《僕の姉的存在の馴染が、あきらかに僕に好意を持っている件〜》第五話・2
そういえば、兄は今、スランプに陥っているのをすっかり忘れていた。
今、兄が弾いているギターの音を聴いていればすぐにわかることだ。僕の部屋もそうだが、兄の部屋にも防音設備はないから、ギターなどを弾けばこっちの部屋まで丸聞こえなのである。
それを知ってか知らずか、兄はギターを弾き始める。
弾き始めたはいいが、すぐにやめてしまう。
どんな曲を弾いているのかはわからないが、音を外してしまっているのは明白だ。
それが一度ならまだいい。何度も続くと、聴いているこっちがげんなりする。
僕だって、好きで兄が弾いているギターを聴いているわけじゃないのだ。
まぁ、兄の方は相當イライラしてるんだろうな。
兄の部屋の方から
「クソッ!」
という聲が聞こえてくるのだから。
うーん……。さすがに今回は、自分の部屋で練習するのは控えた方がよさそうだな。
僕は、ベースを持って自分の部屋を後にする。向かうのは、離れにある別室だ。
「今日は、兄貴がいるから自分の部屋で練習するのは無理そうだ。みんなには悪いけど、先に別室で練習するとしよう」
いつものメンバーで練習する約束もしているから、時間になったら來るだろうし。今から別室に行けば、まず遅刻はしないだろう。
しかし、予想外しなかったことが起きた。
僕が部屋を出たタイミングで、兄が自室から出てきたのだ。しかも、ギターを持って──
「おう。奇遇だな」
兄は、僕の姿を見ると、そう聲をかけてきた。
僕がベースを持って部屋を出てきたところだったから、どこへ行くのか気になって聲をかけたっていうところだろう。
僕は、思案げな顔で兄を見る。
「兄貴? どうしたの? ギターなんか持って」
「ん? ちょっとな……。思うように調子がでなくてな。いつものあの部屋で練習したら、元どおりになるだろうと思ってさ」
最近、調子が良くなさそうだなって思っていたら、やっぱりスランプだったのか。しかも、あの別室でやるのか。
今日は、これからいつものメンバーたちと練習があるのに。
「兄貴。今日は、いつものメンバーで練習があるから」
「ああ、わかってるって。…しの間だけだよ」
兄は、そう言って去り際に手を振り階段を降りていく。
「ホントに大丈夫なのかなぁ」
僕はそんな兄を見て、不安そうな顔を浮かべガリガリと頭を掻いていた。
僕が別室にやって來ると、案の定、兄がそこでギターを弾いていた。どうやら自分の部屋では練習が捗らないから、この別室で練習することにしたみたいだ。
普通に聴いていたら、どこが調子悪いのか疑うところだが、それはすぐにわかってくる。
兄が弾いていたギターの音が途中からブレてきて、兄のその表から険しさが見えてきた。そして──
「クソッ! またか!」
と、イライラした様子でそう言って、ギターを暴に掻き鳴らす。
そんな兄を見て、僕は心配そうに聞いていた。
「隨分と調子悪いみたいだけど、一何があったの?」
「お前には関係ないだろうが!」
「たしかに関係はないね」
「だったら、口を──」
「口を挾む気はないよ。ただ、そうやってギターを弾かれても迷とじただけだよ」
「俺は別に迷をかけてなんか……。何回やっても、このザマなんだよ」
「原因は?」
「そんなこと言われてもわからねえよ」
兄は、心を落ち著けようと思ったのかふぅっと一息吐く。
こんな兄を、僕は見ていられないと思ったのかもしれない。
「一回合わせてみる? 曲がよくわからないからなんとも言えないけど、なんとなくの流れでやってみるよ」
「そうか? そうしてもらえると助かるが……」
「それじゃ、試しにやってみよう」
僕は、さっそくベースを弾く準備を整える。
「…んじゃ、いくぞ」
兄は、そう言ってギターを弾き始めた。僕は、流れに合わせるようにベースを弾いていく。
──うん。
特に悪い點は、見當たらない。どこがスランプなのか疑わしいくらいに調子が良い。この調子で弾いていけば、最後までいけそうなじだ。
兄も、僕と合わせているからかリラックスした様子でギターを弾いていた。
そういえば、兄とこうして曲を弾くのは二年ぶりだ。
たったの二年かとも思うが、僕にとっては空虛な時間だった。一人での自主練習は全然にならないし、親友の慎吾は部活があるから、あんまり一緒には遊べないしでとにかく退屈だったのだ。
そんなある日、香奈姉ちゃんがやって來て、ようやくまともに練習できるようになったのだから、香奈姉ちゃんにはホント謝している。
心の中で謝している時、別室のドアが開いた。
「やぁ、弟くん。それに、隆一さんも」
「あれ? 練習中だったの?」
やって來たのは、香奈姉ちゃんと沙さんだった。
二人は、僕と兄が弾いているギターとベースの音に驚いた様子で聴いていた。
僕は、香奈姉ちゃんの方を視線をやると微笑を浮かべ、小さく頷く。
香奈姉ちゃんは、今の兄の狀態を慮って、頷き返した。
兄の方はというと、演奏に夢中で香奈姉ちゃんたちに気づいていない。それもそのはず、兄は目を閉じて心のままにギターを弾いているのだから。
寧ろその方が都合がいい。香奈姉ちゃんがやって來たことに驚いて兄の心がれるよりは、気づかない方がはるかにいいのだ。
香奈姉ちゃんと沙さんは、持ってきた楽をその場に置いて、兄に気づかれないように靜かに座り始めた。
さらには、兄の友人らしき男たちがやってくる。いずれも年上の男だ。
彼らも香奈姉ちゃんたち同様、兄に気づかれないように靜かに座り始めた。
しばらくして曲が終わる。
「ふぅ……。なんとか最後までいけたぞ」
兄は、弾ききった事に安堵して息を吐く。
「よかったね」
僕は、そう言って微笑を浮かべる。
兄は、すぐに周りの人たちの姿に気づく。
「あれ? 香奈じゃないか。…いつからここにいたんだよ? あれれ? なんでお前らまで──」
「よう、隆ちゃん」
「心配になって來てみたんだよ」
「お前がスランプに陥ってるのに、放っておくのはメンバーとして失格だろ」
「お前ら──」
「ほら、はやく練習するぞ」
その中にいたとっつきにくいじのする男は、気恥ずかしそうにそう言って頭をガリガリと掻いていた。
「あれが楓君のお兄さん?」
と、沙さん。
「そうだよ。あれが周防隆一さん。弟くんのお兄さんだよ」
それに答えたのは、香奈姉ちゃんだ。香奈姉ちゃんは、沙さんにもわかりやすく兄を紹介する。
「なるほどね。あれが楓君のお兄さんか。なんだか似てないね」
「そうでしょ」
「うん」
沙さんは、兄を見て納得したように頷いていた。
さて、僕はどうすればいいかな。
僕は、どっちに行ったらいいかと一瞬迷ったが、結局、香奈姉ちゃんのいる方に向かっていった。
「香奈姉ちゃん。沙先輩。お待たせしてごめん」
「ううん。來たばっかりだったから、そんなに待ってはいないよ。だから気にしないで」
「そうだよ。私も、今來たところだったから、全然気にしなくていいよ」
香奈姉ちゃんと沙さんは、笑顔でそう言う。
まぁ、まだ理恵さんと奈緒さんが來ていないから、遅刻ってわけでもないんだけど。
「香奈。ちょっと、いいか?」
兄は、神妙な表を浮かべ香奈姉ちゃんを見て、そう聞いていた。
香奈姉ちゃんは、思案げな表を浮かべる。
「ん? 何かな?」
「いや、その……。二人だけで話がしたいんだが…ダメか?」
「ん~。容にもよるかな」
「容か……」
兄は、そう言って渋い顔になる。
きっとバンドの話だろうな。そう思いながら、僕と沙さんは黙って聞いていた。
「うん。容次第」
「バンドのことなんだが……」
「バンドかぁ。それなら、尚更二人だけで話をするのは無理かな」
「どうして? 香奈が俺たちのバンドにってくれればいいだけの話なんだぞ」
やっぱり香奈姉ちゃんを勧するつもりだったのか。
わかってはいたけど、今の香奈姉ちゃんがその話に乗るかな。
「ごめんね。やっぱり私、隆一さんたちのバンドにはれない」
「どうしてだよ。俺たちには、香奈が必要なんだ。頼む。そこをなんとか──」
兄は、そう言って香奈姉ちゃんに詰め寄り、手を摑む。
どうやら、簡単には諦めてくれそうにない。香奈姉ちゃんは、どうするつもりなんだろう。
香奈姉ちゃんは、微笑を浮かべると摑んでいた兄の手を優しく摑み、小さく首を振る。
「私もね。私の大切なものを見つけたの。まだバンドを組み上げたばっかりだけど、そこには私の親友がいて、大事な彼氏もいるから無理なんだ」
「大事な彼氏? それってまさか……」
兄は、彼氏という言葉で唖然となっていた。
まさかとは思うけど、僕のことを言ってるのか。
この前、僕の彼になるって言ってたけど、あれは冗談なんかじゃなかったってことなのか。
香奈姉ちゃんは、僕の方をチラリと見ると頬を染めて言った。
「うん。隆一さんの弟、楓だよ。楓は、私の彼氏さんなんだ」
「楓が、香奈の彼氏だと? 何かの冗談だろ? 香奈にとって楓は、出來の悪い弟みたいなものだろ?」
「たしかに隆一さんに比べたら、々な面で劣っているけど」
「だったら、そんな奴のことなんかより──」
「だけど、それがいいの。隆一さんにとっては出來の悪い弟なんだろうけど、私にとっては十分すぎるほどステキな彼氏さんだよ」
「いや、彼氏って言うけど、楓は年下だろ。香奈は昔、彼氏にするなら年上の男って言ってたよな? あの時の言葉はどこにいったんだよ」
兄は、慌てた様子でそう言う。
それは初耳だ。
香奈姉ちゃんは年上の男が好みだったのか。意外だ。
香奈姉ちゃんは、言った。
「たしかに年上の男が好みとは言ったよ。…でもそれは、あくまでも理想であって現実的な話じゃないよ。いざ付き合うっていうのも難しいだろうしね」
「それで、目をつけたのが楓なのか?」
「目をつけたんじゃないよ。初めから決めてたんだよ。私が好きになるべき人は楓だって──」
「なんだよ、それ……。じゃあ、俺のことは好きでもなんでもなかったってことかよ」
「隆一さんのことは好きだよ」
「それじゃ、俺と──」
「…でも私にとって隆一さんは、高い理想の上にいるような人だから、付き合うっていうのは難しいかなって思ってるんだ」
「そんなことは……」
兄は、香奈姉ちゃんを諦めたくないのか、香奈姉ちゃんの腕を摑もうと手をばす。…が、周りにいた男たちに引き止められる。
「もういいだろ」
「ユウジ……」
「香奈ちゃんはもう、自分の居場所をちゃんと作ったんだよ。だから、俺たちがどうこうできる話じゃないんだよ」
「だけど……」
「まぁ、隆ちゃんは、昔っから香奈ちゃんに好意を持っていたからね。簡単に諦めるってこと自、無理なのはわかるんだけど……。さすがにこればっかりは、諦めるしかないんじゃないか」
「ユウジの言い分は、よくわかる。…しかしな。俺も香奈のことが好きなんだ。だから簡単に諦めるわけには……」
「香奈ちゃんが選んだのが他の男だったら、まだわかるんだけどな。だけど香奈ちゃんが選んだのが、お前の弟だからな。その辺りは、事実としてけ止めなきゃいけないだろう」
「いいや。俺は認めない。楓なんかに香奈はもったいない。楓には、それなりに相応しいの子が出てくるはずだ」
兄は、そう言って僕を睨んでくる。
「えっと……。僕は──」
そんな目で見られても困るんだけどな……。
香奈姉ちゃんは、禮儀正しく頭を下げて、言った。
「ごめんなさい。私にはもう、好きな人がいるんです。だから隆一さんと付き合うことはできません」
「っ…… ︎」
兄は、ショックをけたのか愕然とした様子で香奈姉ちゃんを見ていた。
ここまではっきり言った香奈姉ちゃんをけれたくないのだろう。兄は、取りした様子でおもむろに立ち上がる。
「わかったよ。そこまで言われたら、俺が引き下がるしかないじゃないか」
「兄貴」
「誤解するなよ。俺は、香奈を諦めたわけじゃないからな。香奈がお前を嫌いになったら、俺はすぐにでも香奈に告白するからな」
「隆ちゃん」
「だから、せいぜい嫌われないように香奈の心を摑んでおくんだな」
兄は、そう言うと部屋を後にした。
「おい。ちょっと待てよ。今日の練習は、どうするつもりなんだよ?」
と、後を追いかけていったユウジは、兄にそう訊いていた。
兄は、さも當然のように答える。
「いつもの場所しかないだろ。この別室がダメなら、そこを使わせてもらうしかないだろう」
「しかし、あの場所は──」
どうやら、兄たちが普段使っている練習場所は、何か問題のある場所のようだが、僕たちには関係のない話だ。
その場に居殘った二人の男は
「なんか悪いな。リュウのわがままに付き合わせてしまって──」
「あいつ、最近スランプ気味で、調子が良くないのか、すごく不機嫌だったんだよ」
そう言って、各々が苦笑いをしていた。
僕は、逆に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、言葉を返す。
「いや、全然構わないですよ。僕は、好きで兄の演奏に付き合っただけだから……」
「そうか。なんにせよ、助かったよ。ありがとうな」
「ありがとう」
二人は禮を言うと、すぐに別室を後にした。
「──なんか、よくわからないけど。大変だったね」
しばらくして、沙さんが口を開いた。
「隆一さんの告白に関しては、いつものことだよ。何かある度に、私に告白してくるんだ」
「それじゃ、僕を彼氏役にしたのは、まさか……」
「それは、隆一さんを諦めさせるための手段でもあるんだけど。…それだけじゃないんだよ」
「いったい、どんな理由があるの?」
「それはね──」
そう言いかけた途端、二人のの子がってくる。
「こんにちは」
誰なのかは、言うまでもない。理恵さんと奈緒さんだ。彼たちは、めずらしく一番最後にやってきたのである。
「奈緒ちゃんに理恵ちゃん。こんにちは」
「遅れて來るだなんてめずらしいね。どうしたの?」
「うん。…ちょっとね」
「う、うん。わたしも、ちょっと個人的に用事があってね」
奈緒さんと理恵さんは、説明しづらいのか微苦笑してそう言う。
「そうなんだ」
香奈姉ちゃんは、安堵の息を吐く。
「香奈は、元気なさそうだけど。大丈夫?」
「うん。私なら、大丈夫だよ」
「それなら、一どうしたの?」
香奈姉ちゃんの様子の変化を理恵さんは勘付いたみたいだ。僕たちにそう聞いてくる。
「別になんでもないよ」
僕が答えようとしたけど、先に答えたのは香奈姉ちゃんだ。
理恵さんは最初、訝しげな表を浮かべていたが、香奈姉ちゃんがそう答えたので、その言葉を信じたみたいだ。
「別にないなら、いいんだけど」
理恵さんは、気になりながらもそう言って、いつものように準備をし始める。
僕が、変だなってじたのは奈緒さんの方だ。
奈緒さんはめずらしく何も言わず、さっきから黙ったままだった。
「どうしたの、奈緒さん? なんか様子が変だけど……」
僕は思案げにそう聞いてみるが、奈緒さんからの返事はない。ずっと沈黙したままだ。
しかし、しばらく経った後、奈緒さんは意を決したかのように言う。
「ごめん、みんな。あたし、しばらく練習に出れそうにない」
それは、みんなを揺させるには十分すぎる言葉だった。
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