《社畜と哀しい令嬢》悪意と安らぎ

玲奈視點です

「あんた、この家から追い出されるんだってね」

帰宅して離れに向かっている途中、私を待っていたのか里が突然姿を現わした。

いつもの不機嫌さは微塵もじられない、心底楽しそうな笑顔を浮かべて私を見ている。

「ええ」

「ねえ、気分はどう? 母親に死なれて、婚約者に捨てられて、あげく、お金しか見てない爺に引き取られるんでしょ? 可哀そうすぎて、さすがの私も同しちゃう」

「……べつに」

私の答えがつまらないのか里はムッとを突き出した。しかしすぐに笑顔を見せる。

「私ね、とっても素敵な案を持ってきたの。不幸なあんたにちょうどいい、これ以上無いアイディア!」

夢を語るのように里は両手を広げた。

そのしぐさは可らしいもので、里によく似あう。

「あのね、あんたが死ねばいいんじゃないかなって思ったの」

里の言葉に――正確には里の瞳の暗さに私は息を呑んだ。

「だってこの世で誰もあんたを必要としてないでしょ。だからいっそ死ねばいいのかなって。それなら母親にも會えるじゃない!」

無邪気な笑顔の里は、心からそう言っているようだった。

里が私に憎しみを抱いていることは知っていたが、ここまでなのかと思わず後ずさる。

僅かな私の怯えをじ取った里は、満足げにフフッと笑った。

「なーんてね。じょうだん。どうせなら慘めに生きて、生き地獄を味わってほしいから」

それだけ言うと、里は軽い足取りで去っていった。

―――――

『はあああああああああああ!?』

端末に向かって今日の出來事を話すと、智子さんが顔をしかめてんだ。

智子さんから端末を貰ってからは、こうしてまた一日の終わりに話をするのが日課になっている。

『あのクソガキなんてことを!! 今すぐ刺客を放ちたい!!』

端末に摑みかかる智子さんに思わず私は笑った。

「私は気にしてないので大丈夫です。一瞬殺されると思いましたが」

半分本気で半分冗談の私の言葉に、智子さんはピタリと止まって真面目な表を浮かべる。

『玲奈ちゃん、の危険をじたらすぐに走って逃げてね。そこにいる限り私は手が出せないから、今は立ち向かうよりも逃げる事を優先して』

私を案じる智子さんの言葉に、私も真剣に頷いた。

「はい、全力で逃げます! …とは言っても今は里も機嫌が良いですし、なによりあと三週間の辛抱ですから」

私がそう呟くと、智子さんは息を吐いて、それからへにゃりと笑った。

『心配は心配だけど、あと三週間かあ』

「まだ実が全然湧きません」

『それは分かる! でもね、新居はすっごい立派だよ! 早く見せたいなあ! 楽しみにしててね!』

「はい!」

智子さんの言葉に私は頬を緩めて何度も頷いた。

私の今後についての話を智子さんから聞かされた時、私は強い衝撃をけた。

それというのも、憲人さまと婚約するために私が三條家の養子になる事と、実生活で私の面倒を見るのが三條家ではなく智子さんであるという事を聞かされたからだ。

実はこの話を聞いた時、軽い冗談だと思って信じていなかった。

あまりにも私に都合が良すぎる話だったからだ。

そもそも、智子さんが私を助けてくれるのは、現狀を改善するところまでだと思っていた。

私と智子さんは言ってしまえば赤の他人だ。私の面倒を見る義理なんて無い。

だから冗談などではないと知った時、私は困した。

だって私のような面倒な事を抱えた子供を引き取れば、智子さんの負擔になってしまう。それだけは絶対に嫌だった。

そんな私の悩みを、智子さんは笑顔で一蹴した。

『私はね、玲奈ちゃんと家族になりたい。玲奈ちゃんが嬉しい時も悲しい時も大変な時も一緒にいる権利がほしい。こんな畫面越しなんかじゃなくて、目の前で抱きしめて大事にしたいの。別に同して言ってるんじゃないよ。私って結構薄な人間だからさ、いつもならこんな事ぜったいに考えない。でもだからこそ、私と家族になってくれませんか?』

噓偽りのない智子さんの言葉に泣きそうになったのは、私も同じ気持ちだったからだ。

畫面越しではない智子さんに會って抱きしめられた時、その溫かさに安堵した。

この腕の中にいれば私は大丈夫なのだと思えた。

ずっと智子さんが傍にいてくれたらいいのに…そんなが芽吹いて、我儘は駄目だと打ち消した。

諦める事には慣れているつもりだった。を噛んで瞳を閉じれば心を殺せるからだ。

それなのに、智子さんはいつも簡単に隠れた私を見つけてしまう。

私が諦めていたもの全てを両手に抱えて、守ってあげると笑ってくれる。

だからこそ、その優しさに縋る事を恐れたりはしないと決めた。

「…智子さん」

『なあに?』

「大好きです」

『…っうう…!!』

湧きおこるのままに言葉を紡ぐと、奇妙なうめき聲をあげた智子さんが畫面から唐突に消えた。代わりにドスン、ゴツッと鈍い音がして私は慌てる。

「と、智子さん!? 大丈夫ですか!?」

『…玲奈たんが…可くて……つらい……』

「ええ…?」

『可さに…殺されてしまう…』

「えええ…?」

この後智子さんは、私がどう可くて天使なのか、という非常に困る話を延々と続けた。

嬉しいけれど、恥ずかしい。

一緒に住んだら、毎日こんなじなのだろうか。

それはちょっと困るかも…そんな風に考えた自分に思わず笑った。

そこからは里の襲撃も無く、驚くほどあっという間に三週間が過ぎた。

明日、私はここを出る。

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