《とろけるような、キスをして。》───いつから?(1)
それから一ヶ月の月日が流れた。
四月になり、新年度を迎えて修斗さんは持ち上がりで三年生の擔任をけ持つことになった。
進學クラスらしく、生徒たちの中には東京にある大學を志している子も多いと聞く。
私は、相変わらず千代田さんと協力しながら事務の仕事をこなしていた。
三ヶ月もすれば大の業務は全て覚えており、験シーズンを乗り越えたからか、大抵のことなら楽にこなせるようになってきた。
そんなとある日の、晝休憩の時間。
飲みを買いに、昇降口にある自販売機に行ってお茶を買った帰り道で、それは起こった。
「……あの」
後ろから鈴が鳴るような綺麗な聲で話しかけられて、足を止めた。
「……?はい、何か?」
振り向くと、そこには黒髪のサラサラなロングヘアが綺麗な子生徒の姿。
最近は著崩す生徒も多い中、比較的校則通りに制服を著こなしているそのは、ナチュラルメイクを施した可らしい二重の目でこちらを抜くように見つめる。
「事務の、野々村さん、ですよね?」
「はい、そうですけど……。貴は?」
「私は三年A組の立花 紗タチバナ アイサです」
三年A組と言えば、修斗さんが新しくけ持つことになったクラスだ。
進學クラスの生徒が、私に何の用だろうか。
「ちょっとお話があるんですけど、今お時間大丈夫ですか?」
「え、っと……、私はしだけなら良いですけど、立花さんは?もう午後の授業が始まる時間だと思いますが」
腕時計で時間を確認すると、晝休みが終わる五分前。
ちょうど良く予鈴が鳴った。
「調が悪いから保健室行ってくるって友達に言いました。だから大丈夫です」
「……そう」
私は教師じゃないから、それに対して何か言うべきなのかがわからない。
言ったところでこの子が聞いてくれるとも思えないが。
せっかく買ったけど、お茶を飲むのはどうやらしばかり後になりそうだ。
立花さんに連れられて向かった先は、私の中ではお馴染みの舊校舎の図書室だった。
確かにここは人が滅多に來ないから、重要な話をするにはうってつけだろう。空き教室に行くよりも埃っぽくないし綺麗だ。
中にったタイミングで、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。
「……それで、話というのは?」
テーブルにお茶を置く。
ドアを閉めた彼に問うものの、言いづらいのか下を向いたまま何も喋らない。
しかしここまでついてきた以上、話を聞かずに事務室に帰るわけにもいかない。彼もそうだろう。
多分良い話ではないだろうし、十中八九修斗さんとの関係を聞かれるのだろう。それはわかる。
最近、私と修斗さんのことが校で噂になり始めているのは知っていた。
"深山先生が事務のを車に乗せていた"
"深山先生が急にお弁當を持ってくるようになった"
そんな噂から始まり、
"事務のはうちの卒業生で深山先生の教え子"
なんて噂も広まっている。
たまに一緒に帰っているらしいとか、デートしたところを見たとか、
他にも細かい噂はあれど、大きく分けるとそんなじのものだ。
別に、そんな噂は私も修斗さんも気にしていない。
所詮は噂。何が合っていて何が間違っているかだなんて、私と修斗さんしかわからないのに。
憶測だけでものを言って、どんどん広まっていく噂を気にしていたらキリが無い。
しかし修斗さんの車で送ってもらったことは數回ある。軽率な行をしてしまったのは事実だ。
しばらく修斗さんと一緒に帰ったり、ましてやデートなんてできないだろう。
教師という職業は、本當にプライベートが無いものだ。
とは言え、さすがに"事務のが學生だった頃から二人は付き合っている"という噂が流れた時は修斗さんも否定したと聞く。
教員としてそれはあってはならないから、當然だろう。
そんなことを考えていると、意を決したようにか細い聲が
「……あの」
と響く。
その聲に、いつのまにか窓の外に向いていた視線を戻した。
「今學校中で、すごい噂が回ってるのって知ってますか?」
「はい。私と深山先生の噂ですよね」
真っ直ぐに立花さんを見つめると、逆に向こうの方が驚いたような顔をする。
「……はい。それで、その……。
深山先生と付き合っているっていうのは、本當なんですか?」
まさかの直球勝負に、今度は私が驚いた。
彼の話では、修斗さんはあんなに綺麗な顔をしているのにっ気が全く無く、あまりにも浮いた話が無いため一時期男が好きなのではという噂が流れるほどだったと言う。
それが急にお弁當を持ってくるようになったり、私を車に乗せているという噂が回ったり、デートの目撃報が回っていたり。
……だから、こんなに大袈裟に噂が広がったのか。
修斗さんの浮いた話なんて今まで聞いたこともなかったから、生徒からすれば格好の餌食となってしまったのだろう。
當事者からすればいい迷でしかないが。
「一度、學してすぐに深山先生に聞いたことがあるんです。先生の好きなタイプはどんなですか?って。そうしたら、"例えるなら……貓みたいな子。可くて、放っておけなくて、守ってあげたくなるような"って言ってて」
「……」
「……それってもしかして、野々村さんのことなんですか?」
か細い聲に、私は息を呑む。
可くて、放っておけなくて、守ってあげたくなる子。
貓みたいな子。
『可い黒貓の"みゃーこ"ってじ』
修斗さんと出會った時の言葉を思い出す。
「……さぁ、それはどうでしょう」
再會したのはつい最近だから、それが誰かのことを指しているのか、はたまた言葉のあやのようなものなのかはわからないけれど。
でも、もしそれが私のことなのだとしたら。
───……修斗さんは、一いつから私のことを好いていてくれたの?
「……お二人は、付き合ってるんですか?」
「……申し訳ないけど、それについては私からは何も言えません。知りたいなら、深山先生に直接聞いてください」
噂が流れ始めた時、修斗さんに言われていた。
"噂なんて放っておけばいずれ無くなる。だから気にしなくて良いよ。生徒から何か聞かれても、みゃーこは何も答えなくて良いから。俺に直接聞けって言っといてくれれば良いよ"
その真意はわからないけれど、多分、私が悩まなくて済むようにという配慮だろう。
言われていた通りに伝えると、案の定立花さんは苦蟲を潰したように複雑な顔をした。
そして何も言えずに下を向く。
彼の表、聲のトーン、話し方。それを見ていてわかった。
……この子も、修斗さんのことが好きなんだな。
きっと、好きなタイプを聞いたという二年前からずっと。
だから、そんなに握った拳が震えているんだ。
それを見ているだけで、彼の想いが真剣だということが伝わってくる。
わかる。わかるよ。
だって修斗さん、かっこいいから。優しいから。
知れば知るほど、好きになっちゃうよね。
私は學生の頃、そんなふうに考えたこともなかったけれど。
今ならわかる。多分、立花さんの他にも修斗さんのことを想っている生徒は何人かいると思う。
それくらい、大人の魅力と包容力がすごい。
もしかしたら、卒業したらその想いを伝えるつもりだったのかもしれない。
そんな時に急に私が現れて、修斗さんと噂になって。
そりゃあ、面白くないだろう。こうやって呼び出して、真相を確かめたくなる気持ちもわかる。
深山先生に直接聞くのが怖いから、私に聞きにきたのもわかる。
……恨まれるのも當然だ。
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