《ワルフラーン ~廃れし神話》生まれし
男の容姿は端麗ではあるが雰囲気からにじみ出る鬼畜さ、険さが全てを臺無しにしていた。なくともエリは好意的なは持ってはいない。
しかしこの男は、何かあると大帝國からここに來て、何かよく分からない事を喋り続けるのだ。ここ―――エリの部屋で。
「でさあ、俺は言ってやったのよ。『お前なんてお斷りだね!』って。そうしたらあいつが、『こっちこそアンタなんて必要ないんだよ!』って言ってきてさあ。どう思うエリ―?」
今の狀況を弁えず、特に中のない容をぺらぺらと喋り続ける男に、青筋を浮かべるエリ。しかし、そんなエリにすら気づかず、男はひたすら喋り続ける。男のそれは、もはや會話ではなく獨り言だ。
「そうだ! 俺のが正しいんだ! だからこそ俺はあいつに『土下座するまで許さねえ』って言ったんだ。そうしたらあいつ折れてくれてさ、『すまなかった』って言ってくれたんだよ」
「レイリン。それは貴方を面倒くさがっただけでは……」
「でもそこで許さないのが俺の良い所! 俺はもう一つ提案をしてやった。『この吐瀉を食え』ってな。それは酒を飲みすぎて嘔吐した奴隷のなんだが―――不思議な事にあいつは怒って帰ってったんだよ。それで―――」
容の酷さとレイリンの非道さも相まって、非常に気持ちの悪い仕上がりだ。誰が聞いても得をしない話など久しぶりに聞いたが、もういい。我慢の限界だ。
エリは荒々しく席を立ち、砦に響かんばかりの聲で叱咤した。
「レイリン。レイリン・フォーミュルゼン! 貴方はそんな酷い話をする為だけに私の部屋に斷りもなく上がってきたのですかッ」
砦の上空を羽ばたいていた鳥ですら、その叱咤に恐れをなし、明後日の方向へと飛んで行った。
レイリンはエリの聲に驚き、顔を固まらせる。
「な、何だよぅエリ―。俺は只、話をしたくて……」
「只ッ? 程、只話をしたかったのですか。ならば仕方ありませんね。私も実に大人げない事を……って只ッ! 只ッ! 只ッ! 貴方はいつまでその言葉を免罪符のように使うのですかッ、その會話で私の時間がどれだけ失われ、私の苛立ちがどれだけ募るかアアアァァ! 愚鈍という言葉は貴方の為にあるようですねッ」
の発に我を忘れ、吹きすさぶ嵐のように狂うエリ。しかしながら本當に酷い話なので、彼が怒るのはむしろ正常な反応であると思う。なくとも不快は覚える。
何より酷いのが、それを語るレイリンだ。まるで悪意を持って居ない所も考慮すると、いっそ殺してしまいたい程に殺意が湧く。
しかし殺せば、自分とリスドの評判は底辺へと落ちる事となる。
―――何故か。レイリン・フォーミュルゼンは、フォーミュルゼン家八男で、そして魔人否定を世に発信する、否定派の筆頭とも言える存在だからだ。そんな輩がこの肯定派の國に居てよいのかと思うが、実際リスドは肯定派の皮を被った否定派であるし、大した問題ではないと思う。
小さき存在を淘汰し、大きな存在を擁護しなければいけないのは國の道理。仮に取らなかったとしたら、その國は崩壊の一途を辿る事になるだろう。
今回も、前回も、前々回も。エリが何もしないのは、その崩壊を回避する為である。そしてそれを分かっているからこそ、レイリンは周囲の人間に非道を行う。悪意が無いわけではないのだ、この男は。
すっかり萎してしまったレイリンに、最低限の禮とばかりにエリが呟いた。
「私とした事がこのような事で心してしまった……申し訳ありませんね」
このような事、と言ってしまう自分に腹が立った。レイリンの前で無ければ、自分をぶん毆っていただろう。「非禮を詫びよう……レイリン」
非禮を超えて、無禮なのは貴方だがな、という言葉は何とか呑み込んだが、腹の中でその言葉が発。何を言った訳でもないのに、冷や汗をかいてしまう。
すっかりエリに怯え、僅かに失していたレイリンだが、エリの謝罪で調子を取り戻したのか、軽口を叩き始めた。
「い、いやあ、まあ分かってたよ。何だかんだいって、お前は俺のだからな。幾ら怒ってても、それは変わらないんだ。なあ? 許嫁エリ」
―――屈辱的だった。まさか、こんな外道が―――自分の許嫁だなんて。
出來る事なら破棄したい。
出來る事なら逃げたい。
だがそれは許されない。家族の為に、自分の為に。そして何より國の為に。
エリはを噛み、を押し殺す。が出ても、気にしない。
こんな、こんな屈辱を味わうくらいなら、いっその事―――死にたい。
レイリンはすっかり調子づき、立ち上がった。そしてエリの後頭部を摑み、自分へと寄せる。
「何? 悔しいの? 怒ってるの? 俺のはそういう顔も可いなあ。なあ……鎧をげよ。ついでに服もげ。大丈夫だって。こんな朝っぱらから起きてる奴なんかいないって。お前のを味わいたいんだよぉ……なあ」
レイリンが當ての辺りをでまわすと、エリは反的に、レイリンを突き飛ばした。
まさかそんな事をされるとは思ってなかったようで、レイリンは力の方向へと吹き飛び壁に激突。何が起こっているか分からない様子だった。
暫くして事態を理解したのか、レイリンは震えた聲で怒鳴った。
「おぉぉおい! な何をしたかぁわゎぁぁゕってんのかあ! もうぃぃ。親父に言いつけてやる!」
「え……………それだけは」
エリは自分自に言い聞かせながら、やっとの事でそれを言った。その甲斐あって、レイリンの言葉が止まった。
「あ?」
「……それだけは、どうか……」
エリは両ひざをついて、そして頭を下げた。
何か不都合が起きるとすぐこれだ。そんな事を言われては逆らえないというのに。
「鎧をげ」
レイリンは相當調子に乗っているが、それに逆らう事は出來ない―――いや、逆らえないと分かっているからこそ、調子に乗っているのか。
諦めたように、エリが鎧をごうとした……時。
「ハァァァアアア!」
外から凄まじい闘気をじる聲が響く。エリ反的に立ち上がり『獅辿』を取った。
「え―――ちょ、おい。跪けよ!」
「そんなくだらない事をしている暇はない!」
後ろから『もう絶対に許さないからな!』という聲が追ってくるが、エリはそんな事は気にしない。
歩哨は要項第二項―――如何なる場合も、砦を離れる事なかれ―――によって、援護は出來ない。今は依頼に協力という形を取っているエリしか、助けには行けないのだ。何よりエリには外の人に心當たりがある。
そう。それはウルグナの行方を心配していたただ一人の人。
「あれほど無茶はしないでとお教えしたはずですよ……ワドフさんッ」
ワドフの剣が、ゴブリン亜種を袈裟切りにした。ゴブリン亜種は奇聲を発し、絶命。果たしてこの耳障りな聲を聴いたのは、何回目だろうか。もはやそれすらも分からない。
何せこのゴブリン亜種、數が多すぎるのだ。ワドフが最初に見立てた數の二倍―――いや、三倍は行くだろう。先ほどまで綺麗なままだったも、奴らのと自らので赤黒く染まり、ワドフの印象を百八十度変えるものへと変化していた。
即ち、新米冒険者から、戦に舞う戦士に。それほどまでに、ワドフの全はにまみれていた。その姿を見ればきっと、冒険者は魔より彼に警戒心を抱く。
しかし、だからといって魔が彼を恐れる訳ではない。現にゴブリン亜種共は恐れずして、彼に掛かっていっている。
やはり數の暴力とは恐ろしいものだ。幾ら斬っても、斬っても、斬っても。攻撃の手は緩まない。
次第にワドフのは言う事を聞かなくなってきた。
「はぁ……はあ……ハァッ!」
次第に軋み、痺れ、重くなっていく手を無理やりかし、ワドフは剣を振るう。殆ど遠心力で振るわれたそれは、忽ちゴブリンに弾かれ、追撃を加えられそうになるが、寸前、力のままにを回転。振り下ろされし棒をぎりぎりで躱した―――が、限界が近いのか、剣が手から離れそうになる。
「……ハァァァァ!」
それでも離す訳には行かない。ワドフはあらん限りの力を絞って、大振りで振り下ろすと、眼前のゴブリンの首に直撃。切斷とまでは行かなかったが、間違いなく絶命しただろう―――気づいてると思うが、ワドフの剣はゴブリンの首に食い込んだまま。そして今のワドフでは、到底抜けそうにない。
ワドフの背中に強烈な一撃。骨が軋み、神が削られるそれを、人は『痛み』という。致命的な隙を突かれた、完璧な一撃だ。
「ア゛ッ……」
ワドフの足が地面から引き剝がされ、吹き飛んだ。地面に全を數秒削られ、ようやく勢いが死んだ。
かろうじて意識は殘っているが、もう直その意識もなくなるだろう。逃げるにしても、後方にはゴブリン亜種。砦はさらにその後方。
どう足掻いても、生きられる訳がない。
―――ああ。
―――ウルグナさんや、キリーヤちゃんに、何て言えばいいのやら。
ワドフの視界が無に包まれた。それは白でも黒でもなく、完全なる、無だ。で表す事など出來ない。それは紛れもなく、『無』だからだ。
人類が魔を発見したのは、隨分前の出來事ではあるが、それでも、このような景を見たのは、世界開闢以來、きっとワドフが初めてだろう。
心なしかも軽い。まるで持ち上げられているようだ。死んだのか、それとも生きているのか、何でもいいが―――悪くない気分だ。
ワドフの意識はそこで途絶える。
確かな死の予をじながら。
「噓……」
「……こんなはずは」
「ハァ……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!」
百鬼夜行。そんな言葉では説明がつきそうもないだろう。ウルグナたちが森を出た時、その傍らには戦慄の景が広がっていた。
ワドフが獣のような聲を上げ、ゴブリンの大軍へと突っ込んでいく。その様は、まさしく玉砕覚悟と言った所。それはウルグナに驚きを持たせるものであり、同時に、彼が如何に生命に執著しているかが分かった。
そう彼は今、生きるために戦っているのだ。そこにしさや華麗さはいらない。無殘で荒々しく、そして醜く、命を刈り取る。己の命を刈られないために。
ワドフにここまでの強さがあったとは、ウルグナも予想外だ。だが、やはり戦局は數の多い方に傾きつつあるようだ。
「ウアアアァァァ!」
「……」
「……ハァァァァ!」
「あの、ウルグナ様……助けないんですか?」
キリーヤがこちらに視線を向けた。
「……私には関係ない事だ」
ウルグナは砦の方へと歩き出そうとした―――が、キリーヤに裾を引っ張られけない。
「関係ないと言ったら関係ない。いいから離……せ?」
ウルグナは我が目を疑った。
キリーヤは目に涙を浮かばせながら。戦う彼を見てほしいと言っているかのようにこちらを睨んでいたのだ。
その奧ではワドフが戦っている。は、とっくにゴブリンに打ちのめされ、限界であるはずなのに、それでも剣は離していない。
「私に、どうしろと?」
「今のウルグナ様が、影人―――何も失っていない頃のウルグナ様ならば、分かる筈です」
キリーヤの一言に、ウルグナは靜かに目を伏せた後、その景を改めて見據えた。
そうか。あれは。
そう。あれはまさしく魔人と爭っていた頃の自分。己の剣一つで、化けと爭い命を取り合っていた自分。只殺される仲間達を救いたくて、必死に剣を磨き、そして頼られるようになった自分。
実に醜く、実に不細工で、実に尊い、生を求める姿。ワドフの姿は、昔の自分に良く似ていた。
「ア゛ッ……」
ワドフが倒れる。もう限界のようで、そのは殆ど機能を停止していた。
逆転など在り得ない。誰かの助けが無ければ彼は―――
気づけば、キリーヤの隣から、ウルグナの姿は消えていた。
「どけエエエェェェェェ!」
後方のゴブリンがこちらに気づき、こん棒を振り上げたが、し遅い。掌をゴブリンの一人にねじ込み、無慈悲な一言。
「焼點アータル!」
直後、ゴブリンの腹が轟音を散らして、炸裂。臓やら骨やらが全て吹き飛んだ為に、の開いた腹部からは向こう側が見えた。もはや聲すら出せず、ゴブリンは絶命。
その音の蔭か、さらに前方のゴブリンもこちらに気づいたが、あまりに遅い。遅すぎる。
「狂龍アジ・ダハーカ!」
ウルグナが爪を立て勢いよく周囲を薙ぐ。
すると、その方向に居たゴブリンの部位が突然喰われたように消失した。その場所は顔やら腕やら局部やら様々で、ゴブリン達は恐怖を隠せない。
ゴブリン達は、無防備なワドフを狙う事など忘れ、ひたすらに不快な聲で騒いでいた……のだろう。今のウルグナには、何も聞こえない。
「ワドフさんッ!」
ついにワドフの下へとたどり著き、ウルグナは脈を確認する。―――弱い。放っておけば、死にそうだが、裏を返せば、きちんと面倒を見れば助かるという事だ。
大きく息を吐き、心を鎮める。後方では狂龍を免れたゴブリンがこちらに押し寄せてきていた。
自分の顔を偽っていたが解けるが、問題はない。目を瞑り、無念無想の狀態となる。
準備は整った。
ゴブリンがこちらへと辿り著き、こん棒を振り上げた。
―――最強にして最悪。人類が忌として、その存在を封印した神造魔。その名を―――
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