相矢倉の場合は攻めの主導権を先手が握る……ことが多い。今のところつくもんから攻めてくる気配はない。……どこからでもかかってきなさいってところかな)
私は右辺の銀を飛車の左斜め上へと繰り出していく。いわゆる矢倉3七銀戦法。
相手がどうけてくるかによってに戦法を変えることのできる攻めだ。
「ふむふむふむふむ。そう來ますか……」
そう來ますよ。
だってこれはあなたの戦法なんですから。
武藤九十九。
彼が六十年以上プロの世界で磨き続けた得意戦法がある。
それは――『棒銀』。
私が桜花に初めて教えた將棋の戦だ。
棒銀は將棋の基本である數的優位を理解しやすく、初心者用達の戦だ。
しかし狙いが分かりやすく単純であるがゆえに対策されやすい。
スプ◯トゥーンならワカバシューター。
しかし武藤九十九はそんな棒銀をプロの世界でも使い続けた。そして勝ち続けた。
プロの世界という常に相手によって研究され対策される世界において棒銀という剣を偏と呼ばれるまで使い続け、最強の剣となるまで磨き上げたのだ。
武藤九十九。この世界でもっとも長くプロの世界にい続けた男がもっともし、そして比肩する者がいないほど知り盡くした戦法の棒銀。
この矢倉3七銀戦法はつくもん、あなたが得意とする戦法。プロの世界であなたが磨き続けた最強の剣の一つ。
世界でもっとも棒銀に詳しいあなたならこれをどうけますか?
そんな心の中の私の問いが聞こえたかのようにつくもんは返答しながら端歩をつく。
「……では、正面からけましょう」
長い長い前哨戦が終わりを告げた。
ついに駒がぶつかり合う。
この定跡は先手有利なはず。このままぶつかり合えば押し切れる。
そう思い順調に指し続けていると。
「そう簡単に行きますかな……」
つくもんが不敵に笑い、駒をかす。
……!?
なにこれ。こんなの知らない。
定跡から外れたつくもんの一手。これが通る……の?
「この前考えたばかりの新戦法です」
新戦法!?
おじいちゃん何歳よ!?
歳をとれば取るほど普通は新しいことをに付けることが大変になる。
新しいことをにつけるということは、今までの自分の価値観や常識を崩さなければならないことがあるからだ。
これまで生きてきた自分の価値観が絶対だと思い込み、その価値観に反する學ばない者を『老害』と呼ぶが……。
目の前の武藤九十九という人間は、それとは真逆。どこまでも若い。この歳になってまだ學び足りないと思っているのだろうか。
いつまでも新しさを求めることができる。こんな人間だったからこそ、プロの世界で六十年も戦うことができたのだろう。
「ははっ……強い」
俯きボヤく。
定跡に縛られすぎるのは私の悪い癖だ。
目の前のおじいちゃんの方がよっぽど若い思考をしている。
敵わないなぁ…………でも。
――今日の私は1人じゃない。
「……おねぇ、行けるよ」
私の服の袖をひっぱり桜花が自己主張する。
飼い主の合図を待つ犬のようにそわそわとする様子に私は苦笑する。
「よし、代! 桜花、やっちゃって!!」
「ズッバーーン!!」
私と打ち手を代した桜花が強く駒を突き進める。
逃げなどない。桜花の攻めが始まる。
「うひょ? 選手代ですか……」
つくもんが桜花の攻めをける。それを桜花がノータイムで追撃する。
私の橫でずっとあの集中モードにっていた桜花に思考時間はいらない。
読み盡くしている局面までただ駆け抜けるだけだ。
「これはこれはこれはこれは、さっきのお嬢ちゃんと違ってこの子は狂犬ですね、うーむ」
まるで魔法。定跡外の世界をその腕力一つで切り抜けていく。まるで最初から結果を知っているかのような指し回し
集中モードの桜花の指し回しは『前提に結果があり、そこから回帰して今の一手を生み出す』。
結果の見えない私のような凡人からすれば、桜花の指し回しはまるで魔法なのだ。
暴力的で強引な桜花の指し手は傍目からみたら、無我夢中に暴れる狂犬だろう。しかしその本質は、どこまでも自分の見た未來に忠実な忠犬なのだ。
「むむむっ、これはなかなか……」
つくもんがうなる。桜花の指し筋は元プロ棋士をうならせたのだ。
「これで、突破!」
「よーしよしよし。すごいよ桜花」
「えへへ、じゃあ続きは任せたよ、おねぇ」
桜花の読んだ局面まで進み、また私の番が始まる。
これが私達の最強戦法。
私が局面を俯瞰的に見て、広く淺く全的なバランスを調整する。
そして桜花が狹く深く局所戦で暴れまわる。
序盤中盤終盤全てにおいて私たちにスキはない。
これが『オウカサクラ』。
私たち雙子の協力戦法だ。
得意が正反対であるがゆえに、お互いの長所だけを相手にぶつけることができる。
(久しぶりだけどうまくいった。……一緒に指してて分かったけど、やっぱり桜花強くなってる)
昔なら終盤にしか使えなかった桜花の読み力も、今は局所戦だけだが中盤でも使えるようになっている。
中盤を私と桜花で協力して指し回していけば、桜花の大得意な終盤までもつれこめる。
そうしたらあとは桜花が詰みを見つけるだけだ。
(もしかして勝てちゃう?)
元プロ棋士の武藤九十九に平手で勝てる。
私が不遜にもそう思いはじめた時。
「なるほど……君たち、本當に強いですね。子ども相手に熱くなったのは久方ぶりですよ」
グググっとつくもんは前屈みになり盤を睨む。
グッとズボンをシワになるまで握る。
「熱い……いーですね、この覚。プロを引退して最近は鈍っていましたから、このひしひしとする覚はホント久しいです」
獨り言のように呟やいてつくもんはパチンと高い音を奏でて駒を指す。
綺麗な指し手。何年何十年と指し続けたその作はもはや蕓の領域だった。
「今度は君たちがけてみてください」
私の出來立てホヤホヤな新品の剣とは違う。
六十年以上磨き続けられた本の剣が、私たちに差し向けられた。
■■■
「パパ、ありがとね」
神無月稔の近くでルナが小さな聲で言った。
「本當はこんなことやっちゃダメなんだからね。今日は特別」
「わかってるわ」
ルナは父である神無月稔に頼み、つくもんの対局イベントの當たり券を特別に作してもらったのだ。
全ては親友である彼達とつくもんを対局させてあげるために。
「パパも見たかったんでしょ?」
「そうだね。棋譜だけじゃ分からないところもあるからね」
ルナの親友である姉妹――さくらと桜花の2人は絶賛つくもんと対局中だ。
局面は中盤、桜花がその暴力的な読みでつくもんに一発決めたところだ。
「さくらちゃんは秀才タイプ。桜花ちゃんは天才タイプなのは棋譜からなんとなくわかってはいたけどここまでとはね。いい友達を持ったね、ルナ。毎日彼達とスマホで將棋するのは楽しそうだ」
「楽しいわ。2人とも將棋狂で大変だけどね。……それでパパはどっちの方が好き?」
「パパはルナが好きだよ」
「そーゆーこと聞いてないわ!!」
神無月稔は「冗談冗談」と言い、し考えるような仕草をする。
ルナの質問の意味は「さくらと桜花、どっちの將棋の方が好みなのか」という意味だ。
「パパはさくらちゃんの將棋の方が好きかな。彼の棋力の下地にはしっかりした努力がある。武藤先生との相矢倉を間違わずに綺麗に指し進めたのはかなり評価できる」
「ふーん、じゃあパパはさくらを弟子にしたい?」
「……そんなに角淵くんのことが嫌いかい? もしパパがさくらちゃんを弟子にしても角淵くんを破門することはないからね」
「……別に嫌いじゃないし」
プイッとそっぽを向くルナ。
そんなルナの様子にやれやれと神無月稔は嘆息し、対局に目を戻そうとしたとき。
「せぇええんぱぁああい!!」
突如後ろから手で目隠しをされた。
聞き覚えのありすぎる聲に神無月稔はイラッとし、隣にいるルナは突然のことに驚き距離を取る。
「だーれだ?」
フードを深く被ったそのは神無月稔に問いかける。
そのの長は140にも屆かないので、背びして手を頑張ってばしている。
「なんであなたがここにいるんですか。今日は対局でしょ?」
神無月稔は手を振りほどき、――ユサの方へ振り向く。
ユサは二ヘラとした笑い顔をフードの隙間から見せて、一言。
「休んじゃった……てへ?」
ユサは自分の拳を頭にコツンと當てる。「やっちゃった」って、暗に言っている。
そんな子供っぽい仕草に神無月稔の、イライラはどんどん溜まっていく。
「ぱ、パパ。その人誰? まさか、浮気!? ママに連絡しないと!!」
「ルナ違う!! こいつは……」
スッーと手を出して神無月稔の聲をユサは妨げる。
そしてルナの方へと歩いて近づく。
「こんにちはルナちゃん。初めまして。ボクは――――だよ」
「えっ……」
パーカーをズラしてユサは顔を見せる。
はらりと長くびた黒髪がパーカーの間から垂れ出る。
その顔は流棋士を目指すルナがよく知る人だった。
なぜその人が目の前にいるのか、ルナは理解できなかった。
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