なくとも、彼はその言葉を聞いた瞬間に覚悟を決め、水晶の前に踏み出すことができたからだ。

彼が進み出たのを確認すると、仕立てのいい神服を纏った初老の男が、重厚な聲音で問い掛けてくる。

「汝、神の意をけ、強なる神兵として迷宮へ挑むと誓うか。誓うならば神はその大海の如き慈悲をもって、汝にその行いの助けとなる神を授けるであろう」

（あーはいはい、初心者歓迎ガチャね。分かる分かる。普通のガチャよりも確率が高くて、見栄えがいいものとか能がいいものしかってない奴ね。ユーザーの気分良くしていきなりアプリ削除されるのを防ぐやーつー……）

神のありがたい言葉は続いている。

どうやらこの塔の存在意義だとか、教會が如何に神の代行者として優れているかなどを語っているらしい。

しかし、立太にとっては大した意味のある言葉ではない。

彼はもはや、ここが自分のいた世界とは完全に別個の常識の上にり立つ場所だと認識していたからだ。

（異世界フォ————ッ!!）

無理やりテンションを上げていくしかない。

一度でもテンションが下がったら最後、かつての世界で積み上げてきた諸々や二度と會うことのできない人々を思い出してしまう。

せめてこれも運命と割り切れるほど時間が経過するまで、目の前の狀況を可能な限りポジティブにけ止めるテンションが必要だった。

（人間、テンションが下がったら終わる）

それは社會に出た人間が悟る、一種の真理だ。

自分の置かれた狀況が恵まれていないと気付けば、自分を守るために自分の置かれた狀況を嘆くようになる。そうなったら最後、上を向いて歩けるようになるまでに膨大な時間が必要となるのだ。

（いいな、立太。考えるな、マイナス思考は自分を殺す羽目になるぞ。いいな、決算から逃げ出せたと思え、プラスの面しか見るな……）

涙ぐましい努力の末、彼は神の話が終わるまでに理論武裝を完させた。

（この世界は、明日のガチャのために徳を積める場所だ!!）

どこまでもガチャに縛られた結論ではあったが、立太はこの一語をもって世界に立腳點を作った。

これこそが、偉大なる冒険者ギルドの創始者、積層迷宮の先導者リッタ・グジョー誕生の瞬間だったかもしれない。

「では、手を」

立太は神に促されるまま、真剣な表で手を差し出した。

「心を靜め、神々の意思をじ取るのです。そうすれば、神はあなたに応えてくれるでしょう」

「はい!!」

立太のハキハキした返答に、神は満足そうに笑みを浮かべる。

前途ある若者に道を示すのは、神としてこの上ない喜びだ。

その點において、この神は非常に希有な、正道を歩む神だったかもしれない。

彼は立太のことを心の底から慈しみ、七に輝く神恵水晶に向けて祈りを捧げる。神よ、敬虔なる子を嘉よみしたもう。

彼の言葉は神恵水晶を作させ、水晶は別世界へのゲートを作り出す。

そのゲートの先にあるのは神々の道を収める一個の世界であり、収める道の種類によって別々の世界が用いられる。

結果、別々の世界が持つ質の違いによって水晶の発するが変化するのだ。

このとき、神は久方ぶりに最上位の世界に繋がったことを意味する虹の発を見て、やはりこの若者は神に対する深いを持つ素晴らしい信徒だと確信した。

おお、神よありがとうございます。神は心中でそう呟つぶき、大きく両の腕を開いた。

「神は汝なんじの前途を祝福した！　敬虔なる神の子の未來に栄あれ！」

神がそうぶと同時に、虹のが一層強くなる。

立太はそのに、心テンション上げだった。

（最高レアキターッ!?　今日のために徳を積みまくっていて良かった!!）

どうやら前世界で積み上げてきた徳は別世界に持ち越されたようだ。

立太はそんなガチャ戦士特有の思考を全力で突っ走らせながら、手のひらにじる溫かなに懐かしさをじ始めていた。

「え？」

懐かしさ？

異世界で？

何故そんなものをじる？

自分はこれを知っている？

どうして？

立太の思考の方向が疑問へと舵かじを切り始めたちょうどその時、がゆっくりとその大きさを減じていき、手のひらにほんの僅わずかな重さだけが殘った。

「え？　は？」

先ほどと同じ疑問の聲。

しかしその対象はまったく別だ。

「こ、これは……」

立太と同じものを見ていた神が、困の表を浮かべている。

しかし、立太はその表に気付かない。

「うーん、武っていうから剣とか槍とか盾とか想像したけど、こういうのも出るのか。でも、最高レア演出だった訳だし、これもきっとすごいアイテムに……ちが……い……な……」

期待の眼差しを神に向けた立太は、その神の痛ましげな表に面食らい、次いで先ほどまで話していた革鎧の男に顔を向ける。

「あー……うん……頑張れよ、兄ちゃん」

頭を掻かきながら視線を逸らす男の目には、自分より若い立太に降り掛かった不幸への哀れみがあった。

「え……」

立太はそこで周囲かられ聞こえてくる野次馬の聲に気付いた。

「おい、なんであの神籤から指なんて出てくるんだ？」

「分からねえよ、普通は戦うための武か、せいぜい盾だろ。もしかしたらすげー魔道なのかもしれねえけど、素人にそんなの渡したって……」

「かわいそうに、あの兄ちゃん悪戯いたずらの神に気にられちまったんだな。こりゃ最初の仕事でリタイアか、運が悪けりゃその場で……」

立太は固まった表のまま、手のひらに転がる『それ』を見詰めた。

白銀の円環と、同じ材質の爪で臺座に固定された虹の寶石。

つまり、指だ。

（噓だろ、おい）

最初はこれを使って武を呼び出すのか、あるいは魔法を発するための介になるのかと期待したが、周囲の反応を見る限り、彼の期待に添った品ではないらしい。

「——若き冒険者よ、それは未だ力をじぬ神なれど、神の持ちであることに変わりはない。けっしてあきらめることなく道を歩めば、いずれ力を持つこともあるだろう。——いいか、けっして諦めるでないぞ」

心から彼を心配しているであろう神の言葉に、立太の心はしだけ救われ、そして同時にポキッと音を立てた。