《じゃあ俺、死霊《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。》1-1 嫌われた勇者
1-1 嫌われた勇者
「ん?」
そう聲をらした老婆は、洗濯をする手を止めると、川上の方へ目を凝らした。しかし最近目のかすみがひどい。悲しいことだが、どうにも今見たものに対して自信が持てなかったのだ。
「ありゃあ……」
見間違いじゃない。川の上流から、大の字になった人が流れてくる。昔はどざえもんが流れることもままあったが、最近はなくなったと思っていたのに。老婆は洗濯ものがすべてやり直しになったやるせなさに、深いため息をついた。
「ったく、どこの仏だか」
顔でも拝んでやろうかと近寄ってみると、まだ若い男だった。年といってもいいかもしれない。自分の半分も生きていないだろうに、とさすがに同した老婆だったが、それにしては妙にきれいな顔をしている。というか息を……いびきをしてる?
「おいおい、冗談だろう……」
呆れても言えなかった。どうやったらベッドと川とを間違えるんだい?このまま見送ってもよいのだが、ここで自分が見過ごしたことで本當に死になられても目覚めが悪い。
「まったく、我ながら好きなもんだよ……」
なんだかんだ言って、老婆は子どもに甘かった。
「んぁ」
「おや、目ぇ覚ましたかい」
気が付くと俺は、見慣れない家の、見慣れない天井を見上げていた。を起こしてあたりを見回すと、窓際の安楽椅子に白髪の老婆が座っている。
「ここ、どこだ……?」
「ここはあたしの家。あんたが川から流れて來たんで、引き上げさせてもらったんだよ」
「川?」
「ああ。変わった趣味をしてるんだね。あんたの両親はカワウソかなんかなのかい?」
「いや、たぶん違うと思う……」
「たぶんって……ホントに大丈夫なんかね?」
老婆があきれたように息を吐く。頭がぼんやりして働かない……頭?
俺ははっとして、慌てて自分の頭をまさぐった。よかった、手には確かに帽子の覚があった。こいつになくなられちゃ大変だ。俺はほっと息をつく。
「その被り、ずいぶん大事みたいだね。ずっとつかんで離さなかったから、そのままにしといたんだよ。多濡れてても、自己責任だからね」
俺は老婆の言葉を、ぼーっとした頭で聞いていた。どうにも力が出ないじだ。
「ばあちゃん……」
「やっと思い出したかい?それともまだ寢ぼけてんのかね」
「腹減った……」
「……」
老婆のごはんはとてもおいしかった。
「はぁ!ごちそうさま。生き返ったよ」
「そうかい。ま、そのために拾ったからね」
「ありがとな。ばあちゃんには一宿一飯の恩ができちゃったな。俺にできる事なら何でも言ってくれよ。金は無いけど、お禮もしたいし」
「ふん。それならあんたの素を教えてくれないかね。あたしゃロクデナシを介抱してやしないか気が気じゃないんだよ」
を張る俺に、ばあちゃんは皮たっぷりに答えた。そういえば、名前も名乗っていなかったな。俺は出鼻をくじかれて、しょんぼりと答えた。
「えっと、俺は西寺桜下っていうんだ。歳は十四で」
「そういうことじゃないよ。どうして川から流れてきたのさ」
「あ、そっちか。ああーと、確か、すべって落っこちたんだよ。そしたら巖かなんかに頭をぶつけて……気付いたら川に落っこちて、そのまま寢ちゃってたみたいだな、あははは」
俺の乾いた笑いに、ばあちゃんはあきれたように眉間を抑えた。
「ちょっとまっておくれ、頭が痛くなってきたよ。わかった、それじゃ事故で川に流されたってことだね?」
「ったのは事故だけど……その前に追っかけられてたからなぁ」
「追われてた?」
「うん。俺、城から逃げ出してきちゃったんだ」
「……あんた、ひょっとして王國兵に追われてるのかい?」
「なんか、そうみたいなんだよ。俺のネクロマンスの能力が、勇者にふさわしくないーとかでさ」
「は……勇者?」
それまで半信半疑な様子で聞いていたばあちゃんが、はじめて目を見開いた。
「え、うん。勇者。俺がそうなんだって」
「……いや、それだとおかしいね。こんなみすぼらしい裝備の勇者なんて、見たことないよ」
「へ。裝備って、ああ、この服か?」
俺は著ている生乾きの服をつまんでひらひらした。これは、正確には“いつの間にか著ていた”が正解だ。俺はこんな服もってた記憶はない。大方こっちに連れてこられた時に著替えさせられたんだろう……
「そんなに変な格好かな」
「いいや、普通過ぎるんだよ。勇者らしくない。第一、あんたは勇者の証たる“アレ”を持ってないじゃないか」
「アレ?」
「あれだよ。エゴバイブル」
「え、え?なんだって?」
「自我字引エゴバイブルだよ。まさか知らないのかい?ますます怪しいね」
「うーん、噓じゃないんだけどな。なんだろそれ」
ごそごそとポケットをまさぐるけど、當然何も持っていない。そりゃそうだ、俺は一つでここに連れてこられたんだから。
「あ、そういえば。これしかもってないや」
俺は首にぶら下げていたガラスの鈴を取り出した。これだけは、いつのまにか首に下げられていた。
「お……」
ばあちゃんは、このガラスの鈴をが開くほど見つめている。
「……どろいたね。まさか本當に持ってるとは」
「え。これがその、エゴなんとかなの?」
「あんた、本當に知らないのかい。まさか盜んだんじゃないだろうね……それは魔法によって意思を持った道だよ。この世界に召喚された勇者のナビゲート役として渡されるもんさ」
「ふーん……ん?」
いま、なんて言った?強烈なワードがぽんぽん出てきたぞ。
「魔法の道?」
「ああ、當然だろ。飛び切り高級品だよ」
「意志を持ってる?」
「當然そうさ。だから自我エゴなんていうんだろ」
「勇者が、この世界に召喚された?」
「當然さね。アンタがその勇者じゃないか」
「おお……」
すべて當然で打ち返されてしまった。そうか、勇者とかネクロマンスとか、ファンタジーみたいだなって思ってたけど、ここがファンタジー世界だったからか。それなら、納得なっとく。
「できねぇぇぇ……」
「どうしたんだい?アンタ、流れてくる途中でどっか打ったんじゃないだろうね」
「ごめん……あまりに衝撃の事実に、頭が追い付いてないだけ……」
「そうかい?あたしゃ、川で寢れるほうがよっぽど衝撃な気がするがね。まあ異界からいきなり召喚されたんじゃ無理もないか。けど、そうなった“次差酔い”勇者のための、ソレなんだけどね」
ばあちゃんは俺の手の中のガラスの鈴、エゴバイブルとやらを指さした。
「どうしてソイツはしゃべんないんだい?ふつうは最初にこの世界のことを説明する手はずなんだよ」
「え、しゃべるの?ぜんぜんだぜ、壊れてるのかな」
『失禮な。壊れてなどおりません』
うわぁ。ほ、ほんとにガラスの鈴がしゃべった。俺は手の中の鈴をまじまじと見つめる。
「び、びっくりした。なんで今まで黙ってたんだよ」
『だってあなた、処刑されようとしてたじゃないですか。余計な説明したくなかったんですよ、めんどくさい』
ガラスの鈴は、それこそリィンと鈴が鳴るような澄んだ聲で、ずいぶんゲスなことを言った。年にもにも聞こえる、抑揚のない不思議な聲だ。
「なんだ。でもじゃあ、もっと早く話しかけてくれればよかったのに」
『私もまさか、あなたが逃げおおせるとは思っていなかったんですよ。けれど、不良品扱いは聞き捨てなりませんね。あなたが川に沈まないよう見張っていたのは誰だと思っているんですか』
「あ、そうなんだ。ありがとう……」
なんだか尊大なナビゲーターだ。そんな鈴を、ばあちゃんは食いるように見つめている。
「なるほどね。あたしゃエゴバイブルが喋るのは初めて見たが、ずいぶんと人間臭いもんだ。けどこれで、アンタが正真正銘勇者なんだってことが分かったよ。こりゃあ否定できん」
「あ、ホント?そりゃ良かった」
「ああ。ついでにあんたが、処刑予定の獄勇者だってのがよぉ〜くわかった」
「あぁ~……あはは」
「ふふん。けどあたしゃ、勇者ってのは嫌いじゃないんだよ。助けたことに後悔はしてないさ」
「ほ、ホントか!そっか、よかった」
「ああ。けど勇者様なら、一つこのばばあの頼みを聞いてくれやしないかね」
ばあちゃんは試すように、俺を見てにやりと笑った。
「お!そうこなくっちゃな。何でも言ってくれって、言っただろ」
「そうかい。いや、大したことじゃないんだけどね。あたしの孫娘を探してきてくれないか」
「お孫さん?どっかに出掛けてんのか?」
「この村の外れの森にね。出かけたっきり、戻ってこないのさ」
ばあちゃんはこともなげに、さらりと言った。その冷靜さに、かえって俺のほうが面食らう。
「え……それって、ヤバくないか。いつの事だよ?早く行かないと」
「そうさねえ。かれこれ三年になるかね」
「三年!?」
それはもはや行方不明とか失蹤とか、そういうレベルだろ!ガラスの鈴がリィンと口を挾む。
『三年もすれば、もうみはないのでは?』
「あ、バカ!なんて事言うんだ」
『いや、実際そうでしょう。そのお孫さんはサバイバルの達人か何かですか?でなければ手遅れの可能の方が高いでしょう』
「いいや。生きてるんだよ、あの子は」
「え?」
『は?』
「毎月、新月の夜になるとね。そこの窓べりに、あたしの好きだった花を一置いていくのさ。きっと訳あって戻ってこれないけど、そうして安否を伝えてるんだろうよ」
『いや、その考えにはあきらかに矛盾が』
「しー!お前、し黙ってろ!」
俺はガラスの鈴をぎゅっと握ると、服の中に押し込んだ。あけすけな鈴だ、まったく。幸いなことに、ばあちゃんは特に気にしない様子で続ける。
「森まで様子を見に行ってやりたいとこだけど、この數年で足を悪くしちまってね。ずっと確かめられずにいたんだよ。代わりにあんたが行って、様子を見てやってくれないかい」
「わかった!待ってろ、きっとお孫さんを見つけてくるから」
俺がしっかりうなずくと、服の中からリン、と鈴の鳴る音がする。
『ちょっと。本気ですか』
「もちろん。ばあちゃんには助けてもらった恩があるからな」
『ぜったいボケてるんですって。ありえないじゃないですか、何もかもが』
「いいんだよ、あってる、あってないは二の次で。ばあちゃんがしてしいっていうんだから、俺はそれを葉えてやりたい。ばあちゃん!その依頼、引きけたぜ!」
「そうかい。ありがとうよ」
ばあちゃんは薄い笑みを浮かべてうなずいた。
「ところで、お孫さんはなんて名前なんだ?」
「……フランだよ。フランセスっていうんさ。あんたよりし下くらいの年で、冬の月みたいな銀の髪のの子だよ」
「フランセス、か……オッケー。その子が行ったのは、村外れの森だよな?」
「ああ。森まで一本道だからすぐわかるはずさ。あ、あとこれをもっておいき」
ばあちゃんは安楽椅子から立ち上がると、引き出しから一足の小さな木靴を取り出した。
「あの子のもんだよ。森の外れで見つかったんさ。何かの手掛かりになるかも知れないからね」
てことは、これが唯一お孫さんが殘したものになるのか。俺はその小さな靴をけ取ると、大切にポケットにしまい込んだ。
「うっし!じゃあ行ってくる!」
これがいわゆる、初クエストだな。俺はパッと立ち上がると、ばあちゃんに見送られながら、急いで家を後にした。また鈴が余計なことを言いだしたら面倒だからな。案の定、數歩あるいた所で、ガラスの鈴がぶつくさ言い始める。
『……正気ですか?まず間違いなく生きていませんよ?』
「まだ分からないだろ。なくともばあちゃんはそう思ってない。それに困ってる人を助けるなんて、本當に勇者みたいだしな!」
『まあ貴方がいいなら、何も言うことはありませんが……』
「そうそう。それにほら、ばあちゃんだって嬉しそうじゃないか」
俺は振りかえると、玄関先に立つばあちゃんに手を振った。ばあちゃんもこっちに手を振り返してくれる。あれだけ喜んでくれれば、モチベーションもあがるってもんだ。
「まぁ俺の場合、他にやることもないしさ。勇者だか召喚だかなんだか、まだ意味わかんないことだらけだけど。とりあえず、目の前のことを楽しんでいこうって決めたんだ。だから今は、俺のやりたいようにやる!」
『……はあ。この先がすごく不安です』
俺は気にせず、意気揚々と歩を進める。目の前のことを楽しむって言うのは、あの骸骨剣士と別れた後に決めた、今後の方針だ。どうせ生きていくなら、楽しいほうがいいに決まってる。
(ま、ある程度なら、自由にやったって文句は言われないだろ)
ここは俺がもといた所とはずいぶん遠いようだし、なんたって俺は勇者らしいから。ここでこうして人助けをして生きていくのも案外悪くないじゃないかとか、考えていた。
けど俺は、背後で笑顔のまま手を振る老婆の、その目が、のかけらも笑っていないことには気付いてはいなかった。
つづく
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読了ありがとうございました。
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