《アナグマ姫の辺境領修復記》28.フォス一家

傭兵ギルド《眼狼》を雇って五日後。

彼らはまだ多くが対魔王との傷が癒えず療養中であるものの、わずかにける者は意外な活躍を見せていた。

「ほい」

顎に傷のあるベテラン傭兵、ヨハン・ダッケがハーブソースのかかった骨付きの大皿を置く。

まだ包帯の取れていないファニが今朝方、銃で撃ち取った豬のである。それを手早く捌き、朝食のテーブルに出してきた。

ジビエ料理は、山や森での野営に慣れている彼らの得意分野である。

ファニやセリムなど元のギルドのメンバーは、遠慮なく自分の席から大皿へ手をばす。アニエスの分はあらかじめ取り分けられ、目の前に置かれた。

「朝から豪勢ですね」

想をもらしながら、隣のレーヴェは頬に油をべったりつけ、を貪っていた。生來食旺盛なのか、彼は容量以上に口にを詰め込もうとする傾向がある。

一方、どちらかと言えば食が細いアニエスには、重い朝食だ。

の皿はレーヴェに譲り、ルーの作った瓜のスープにパンを浸してもそもそ食べる。

「キッチンを手伝ってくれる人がいると助かりますー」

今まで一人で館の食事を擔っていたルーは、嬉しそうにを食べていた。

それを橫で聞きながら、一気に増えた顔ぶれをアニエスは見回していく。

(この人數にもなると、ルーさんの負擔が大き過ぎるな。せめて食事は別の人に擔當してもらうべきか)

クルツや、時々はジークも手伝いにっているものの、これまで食事の用意から館の掃除、アニエスのの周りの世話まで一人にほとんどまかせきりになってしまっていた。

しかし本來はそれぞれに専門のメイドなり、食事に関しては料理人なりを置くべきなのである。

(全員まとめて警衛兵じゃなく、仕事容は一人一人と相談しよう)

誰が何をやれるか、それを納得してやってもらえるのか、各々の能力と格を把握し、人事を決めるのが主君の最たる仕事である。

「――あ。あとこれ晝飯用に作っといたから、持ってってくれ」

思い出したように、ヨハンが外回りのジークらに平たいパンにや野菜を挾んだものを渡す。包み紙には古新聞を使っていた。

「アニエス様も良けりゃあどうぞ。仕事しながら片手で食えますよ」

「・・・ありがとうございます。これも豬ですか?」

「いや、アナグマのミンチです」

「アナグマのミンチ・・・」

食材の現地調達は助かるものの、やはりどうしても心の隅で、獣と己を重ねてしまうアニエスだった。

◆◇

ホエェ―――

その日も、エインタートには魚の鳴き聲が響いていた。

コルドゥラらが調査を始めてから毎日、一度か二度は聞こえてくる。空の高くを通り、領主館を越えてローレン領まで屆くため、避難所にいる領民たちが聲の正をアニエスに訊いてきたことがある。

今朝も日が昇る前から、コルドゥラらは調査に出向いている。時々館に帰って來ては、リンケの部屋で機を借りて分析を進めているようだった。

まだまだ調査は始まったばかりだが、今日は口頭で簡単に中間報告をしてもらうことになっている。

というのも、念願の工人ギルドの責任者と、本日打ち合わせの予定を組んでいたためだ。

待ち人が無事に館へ到著したのは、晝過ぎのことである。

「どーぞよろしく、辺境伯閣下」

の中では比較的長のあるアニエスを見下ろして、エッダ・フォスという工人ギルドの親分は、若い領主に砕けた態度で挨拶をした。

誰もそれを咎める気が起きないほど、貫祿に満ちたである。レーヴェの話では五十代で二人の息子がおり、亡くなった旦那にかわりギルドを取り仕切っているという。

のように短く刈り上げられたダークブロンドの髪型が頼もしく、後ろに控える二人の厳つい工匠たちにも、たくましさでは負けていない。

(普通に傭兵としても強そうだ)

エントランスで彼らを出迎えたアニエスは、つい頭の中でセリムらと比べてしまった。彼ら十人より彼ら三人のほうが魔王と良い勝負をしそうに見える。

すでに気圧されているアニエスを目に、エッダは領主と共に出迎えてくれたレーヴェに、懐かしそうな目を向けていた。

「なかなか良いところに住んでるじゃないか、ミリィ」

「ええまあ」

レーヴェのほうはそっけない。

一時期はエッダのもとで事務として雇われていた彼だ。エッダもすっかりその扱いを心得ているらしく、すげない態度にも特段気分を害すことなく、上機嫌なままだった。初めての大口の仕事に浮かれているのかもしれない。

「さて、外を見る限りやることは山積みのようだが、どっから取りかかりましょうかね?」

「はい、詳しいお話は奧で」

アニエスは彼らをゲストルームへ通し、そこにコルドゥラも呼び、工人ギルドの三人とレーヴェも含めた六人で打ち合わせを行うことにした。

「――現在、エインタート領民として戸籍登録している者は三千名弱」

一人、ソファに座らず立つレーヴェが、はじめに淡々と資料を読み上げる。

「このうち、最も近いローレン領の避難所にいるのが五百余名、そこから通いで工事に來れるのが二百五十名ほど。他四か所の避難所にも五百名ほどの領民がおりますが、通いで働いてもらうには距離が難點となっております。また領民の三分の一は王都などローレン領以外の場所にそれぞれ自主避難しており、現狀で呼び寄せることは困難です」

エインタートはもともと小村ばかりだったとはいえ、戸籍が殘っている三千余名は、かつての人口の十分の一以下である。

すでに除籍してしまった領民まで呼び戻すにはまだ時間が必要だが、せめて戸籍を殘してくれている領民たちは早めに呼び込めるようにしたかった。

レーヴェの説明の後に、アニエスが口開く。

「人手の輸送は費用も時間もかかります。魔が平原からいなくなり、鳥獣の駆除も進めている今、まず労働者の仮設住宅をエインタート領に作りたいのです」

エッダもそこは頷いた。

「領地丸ごと一から作る大仕事だ、人手はいくらでもいればありがたい。仮住まいはうちらの分も含めて作らせてもらっていいんですよね?」

「はい」

正式な契約はまだ取りわしていないが、エッダはすでに乗り気である。

ただし、懸案事項が一つあった。

「問題は重機だね。それがあるかないかじゃ、工期も費用もだいぶ変わってきますよ、閣下」

「ええ、はい。重機についてはエンジンの付いている中古の品を、私の姉からもらえることになりまして」

それは上から數えて四番目の、エリノアやシンディと母を同じくする、ユーリエという姉である。その三姉妹のでは真ん中の三十三歳。彼はスヴァニル南部にあるウルリヤ領に嫁いだ、今や立派な侯爵夫人である。

ウルリヤは織が名産品で、國のみならず船で海外にも売り出し評判を取っている。スヴァニルの中でも屈指の経済力を持つ領地だ。

そこで裕福な姉に重機の借りれを手紙で打診してみたところ、すぐさま返信が來て、領地で埃をかぶっているしばかり型の古い、スチームエンジンが搭載された重機各種を譲ってもらえることになった。しかも、輸送もしてくれるという。

海外へ布を売りに行く大きな商船が、その途中にエインタートへ寄り、重機を降ろしていく算段だ。

「そこで障害となるのが、り江に棲みついている異界の巨大魚です」

ユーリエのいる南部は遠い。陸地を伝って重機をいくつも運ぶのは、とても現実的でない。

巨大魚を退治するなり追い払うなり、どうにかできなければ工事の開始はだいぶ遅くなってしまう。

続けて異界の魚の詳細については、コルドゥラが説明した。

「えー、調査は途中だけれど、とりあえず言えるのは、あの魚は魔ではないってことね」

足を組み、コルドゥラは現狀までわかっていることの報告をする。

「つまり魔力は検知されなかったってこと。未知の病原みたいなものも、今のところは検出されてないわ。海の水質や、周辺の生きにも特別な異常はなし。食べは小魚を食べてるみたいね。普段は深いところに潛って、水面に影が見えると浮いてきて食べようとする。きっとそうやって船も襲うんでしょうね。――あと、これはまだ検証が十分ではないんだけど、あの魚はオペルギットと同じ世界の生きなのかもしれないわ」

最後のものはアニエスが事前に聞いていなかった報だったため、眼鏡の奧でやや瞳が大きくなった。

「そうなのですか?」

「たぶんね。鱗から検出された《小霊》が、オペルギットの羽から検出されたものと同じなのよ。実際、一度異界の門が開いたことのある世界はまた開きやすいの」

霊とは、各世界の生から検出される目に見えない小さな存在で、コルドゥラ曰く、同じ世界に生きているものであれば、必ず共通する小霊が付著しているという。それによって、どの異界生がどの異界からやって來たのかを識別できるのだという。

「というわけで、あの魚を私たちは仮に《ヘウズギット》と名付けてみましたー」

コルドゥラはちょっとした冗談を披する時の口調だ。

ヘウズは古語で《歯》という意味である。鋸のような特徴的な歯からそう名付けたのだろう。ギットは《異》の意で、これが生の分類名となっている。なおオペルギットのオペルは《》を意味していた。

はあんなに大きいけれど、私が思うに、ヘウズギットはたぶん臆病な格よ」

「船を襲うのに?」

エッダが目を丸くしている。

「食べと間違えちゃうだけよ。私たちが調査に近づくと、すぐにパニックを起こしてしばらく海底からかなくなるの。本気でおどかしてやれば、船から荷下ろしする間くらいは追い払えるかもしれない。あの大きさの生きを殺すのは難しいもの、私たちにできるのはきっとそのくらいでしょう」

コルドゥラの説明が一通り終わると、アニエスがその後を継ぐ。

「ということなので、重機の搬については今月末には行うつもりで、ただいま計畫を立てているところです」

そこまで聞いたエッダは、景気よく膝頭を叩いた。

「わかった、そういうことならあたしらも手伝いましょう?」

「え?」

思ってもいなかった申し出に、アニエスは目を瞬く。

「こっちもはじめての大仕事を楽しみにしてたんだ。魚ごときのせいで頓挫しちゃあおもしろくない」

を乗り出し、エッダらは不敵に笑った。

「元工兵の仕事をご覧にいれますよ、閣下」

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