日が沈み始めた夕暮れ時。ふぅー、と大きな吐息をらした私の前には、見慣れた景が広がっていた。

「う、植え終えた……」

持ち運んできた薬草たちが凜と生え、魔力を帯びた葉が夕日に照らされている。狹い鉢植えの中から解放された薬草たちは、この土地を気にり、びびと過ごしているみたいだった。

どうやら無事に移植できたらしい。これで薬草に関しては、安心してもいいだろう。

張り詰めていた張が解けると、疲労が重しのようにのしかかり、私は本日二度目のヘトヘト狀態である。

途中でリクさんが軽食を用意してくれなかったら、今頃は白目をむいて倒れていたに違いない。優しい気遣いと領主さまの厚意に謝の思いしかなかった。

またじゃがいものガレットが食べたいなーと思うあたり、何に一番謝しているのかは、言うまでもないが。

に満ちた邪念を振り払った後、最後に薬草畑の前でしゃがみ、目を閉じて祈りを捧げる。

「大地の祝福に謝を」

こうして畑の無事を願い、大地に謝するのが習わしだった。

決して、もう一度じゃがいものガレットが差しれに來ることを願ったわけではない。

「よし。じゃあ、これで今日の仕事は終わり……って、これからどうしたらいいんだろう」

我が儘を言って植栽作業をさせてもらっていたため、どこに移すればいいのかわからない。もはや、迷子の子供と変わらなかった。

屋敷の警備に回ってくれたジャックスさんを探そうかな。そう思って立ち上がると、ふいに服をクイクイッと引っ張られる。

不審に思って後ろを振り向いたら、そこには小さな獣人がいた。

大きな耳をパタパタとかすライオンのの子で、モフモフの尾が優雅に揺れている。一見、私と同じように迷子のの子に見えるが、侍服を著用しているため、この屋敷に雇われているんだろう。

「奧方。終えた？」

「……」

可い。つぶらな瞳で上目遣いしてくる獣人のの子に、私は開いた口が塞がらない。

「奧方。終えた？」

「あっ、はい」

奧方って、私のことか。まだ領主さまとお會いしてもいないのに、そういう扱いをされるとは思わなかった。

しかし、どこかマイペースな彼は気にしない。引っ張っていた私の服から手を離し、を大きく張る。

「こほんっ。私が奧方の侍に選ばれた、百獣の王マノンだ。がおーー」

「……」

両手を曲げて、襲い掛かってくるようなポーズを取る彼が、とても可い。これは領主さまの趣味だろうか。

「私が奧方の侍に選ばれた――」

「聞こえていましたよ。驚いて聲が出なかっただけで」

「申し訳ない、奧方。ライオンの威厳が出て、驚かせてしまったようだ」

領主さまの趣味ではなく、本人の意思によるものだと察した。

本當にライオンの威厳があったら、侍にならないのではないだろうか、という冷靜なツッコミはやめておこう。

単純に大人げないし、まだ小さなこの子の夢を壊したくはない。

こんなに可い子が侍になってくれるのは嬉しいなーと油斷していると、急にマノンさんがキリッとした表を向けてきた。

「奧方、隨分と疲れているように見える。先に湯あみにしよう」

「えっ？　湯あみ？」

「お風呂のこと。熱い湯が、がおーーっと出ているところだ」

さすがに私も湯あみの意味は知っているが、まさか自分がることを勧められるとは、夢にも思わなかった。

実家にはお風呂がなかっただけでなく、私は汚れたや服は川で洗っていたので、唐突に言われてもけれ難い。まだ嫁いできたばかりだし、言われるがままっていいものではないだろう。

ましてや、一週間の旅を終えて、我が儘を言って薬草を植えさせてもらったばかり。贅沢な行為は控えないと、図々しい嫁だと思われてしまう。

完全にマイペースなマノンさんは、そのことに気づいていない気がする。

「申し訳ない、奧方。またライオンの威厳が出て、驚かせているようだ」

どうしよう。考え事をしていただけなんて、言いにくい。『がおーー』という言葉だけで威厳は発しないと、誰か教えてあげてしい。

そもそも、威厳があるのかないのかは別にして。

「気遣っていただかなくても構いません。これくらいなら、し休めば大丈夫ですので」

「本當に？」

「本當です。を拭くために、濡れタオルをいただけますか？」

「……」

どうにも納得がいかないマノンさんは、ジーッと見つめてくる。そして、私のを軽くトントンッと叩き、何かの確認を始めた。

「無理は良くない、奧方。疲労困憊、筋が悲鳴を上げている」

なぜ軽くっただけでわかるんだろう。小さな獣人のの子と思っていたけど、意外にしっかりしているのかもしれない。

私の侍と言っていたし、ここは素直に話した方がいいかな。

「まだ顔合わせもしていませんし、薬草の移植を終えただけです。湯あみという贅沢なもてなしをける資格はありません」

「……十分ではないだろうか」

「えっ？」

「もてなされるのに、十分ではないだろうか」

キョトンッと首を傾げたマノンさんは、相変わらず私をジーッと見つめていた。

「長い旅路を終えたばかりなのに、奧方はすぐに仕事に取り掛かってくれた。その姿を見て文句を言う者など、この屋敷にはいない。薬草を植えてくれた奧方には、きっと皆謝している」

小さなの子に純粋な気持ちをぶつけられると、何とも歯がゆい気持ちになってしまう。

こうして誰かにお禮を伝えられるのは、何年ぶりになるだろうか。些細なことでも認めてもらったことが嬉しくて、なんて言葉を返していいのかわからない。

思わず、私はマノンさんから目を逸らした。

「初めて訪れた土地で、自分よりも薬草の心配ができる奧方は、とても優しい。しかし、自分を蔑ろにするのなら、ここでドクター侍ストップだ。がおーー」

再びマノンさんのライオンポーズが炸裂して、ついに私は萎してしまったのかもしれない。反抗する気がなくなり、お言葉に甘えようという気持ちになったのだ。

そのことに気づいたマノンさんは、ニコッと満足そうな笑顔を浮かべる。

「ふっ。ライオンの威厳に逆らうことなどできまい。やはり奧方の侍を勤めるのは、私しかいないようだ」

私の侍はズルイ、そう思った瞬間だった。