無知で無學な彼の〈からっぽの空白〉は大きすぎて、祖父のでは埋まらなかった。

家族全員を〈一家和楽の信仰〉へ駆り立て、教主という〈偉大で象徴的な男〉から承認されることでしか満たされることはないのだ。

だが、その願いが葉えられるほど、彼は有能でもなかった。

本人は伝説の活家だと思い込んでいて、1950年代の〈折伏大行進〉で活躍したことを自慢していたが、その後、巨大化した教団から役職が與えられることはなかった。

ちなみに、父親は何処にもいない。

そもそも、父親の顔を知らないのだ。

香名子は心ついた頃から、祖母と２人で暮らしていた。

だから、10日前までは、彼の・り・人・形・を演じるしか、生きていくはなかった。彼の支配から逃れた〈東京〉で自由を謳歌しているか・つ・て・の・・り・人・形・の・代・わ・り・として。

（これで母親の義務を果たしているつもりなんだから……つくづくおめでたい……）

香名子は乾いた笑いを浮かべた。

電話の応対は書に任せ、折り返しの電話もなければ、返信も手紙——そのくせ、速達で手紙を送ってくるのは、怯えているからだ。

祖母が倒れても、その影に。

とはいえ、おめでたい母親が娘を捨てた後ろめたさから毎月欠かさず振り込んでくる金で、ろくでもない祖母の院費を工面していた。

社會的に見れば、功者は向こうの方だ。

かくして、1990年の春──この寂れた街の片隅で、彼は獨りで暮らしていた。

しかし、哀しむべきか、喜ぶべきかは、まだ分からなかった。

祖母が回復してしまえば、また元の生活に戻ってしまうからだ。

†††

無限に広がる闇の中をふらふらと漂っている意匠デザインは、真面目に考えるのも馬鹿馬鹿しくなるような代だった。

前述の〈多福會〉信者よりも夢見がちな宗教家アダムスキーが、トリック寫真を使って喧伝した馬鹿馬鹿しい法螺話をそのまま現化したような円盤が、漆黒の宇宙を航行していたからだ。

円盤の部は、ふにゃりとらかい素材で扁球狀に作られた綺麗なピンクの空間が広がっていたが、機械的な計の類は皆無だった。航行狀況を示していたのは、空間に浮かび上がっては消える斷片的な映像や文字列だったが、今のところ〈自航行アイドラ〉が正確に作しているから、誰も興味を示さない。

空間の中心にいたのは金髪のだった。甘えるような聲を上げながら蠢き、悶えている彼の瞳は緑にっていたが、別に金星人ではない。

円盤型の〈船〉は、いくつかの宙域に設けられた〈挿式玉門インサートホール〉という〈空間移〉へ潛り込むことで遠大な距離を跳躍していく。〈世界の中心の大きな星〉から遙かに遠い辺境へと。

彼の〈幸福號〉は〈世界の果てにもっとも近い門〉から放り出され、辺境の不可侵宙域──〈わたし〉たちがよく知っている太系へ向かっていたから、金星人であるはずがないのだ。児の帰郷でもない限りは。

もっとも、金髪のと記したが——彼は妖艶で蠱的なですらなかった。

むしろ、コーカソイド系に近い容姿の可らしいだったが、肩のあたりで切り揃えたらかい金髪から長い兎の耳をばし、ひょこひょこといている様子は奇妙であった。

とはいえ、獣と人間が混淆した獣人ではない。あくまで人間の奇・妙・な・・・だった。

なのに、彼はそのさには似合わない愉悅の表を浮かべ、らにいでいた。それは、小さな生を目一杯に拡げ、もう１人の乗員──男の屹立を迎えれていたからだ。

全のは夢うつつのぎに紛れつつも、口頭で〈自航行〉に重力制の指示を出し、浮遊を利用したセックスに耽っていた。

合相手にも指示を出し、何度か位を変えていた。そうして、互いに下半を小刻みにかしつつ、ふわりふわりと宙に浮かんでいたが、完全無重力狀態でのは弾力と粘度の高い素材で壁を構築していても危険な行為なので、厳に言えば、低重力下でのだ。

突き立てている側の男へ視點を移すと、のために出している屹立を除くと、服を著用したままだった。

均整の取れたは年から青年期にさしかかっていたが、モンゴロイド系に近い表にはまだ、年の面影が強く殘っていた。焦げた茶の髪からは犬のような耳が見え隠れしているが、堂々と突き立てている「うさみみ」とは違い、ひょこひょこと恥じるように蠢いていた。

２人は獣のような耳を除けば、だいたいの部位は地球人と共通だったが、地球人の科學力よりもはるかに高度な技を持っていた。

なのに、展開されている行為と景は、真面目に考えるのも馬鹿馬鹿しくなるような代だった。

「えっちゃん……さすがに疲れた……出航してから、ずっとこ・う・し・て・い・る・ので……」

加えて、２人の態度には大きな違いがあった。「えっちゃん」と呼ばれた全のは嬉々としてに勵んでいるが、青年の方はの命令に従っているだけで、能的に愉しんでいる様子ではなかった。短い鎖が垂れた赤い首のようなものを裝著し、白黒のボーダー柄の囚人服を著ていることも奇妙だった。

「んー？　このくらいで音を上げちゃダメだよー。これも〈緒回復計畫〉の一環なんだからっ！」

の聲質は外見の年齢に相応だったが、たどたどしさのない口調は妙に大人びていた。むしろ、大人の聲優が子供を演じているような、何処か芝居がかった口調だった。

「それはちょっと無理がありますね……」

「だって、出発前に〈環境適応學習〉や〈発語訓練〉はすべて完了しちゃったしー。退屈なんだよねー」

年の面影を殘した青年はも蓋もない本音に呆れつつも、らかい微笑を崩さなかった。消極的な態度とは裏腹に、屹立も維持していた。

「ハヤタくん！　あれが〈世界の果ての咎人の星〉だよー」

空間に大きく映し出されたのは、青い星──ガガーリンが「地球は青かった」と呟いた後の地球人がよく知る地球の姿だった。

「名前のわりには、綺麗な星ですねー」

ハヤタと呼ばれた青年が、のほほんと笑った。

「だって、〈連盟〉に未加盟どころか、〈連盟〉の存在すら知らない〈蠻族〉の田舎星……未開の辺境だからねー。〈生多様條約〉とか〈絶滅保護種指定〉とかなんとかで渡航すること自、厳しく制限されてるしー」

やっとを止め、屹立を抜くように命じたもまた、のほほんと笑った。

「あと、さっき、降下予定地の〈黒〉から連絡があってねー。〈奉仕対象〉への報作も完了しているよー」

彼が言った〈黒〉は、〈連盟〉に屬していない星の各地に配置されている〈隠式管理代行者〉の通稱で、あらかじめ來訪者のための回しを行っていた。渡航者が違和なく紛れ込むために。

「じゃ、ぼくは一足先に降下しますね」

首の裏側にれると、青年の囚人服はすぐに黒いハイネックセーターと濃紺のジーンズに再構された。同時に、がらんどうの空間がぐにゃりと歪み、外部から金屬製の巨大な卵——〈鉛の卵〉が挿された。

「……頑張ってねっ！」

頬に口づけたに別れを告げた青年は卵を毆って割り、中へっていく。

割れた殻はすぐに自修復され、青年を包すると小刻みな蠕を伴いつつ、空間から排出された。代わりに円盤の下部から、ぬるりとした明な粘を纏った〈鉛の卵〉が吐き出された。

排出された後の空白には植とも金屬ともつかない有象無象が臓腑のように蠢いていたが、機械なのか植なのか判然としない無數の蔓は互いに絡みつくと溶けて凝され、あっという間に元の形狀へと戻っていた。

大気圏へ吐き出された〈降下保護球〉はそのまま地球の引力に任せて落下し、すぐに姿を消した。

†††