《社畜と哀しい令嬢》邂逅

お父さまの事を心の中で「あの人」と呼ぶようになったのがいつからなのかは覚えていない。

親とは思えなくなってから自然とそうなった。

お母さまへの対応や、憲人さま達との出會いで、あの人は他人なのだといつしか納得していたのだ。

憲人さまのおかげで霧が晴れた私には、あの人は化けに見えた。

お母さまの死を表向きは悼み、家では人とその娘と笑う。

人の心が無いのだろうか。

お母さまが、いったい何をしたというのか。

恐らく、あの2人はそう遠くない未來に再婚するのだろう。

もともと無かった私の居場所はさらに無くなり、追い出されることになるかもしれない。

お母さまも斉藤さんもいないこの場所は酷く靜かだ。

食事は作られ、洗濯や掃除だけは母屋の使用人がしてくれた。けれど彼達は用事を済ませるとすぐにいなくなってしまう。

私はこの広い建に1人殘される。

憲人さまのお家に行っている時や、習い事の時ならまだいい。

怖いのは夜だ。

お母さまの院中も似たようなものだったが、主人を失った家は冷たい空気が流れていて、小さな音にも怯えてしまう。

燈りのついていない廊下の先は真っ暗な闇で、飲み込まれてしまいそうだ。

そんな風に誰にも言えない恐怖は続いていた。

それでもなんとか過ごせたのは、憲人さま達のおかげだ。

學校は里が私を悪者にしていて居場所がない。家なんてそれ以上だ。

けれど鷹司家に行けば、誰もが笑顔で私を迎えて必要としてくれた。それが唯一の救いだった。

けれど、突然現れた“あの人”は、私を地獄に叩き落とした。

『お前と、鷹司憲人の婚約を解消する』

最初、何を言われているのか分からなかった。

里が正式に俺の娘になる。鷹司憲人は里と婚約する。向こうも快く承諾してくれた』

続いた言葉に私は目が眩んだ。

“鷹司憲人は里と婚約する”

足に力がらなくて私は座り込んだ。

あの人はそれを煩わしそうに見て部屋を去る。

去り際には私の端末を使えなくする、と吐き捨てて。

「どうして…」

信じられなかった。どうやっても、信じられなかった。

私の知る鷹司家の人々は、誰かを傷つけるような人達じゃない。

私が悲しいのは嫌だと言ってくれた彼らが、こんな一方的に別れを告げるはずがない。

「連絡を……」

まだ使えるはずだ、と端末を手に取ったのに、私はけなかった。

(もし……萬が一、本當だったら……?)

彼らはそんな人達じゃ無い。

分かっているはずなのにけなかった。

だってもし。もしそれが事実で、そんな事を言われてしまったら。

「私はもう……」

それ以上なにも考えたくなくて、私は端末を機の中にしまった。

ーーーーーーーー

婚約破棄を告げられてからひと月ほど経った頃、私は飽きもせず憲人さま達との過去のやりとりを眺めていた。

寂しさに押しつぶされそうな時や、現実に絶しそうになる時に見ると、心が溫かくなる。

私の中の彼らは優しいままで、だから生きていける。

ただ、それでも苦しかった。

里が離れにやってきては、憲人さまとのお茶會は楽しかったと話すからだ。

聞きたくなくて逃げても里は追ってきた。

とても、楽しそうに、嬉しそうに。

(やっぱり憲人さまがんだ事なの?)

そう思うたびに、が引き裂かれそうだった。

滲む涙を我慢しても、誰も泣いていいなんて言ってくれないし、泣いたところで意味もない。

そんな時には、自分がなんのために生まれてきたのだろう思ってしまう。

(ダメ、そんな事を考えたら。お母さまが悲しむわ……でもお母さまはもういないのだから、別にいいのかしら……)

ふと虛無が頭をもたげて、悪い考えが頭を過ぎる。

その時だった。

突然、端末の畫面にノイズが走った。

「え? 故障? やだ、待って」

この端末には憲人さまとのやり取りがっているのだ。

これまで奪われたら私はもうダメだ。

「お願い、戻ってーー」

私は思わず畫面を叩く。

そうするとノイズが徐々に収まっていった。

ホッと、息をつこうとしたその時。

「「え?」」

ノイズが完全に無くなって現れたのは、畫面いっぱいのの顔だった。

「きゃああ!!」

私は思わず端末を投げ捨てた。

見間違いでなければ、今間違いなく畫面にが寫っていた。

見たことも無いだ。

合なのかもと思ったが、端末には既に電波が繋がっていない。

「ゆ……」

言い切りたくなくて私は口を噤む。

でも聞いたことがある。

こうした端末と通した怖い話があると。

なのに私はこんな夜中に一人なのだ。

しかも端末からはの話す聲がしていた。

ゴクリ、と唾を飲んでの言葉に耳を澄ませた。さすがに覗き込む勇気は無かったけれど。

『あーでもこれが私と繋がってたらなー! 玲奈ちゃんは頑張ってるって伝えれるのに! 憲人さまは絶対玲奈ちゃんを好きだって言えるのに!』

「憲人さま…!?」

の言葉に、考えるより先にいた。

このは憲人さまを知っているの?

しかも、まだ私を好きでいてくれるって言ったの?

畫面を覗き込めば、顔を赤くしたが楽しげに手を振っている。

『やっほーい玲奈ちゃん! 私は日永智子でえーす! ふっはは!』

楽しそうなは、とてもじゃないが幽霊には見えない。

その様子にしだけ力して私は疑問を口にする。

「ひなが、さん…? 貴は誰ですか? どうして私を知っているんですか?」

『えっなんの偶然!? 同じ苗字とかスゴイ! あーでも智子さんって呼んでほしい。それかお姉さま』

は私の聲が聞こえてるのに私の言葉を理解してないようで、話が噛み合わない。

恐怖は完全に消えてはいないが、私は彼との會話を諦めたくなかった。

「ともこ、さん…でよろしいのですか? 貴は誰なんでしょうか」

私が問いかけると、はえ、と呟いて目を丸くした。

『私が……見えてるの?』

「はい。見えてます。ひなが、ともこさん」

『うっそ……』

何故かは私に自分の姿が見えていないと思っていたようだった。

私は眉を顰めてを見つめた。

「私は貴を知りません。會ったこともありません。なのに何故、私を知っているのですか?」

この問いにはしばらく黙り込んだ。

暫くして何かを決めたように私を見つめる。

強い瞳で、なんだか綺麗だな、と見當違いな事を考えてしまう。

『……玲奈ちゃん』

「はい」

『先に言わせてほしいんだけど、私は怪しい者じゃないわ。いや……どう考えても怪しいよね。ええと……変態とか、幽霊とか、犯罪者とかじゃないのは間違いないわ。それだけ信じてほしいの』

「はあ……」

しどろもどろのに、私は気のない相槌を打つ。

の言うとおり、どう考えても怪しいからだ。

『あー……私の事を話す前に、一つ変な事を聞いてもいい?』

「……はい」

『貴は、宮森玲奈を演じている子役、とかでは無いのよね?』

「え?」

『私と話しているあなたは、ドラマの登場人なんかじゃない。それであってる?』

私には彼の問いの意味が分からなかった。

私がドラマの登場人だなんて、何を言っているのだろう。

(でもドラマなら良かったのかもしれないわ。ドラマならお母さまは現実には生きてるもの)

暗い考えが過ぎって私は首を橫に振る。

「わ、私は、ドラマの登場人なんかじゃありません。何を仰っているのかわかりません」

『そう……』

私の返答には何かを考えるように指を口に當てた。

もどかしい時間が流れながらも、何故か邪魔できなくて彼の言葉を待つ。

すると、が顔を上げた。

その瞳には強さと溫かさがあって、鷹司家の人たちを思い起こさせた。

『玲奈ちゃん。気味が悪いかもしれないけれど、私はあなたをしだけ知ってるの。あなたがどれだけ頑張り屋で強くて優しいか、あなたがどれだけ踏み躙られてきたのか』

「なにを……」

私の言葉を遮っては言葉を続けた。

『私なんかじゃできる事はないかもしれないけど、私は玲奈ちゃんの助けになりたい。でもすぐに私の事を信じろなんて言えない。だから玲奈ちゃんにも私を知ってほしいの』

は私から視線を逸らさなかった。

強い瞳で私に力強く呼びかけながら、彼はニヤリと笑ってみせた。

『繋がらないはずの端末になぜかこうして繋がったんだもの。奇妙な巡り合わせだと思って、しだけ付き合ってくれないかな?』

普通に考えて、おかしな話しだ。

見たことと無いが自分を知っていて、助けになりたいなんてどう考えても怪しいに決まっている。

なのにから目を離せなかった。

の言葉が嫌じゃなかった。

だって彼の言うとおり、この端末は本來なら繋がらない。

なのに、こうして繋がるだなんて。

“奇妙な巡り合わせ”というの言葉が耳に殘る。

「あなたが誰かわかりません。正直、怪しいと思っています。でも不思議と嫌じゃないんです」

『玲奈ちゃん……』

「私に、あなたの事を教えてください」

こうしてこの時、私と日永智子さんの人生が繋がった。

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