《アナグマ姫の辺境領修復記》50.護送

突然落ちた世界で、はや一週間が過ぎた。

捻挫した右足の腫れが引いてくる頃には、新しい生活の中で取りすこともなくなってきた。

アニエスと名乗る黒ずくめの領主に、ユカリは客として扱われることになり、個室を與えられ、足が治るまでベッドで安靜に過ごし、食事もメイドのが部屋まで運んでくれている。

食事はスープやパンが多く、たびたび出されるがなんのであるのかがよくわからないが、香草やスパイスが効いているためかさほど臭みもなく、普通に食べられることが幸いだ。

はじめこそ眼鏡をかけた怖げなになじられたものの、他に理不盡な要求をされることはなく、能力に見合わない使命を突然課せられることもなく、時々珍しさからかメイドの後ろに部屋を覗きに來る影が見えることもあるが、無理に押しって來たりはしない。どうやら騒がしくしないよう、主によくよく言い含められているらしい。

まさしく保護されているといった狀態だ。まだ元の世界に帰れるかわからない狀況でもあるが、食住が保証されている以上はそこまで慌てる気にならなかった。

更新されないSNSのページを開いて退屈していれば、たまに領主が様子を見にやって來る。この世界の人間はユカリとだいぶ顔のつくりが違い、またユカリ自も人の顔を覚えることが苦手であり、見分けられていない相手が多いのだが、この領主だけはいつも黒ずくめのため間違えずに済んでいる。

まだ十八歳だと言うのだから驚きだ。間もなく十九歳になると言っていたが、ユカリにはもっとずっと年上に見えていた。骨格の違いもあるが、十代らしからぬ落ち著いた言と、連日殘業でクマが染みついた學校教員のような気な様子がそう思わせるのかもしれない。

ベッドから窓の外を見れば、花の咲き始めたしい庭がある。だが、茨の絡む鉄柵の向こうにはほとんど何もなく、忙しい機械の音が一日中遠くに聞こえている。

ここは復興途中の辺境地らしい。村もなく、人もなく、魔と獣が闊歩していた土地をしずつ元に戻しているところであり、多の不便は許してほしいと、領主がすまなそうに説明していた。

(腰低いなあ)

々と話を聞き、ユカリが思ったことはそれだけだ。

喚ばれたわけでもなく、特に歓迎されてもいない世界で、これからどうなるのかもわからなかったが、それでも暢気な娘は漠然と、なんとかなるような気がしてしまっていた。

◆◇

異世界人を保護してから一週間が過ぎ、ようやく王城からの指示書がアニエスの手元に屆いた。

ユカリは王都へ護送する。彼がどこの世界から來たのかということも含め、そこで詳細な調査が行われ、今後の扱いについて決められることとなるのだ。

その旨を、終業後にへ伝えると、本人は大いに興していた。

「王都ってことは、王様に謁見的な!? すごい、ファンタジーっぽーい。王子様とか王様とかも見れたりするの?」

「えっと・・・」

何かを期待をしている異界の娘に、アニエスが戸うのはもう何度目かわからない。この一週間、怪我の合を窺いに來るたび、いつもどこか會話が噛み合わないでいる。

「國王に謁見することになるかは決まっていません。王城ではなく、はじめに異世界の研究をしている私の姉のもとへお連れします」

すなわち學院付屬の研究部に所屬する八番目の姉、コルドゥラのもとだ。異界魚に引き続き、再び彼の世話になる。

「えー、お姉さんいるんですね。何人兄弟なんですか?」

「えっと、十八人兄弟です」

「十八!? やばっ! 噓でしょ?」

「いえ、噓ではないですが・・・」

「マジで? 異世界やばぁ・・・アニエスさん何番目なの?」

「十六番目です」

「やばぁ」

の口癖は、だんだんそういう鳴き聲にも聞こえてくる。

大した時間を話しているわけではないが、妙な疲れを覚えたアニエスは、早めに用件を済ませてしまうことにした。

し急なのですが、明後日には王城から迎えが參ります。ユカリさんの足の合はいかがでしょうか」

「ん、はい。かすとちょっとは痛いけど、腫れたのは治りましたし、大丈夫です」

「では予定通りに」

「あ、はい。あ、でも、アニエスさんも一緒に來てくれるんですよね?」

暢気そのものだった娘が、急に不安そうな顔で窺ってきた。

「ええ、はい。私も呼び出されているので」

兄が異世界人と面會するかは不明だが、アニエスのほうは嵐の一件があったため、無事な様子を見せに來るよう言い付けられている。

また、ついでにエリノアの會社にも寄り、魔の化粧品の売れ行きについても話すつもりでいた。

なお今回の出張はアニエス一人である。領と部下たちの狀況をそれぞれ確認した結果、従者を連れて行く余裕はないという結論に達したのだ。

そこまで人手不足となってしまった原因は、矛盾するようだが近頃エインタートに人が増えたせいだった。

雑誌や新聞の宣伝でエインタートを知った人々や、また他の領地に移っていた元エインタートの領民たちが駆け付け、工員として雇いれを希してきた。人手はいくらでもしいため、その多くを雇った結果、小さな諍いが日々起きるようになってしまったのだ。

決して悪人がいるわけではないが、人が多くなればなるほど衝突が増えてしまうことは仕方がない。

今はジークやセリムらが警衛兵として、小さな混を片端から解消して回っている最中であり、狀況がもうし落ち著くまではを離せない。

従者を連れて行かなければ、帰りは一人となってしまうものの、領主になる前は単獨行が常であった。

どうせ移はほとんどが汽車と馬車の中なのだ。人目の多い王都を歩き回るのでなければ、そうそう問題は起きないだろうということで、エインタートの警護擔當たちを納得させた。

「一人じゃないんなら、良かった」

ユカリはほっとしたように言う。

護衛とはいえ、初対面の人間に連行されるのはやや不安なのかもしれない。

(私だって、まだ數日程度しか顔を合わせてないんだけどな)

思っていたよりも、ユカリに信用されているようである。

安心を與えられるよう努めてはきたものの、一方でずいぶん無防備なものだとも思う。

話を聞く限り、平和な世界で育ってきたことはわかっているが、同じように周囲に守られて生きてきたアニエスでさえ、見知らぬ世界で見知らぬ相手を一週間で信用できる自信はない。

(大丈夫かな・・・)

長兄が異界の娘を悪いようにすることはないにせよ、心の片隅で拾った責任を芽生えさせてしまったアニエスは、の先行きがいささか心配になってしまった。

◆◇

二日後、予定通りやって來た王都の使いに連れられ、アニエスはユカリとともに王都へ出発した。

ローレン領の駅までは馬車で行き、列車に乗り換え、飛行船に乗るもはや慣れた経路である。

道中は國王直屬の兵士が従者のかわりを務めてくれる。屈強で真面目そうな護衛たちで、エインタートの気さくな家臣たちに慣れつつあったアニエスは、々居心地の悪さをじた。

ユカリもやや委した様子であったが、それも駅舎に著けば調子を取り戻してきた。

「すっご。これエスエル? エスエル?」

停まっている汽車を指し、興気味に謎の単語を連呼する。はじめ馬車にもやたら騒いで、例のスマホとやらで寫真を撮っていたが、駅舎でも同じことをしていた。

乗車した後も裝をしきりに撮っては騒ぐので、アニエスはいよいよい子供を引率している気分になってきた。

一応、特別車両の個室を取っているため、他の乗客に迷をかけることはないが、王の兵が見ている手前、し落ち著いてほしいと思う。

「・・・汽車に乗るのは初めてですか?」

「うんっ、デンシャはあるけどね。こういうのって、うちの世界じゃほとんど走ってないから、初めて実見たー」

発車までに、どうにか席に座らせることはできた。本來は別々の個室を取ってもらっていたが、不安だったためアニエスは彼と同じ場所にいることにした。

撮った寫真を確認しつつ、向かいでユカリは楽しそうに足を揺らす。捻挫はほとんど治ったようだ。

「窓開けていい?」

「開けると煤が付きますよ」

閉めていても車はやや煙の匂いがする。さして暑くもないのだから、アニエスはあまり開けてほしくなかった。

しだけ、ちょっとだけでもだめ?」

「・・・だめということは、ないですが」

結局はアニエスのほうが折れる。ここまではしゃがれては、水を差すのも悪い気がしてしまった。

(これで飛行船を見たらどれだけ騒ぐんだろう)

なるべく大人しくしていてほしいが、それでも兵士たちに委してばかりいるよりは健全であろう。

気を取り直し、まだまだ長い乗車時間の暇潰しに、アニエスは地下の書庫から持ち出した比較的保存狀態の良かった本でも読もうかと、四角い旅行鞄の蓋を開けた。

するとそこには、青白いマフラーが詰まっていた。

「・・・」

明な針付きのマフラーである。寢惚けながら暢気に鼻をひくひくかし、牙の隙間から涎を垂らし、かび臭い本の表紙を濡らしていた。

いったん視線を天井へ移し、再び下げても、何も変化しない。

アニエスは眉間を押さえた。

(いつ? どの時點でまぎれこんだ?)

ユカリが怖がるかと思い、リウのことはここしばらく檻にれ、リンケに責任もって管理してもらっていたはずである。

なくとも荷造りした時點ではいなかった。きっちり蓋を閉め、付屬の金で留めた。

(・・・でも今朝、そういえば留めが外れていた)

その時はすぐに閉め直して中を確認しなかったが、よく思い出せば夜のうちに確かに留めを閉めていたはずだ。とすれば、リウが自分で鞄を開けて潛り込んだということになる。

爪を引っ掛ければ開かないことはない単純な留めだ。だが、なぜ潛り込んだのかは不明である。

(そうまでして付いて來たいの・・・?)

まさかこの小さな頭に、アニエスの外出を察知する知能があったのかと考えているうちに、寢惚けながらリウが腕を伝い、肩の上の定位置で再び寢る。

車窓の寫真を撮っていたユカリは、魔に気づいて「ぅわっ!」と聲を上げなぜか一枚撮った。

今から引き返すわけにもいかない。

國王の兵たちを、さてなんと言ってごまかそうかと、アニエスはしばし頭を抱えていた。

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