「……セレイス様……」

整った顔を見上げながら、私は思わずつぶやく。セレイス様はとても優しそうに……とても嬉しそうに笑った。

幸せそのもののようにうっとりと笑い、でも目だけはただひたすら黒くて無表なままに見えた。

その黒い目が、ふといた。

セレイス様の足元に向いている。それでやっと、黒い犬が一緒にってきていたことに気が付いた。

まるでセレイス様の目のように黒い犬は、私を見て笑った。

銀の目がまぶしい。

でも近くで見ると、思っていたより普通っぽくなかった。長く鋭い牙は魔獣そのものだ。それに長いは緩やかに波打っている。

優雅で、おぞましく、総立つようなしい犬。

……違う。これは犬じゃない。魔獣でもない。小型化して犬の姿に近くなっているけど、本質は犬のようなではないようだ。

「……蛇……？」

「おお、君にはわかるんだね！　さすが我が神だ。彼はとてもしいだろう？　彼も君に興味を持っていて、協力してくれているのだよ。だからね、君のそのしい髪を、し彼に分けてあげてほしい」

浮かれているのか、セレイス様はし早口だ。でも私は、セレイス様が異國語を喋っているようで何一つ理解できなかった。

この人は何を言っているんだろう。

なぜ、短剣を抜いて近付いているのだろう。

魔法のをけて輝く抜きの刃を見つめながら、私はゆっくりと立ち上がった。

セレイス様の顔は見ない。あの黒い目も見ない。騒な刃と優雅な痩だけを見ながら、しずつこうとした。でもその方向にいつの間にか黒い犬がいて、足を止めてしまった私を嘲笑うように牙を剝き出しにした。

「だめだよ。僕のリリー・アレナ。君のしいに傷をつけたくないんだ。ああ、短剣が怖いのかな？　大丈夫だよ。今日はし先を切るだけだ。ほんのし……先を揃えるくらいだから」

セレイス様は優しくそう言うけど、問題はそこじゃない！

そうびたいのに、が思うようにかなかった。鎖がどんどん重くなる。持ち続けることができなくて、床に落としてしまった。

ガチャン、と重い音が部屋に響く。

同時に、足も重くなって私は思わずよろめいて膝をついてしまった。黒い犬の魔力はにも作用するのか、手足のきもおかしい。目まで上手くかせなくなってきた。

それに、頭がさっきよりさらにぼやけている気がする。これも魔力のせいらしい。

「やりすぎじゃないかな。リリーのは傷つけたくないのだが」

『傷など、後でいくらでも癒せるだろう。そんなことより、さっさと切り取れ。我にその者の一部を與えよ』

「せっかちだなぁ。でも、リリーはお転婆な子だから、そのまま押さえ込んでもらおうか」

セレイス様はけない私のそばに膝をつき、私の髪を持ち上げた。白い髪の房を見つめ、うっとりと微笑んでから短剣をかす。

サクリと小さな音がして、セレイス様が持ち上げていた髪が自由を取り戻して落ちていく。切り取られた一部が手の中に殘っていた。

……切られた。

お姉様に褒めてもらった私の髪が、切られてしまった。

ほんの一房だけど。

でも、私は自分でも想像しなかったほどショックだった。セレイス様の手の中に、癖のある真っ白な髪が乗っていることに傷ついてしまった。

「切り取っても、まだしいな。惜しいが……」

『報酬をよこせ』

「強な異界のものよ。け取れ」

セレイス様は微笑みながら白い髪を犬へと投げた。

ふわりと髪が広がり、でもすぐに吸い取られるように犬の方へと集まる。犬はそれを一飲みにして、満足そうに笑った。

『ふむ。やはり良い味だ。いったい誰の縄張りに隠れていたのやら』

黒い犬の姿をとる異界の存在は、くるりと私の周りを歩く。

直する私を見て、口を大きく開けて笑った。口の中で二に分かれた舌が蠢いていた。

ああ、やっぱり蛇なんだ。

鈍くなった頭で、私は必死に考える。

本質は蛇の形なのに、全く生態の異なる犬の姿をとるなんて、どれだけ力がある魔なのだろう。そう考えると背筋が寒くなっただけだった。

なのに、セレイス様は気安く黒い犬に話しかけた。

「さて、報酬を渡したところで、注文をつけていいかな」

『なんだ』

「その鎖、し無粋すぎる。せめてもっと細くしてほしい。リリーは小さなの子なのだよ。きを封じる目的なら、腕をつけてもいいんじゃないかな」

『人の方が強ではないか。まあ、そのくらいの注文ならけてやろうか』

黒い犬がそう言った途端、手のひらくらいの大きさだった鎖が小さく細くなった。まるで裝飾品のようなしい銀の鎖がさらりと床にびている。

代わりに、私の両腕に腕が生じていた。これも銀で、細やかな模様がある。

何これ。魔って趣味いいんですね。

私は半ば自棄になってそんなことを考えていた。

きにくさはしなくなったけど、魔力によって押さえ込まれる作りになっていると思うと、しも嬉しくはない。

でもセレイス様は満足したようだ。

短剣を鞘に納めて、うっとりと私の顎にれた。

「その鎖、よく似合うね。でも元気に歩き回る君も好きだったから、王都を出たら鎖は外してあげるよ」

「……私を、どこかへ連れ出すつもり？」

きにくくてやや舌足らずになったけど、なんとか言い返すことができた。

でも悔しいことに、目を逸らしたくても真っ直ぐしか見ることができなくて、私はセレイス様を見上げる形になっている。

それが嬉しいのか、質問してきたことに驚いたのか、セレイス様は目を大きくした。

「君は何も心配しなくていいんだよ。僕と一緒に暮らすのだから。ああ、でも僕は王都を出なければいけない。ずっと君と一緒にいたいところだが、父上が監視をつけていてね。いろいろうるさいから、あの犬と一緒に、先に外に出てもらうよ。何も怖いことはないから大丈夫だよ。一瞬で移できるから」

とろけるような甘い聲だ。でもそんなに優しく語りかけられても、ちっとも嬉しくない。

私は腹が立った。だからつい睨んでしまったけど、セレイス様はもっと嬉しそうな顔をしただけだった。この、変態めっ！

そう憤慨していたら、セレイス様が優しく微笑んだ。

「……ねえ、リリー・アレナ。しい狹間の神よ。君の本當のを見せてしいな」