《ワルフラーン ~廃れし神話》衝突
ワドフを再び船へと返した後、アルドは懐から寫転紙リザーブコレクションと呼ばれる紙を取り出し、地面へと押し付けた。この紙は、魔を陣として記録できる紙で、『影人』にならない限りは魔を行使出來ないアルドにとっては、唯一の手段である。ちなみに常に所有しているのは三枚、これは『転閃スワップポイント』という上位魔である。ちなみに屬である。
紙を地面に押し付けて數秒、地面がほんのりとったのを見て紙を離した。そこには黃緑の魔法陣が描かれている。功だ。
今頃は船の方にも魔法陣が出現している頃だろう。これで魔力を知さえされなければ、この魔法陣の存在もバレる事は無いだろう。されなければ、だが。
時刻はもう朝方だ
いい加減に寢ないと、睡眠を楽しめない。それに―――この時間帯は、人間だった頃の名殘で、力の制がしにくい。今は全力が出たら困るのだ。寢ないとしても、大人しくしてなればならないだろう。
アルドは上り始めた日を眺め、自分の事を忘れているだろう弟子たちの事を思い出す。
『先生、俺、先生の本気が見たいです』
『師匠、私は貴方を超えて見せます』
『アルド先生―――』
人間を相手にする以上、彼等も相手にしなければいけないのだろうが、あまり気持ちの良いモノではない。自分で育てた弟子を自分で摘む事ほど空しい事はないのだ。
なので、出來れば弟子達もこちら側になってくれればいいが、そう上手く行くはずもない。アルドを覚えている人間が他に居るのであれば、それはきっと弟子達を仲間に引き込もうとするはずだ。そうであるのならばなくとも、二人とは相対する事になるだろう。いや勿論、相対しないに越したことは無いのだが。
アルドは修行の痕を片づけ、家へと戻った。はてさて、どうしたものか―――
二日目、三日目と過ぎたが、ツェートは思った以上に呑み込みが早かった。完全に自分が上と認めてくれたからだろうか、自分の言う事は素直に聞いて、生かすという模範的な弟子となった。その代わりにツェートは友達を失くしたそうだが、本人は気にしていないらしい。曰く、『あいつらは師匠の凄さを分かってない』だそうだ。
あの紅い魔力にも有効活用法が生み出されたし、今より一週間後にあるらしい立ち合いの時には周りを驚かせるだろう。
しかし、ここ最近、ツェートの目的がすり替わったような気がするのは気のせいだろうか。以前は、『糞野郎』から馴染を奪って見せると言っていたが、何だか今は、『ヴァジュラに自分を見てもらいたい』という目的に替わってる―――ような。
アルドはに疎いので分からないが、ヴァジュラが修行を微笑ましそうに見ている時だけ、ツェートの腕はやけに固い。力んでいると言った方が良いだろうか。アルドは何度も指摘しているが、直りそうにない。なくとも、ヴァジュラが見ている間は。
惚れたとしてもそれは悪い事ではないが、だとしても目的がすり替わったのならそうであると自分に言ってほしいモノである。本當に惚れたかは分からないので、無理に問いただす事は出來ないが、仮にその惚れが事実だとしても、ナイツの陣はいやに他の者達から惚れられやすいので、特段目立った事態という訳ではない。皆綺麗だし、それも仕方ないだろう。
そして、ヴァジュラは自分の大切な者だと知ってから―――二日目の辺りだろうか、ツェートはこんな事を言いだすようになった。
『もっと厳しい訓練をしてほしい』
斷る理由がないので承諾したが―――三日目も、そして今も、ツェートは自分にかすり傷すら負わせられなかった。今もこうして、地面に橫たわっている。
「もうやめた方が良い。厳しい訓練という事は、私が手加減を弱めるという事だ。まだ修行して一週間も経たぬお前が、私と『戦う』事など出來やしない。諦めろ」
「……それでも……俺は、師匠に勝つんだッ」
「何の為に?」
「え?」
その瞳の奧からは、『戸い』が顔を出していた。
「お前、目的がすり替わってはいないか? 私が思う限りこれ程の訓練をせずとも十分立ち合いには勝てると思うぞ。何故にお前は強さを求めている」
「……俺は、取り戻したいだけだ!」
何故隠すのだろうか。自分はどんな発言をされようと、け止めようと決めているのに。
アルドはツェートを睨んだ。ツェートもまた、闘志を宿した眼でアルドを見據えた。
「本當か?」
「……ああ」
その瞳を僅かに揺らがせた後、ツェートは目を閉じた。そしてその姿に、以前の異常は見られなかった。
勝手な言いで悪いが、ツェートと最初にあった頃は、確実に『その馴染』に発している顔をしていた―――言い方が悪い。自分のモノと決めつけた雌を取り返す―――言い方が悪いか。
馴染に対して異常な執著心をじたのに、今では、年上に実らぬ心を抱く、他の大陸にどこにでもいるような普通の年。今のツェートを見てると、そういう想を抱かざるを得ない。
「……今日の訓練は終了だ」
「えッ、っちょ、俺はまだやれますよ!」
ツェートが脊髄反で飛び起きたが、答えは変わらない。ツェートに聞いてもおそらく答えてはくれない―――ならば、引き出して見せよう。
「今日はし、相手の実力偵察をしたいと思っている。悪いが、案してくれるか、ツェート?」
「え、ああ何だそういう事だったのか。別にいいけど……」
ツェートは怪訝な顔でこちらを見てきた。
「どうかしたか」
「……別にぃ」
やたら大移をしていたリスドアード砦とは違い、ここは小さな村だ。ある二つの間を移した所で、大して時間は掛からない。それに『糞野郎』とやらはどうやらここの地主の息子のようだ。
『糞野郎』の家もといエタン邸は、見渡す限りではあるが、白で統一されているのが特徴的だ。門は格子式で左右には警備兵。庭の草木は手れが行き屆いていて、常人の見る限り傷一つ付いていない。まるで建てられたばかりの家だが、実はかなり歴史が古かったりする。百五十年程だろうか。傷は魔で隠しているようだ。
「ここがあんの糞野郎の家だぜ」
既に家の前だと言うのに、隨分と無禮な言い方をするものだ。もう放っている自分にも責任の一端があるが、良くこんなに暴言を吐いて生きていられるものだ。
「まあいい。ここはれるか?」
「無理だぜ」
「む?」
間髪れずに返ってきた答えに、アルドは思わず聞き返してしまう。れない? 一どういう事だ?
「ほら、金持ちってさ、何か準備期間みたいなの設ける傾向があるじゃんか」
そういう様式というか伝統だと思うのだが……
しかしながら、事は理解した。婚姻関係にあるが故に本來は現在式の準備期間なのだ。そこにツェートが奪い返すと毆り込みに行き、立ち合いが急遽組まれた。だから一週間後にはその『糞野郎』と會えるが、それまでは會えない。大方そんなじだろう。
「どうしたものか……」
生憎王剣は持ってきていないので、『萬里眼』は使えない。かと言って強行突破というのも面倒だし、下手をすれば立ち合いが中止になる(今のツェートならば、別に中止になろうがどうでもいいような気がするが)。
アルドは心の中でため息をついた。只でさえ持ち札は切りたくないというのに、こんな所で切る事になるとは。
しかしながらこれは必要経費。大人しく出す事にしよう。
「ツェータ。心の中で十數えろ」
突然の命令にツェートは思わず聞き返してくる。
「何で?」
「今からある手段でる。私はお前を信用していない訳では無いが、手のは見せたくない。後は分かるよな?」
アルドは懐から寫転紙リザーブコレクションを取り出し、地面に押し付けた。
生魔終位―――
「……これで彼は振り向いてくれるのでしょうか?」
靜寂が支配する空間で、年は不安げに尋ねた。
「まあ、見立てによればそうなるが……あっちがあのままで居てくれるとは限らない。聞いたところによると、かなり腕の立つ冒険者を師匠として住まわせているとか」
カップを置く金屬音が聞こえる。小さな音でしかない筈なのに、二人にはやけに大きく聞こえた。
「でも、貴方は言いましたよね。彼は自分と結ばれるべきだと」
「言ったな。だがそれは『べき』であって、斷定では無い。確かに、俺は大分強いがそれでも『勝利 (ワルフラーン)』には葉わない。故に俺だって負ける事がある」
「……何が言いたいんですか」
青年は年と向かい合うように座り、カップを再び持ち上げた。
「もしあちら側に『地上最強』が居れば、俺は負けてしまうかもしれない。なくとも、弟子を使った間接的な戦いではな。……ほら、もうすぐ客人だぜ?」
「ははは、何を言っているんですか。今は儀禮要項第三項によって誰も立ちれない筈だし、何よりフルシュガイドの最大戦力がこちらに來る事などありえません」
その時、扉の方で鐘がなった。呼び鈴として設置してある鐘の音だ。という事は、彼の言う通り、客人なのだろうか―――
いやありえない。やはりあの門を通る事など不可能だ。門前の二人は然る事ながら、庭にも侵者対策に一人配置している。こんな所に客人など……
まさか―――彼か!
風のように軽やかに扉へと向かい、扉を押し開けるとそこには―――
「失禮。私は彼の期間限定ではありますが、師匠を務めている者です。今回はし、偵察をしに來ました」
部屋の奧から、カップを下した金屬音が聞こえた。
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