《アナグマ姫の辺境領修復記》閑話 辺境伯と公爵①
午後の晝下がり、晝食の片付けも終え、館で働く者たちは代で休憩にっていた。
ユカリもルーとともに食堂でクッキーを齧る。まだ仕事に慣れたとは言えないが、めげずに一つずつ失敗を減らしているところで、休憩時間の茶がに染みた。
だがほっとしているそこへ、珍しくレーヴェがやって來た。不機嫌そうな會計士は今日もにこりともしない。眼鏡越しの鋭い瞳に、ユカリは咄嗟に両手を構えた。
「今は休憩中ですから! サボりじゃないので!」
「何も言っていません」
レーヴェは構わずポットの殘りの茶をもらい、自分の分と、後からやって來たトリーネの分をカップに汲んだ。
そして振り返っても異界の娘はまだ警戒している。ここしばらく、彼はレーヴェの前ではいつもそんな調子だ。
レーヴェは仕方なく空いた席に座って話をすることにした。
「あなたに評定を下すのはアニエス様であって私ではない。あなたの無能さが私の仕事上に甚大な被害をもたらさない限りは関知しません」
「レーヴェさん言い方」
トリーネに注意されるが、レーヴェは意に介さない。
「個人的には、たまに自分より無能な者を見ておくと神狀態が安定するので別にいてくださって結構です」
「全然嬉しくないんですけど」
「こんな悪會計士など気にしなくて良いということですよ」
「お前は即刻辭めさせたいがな」
隅で遅い朝食兼晝食を摂っている魔學者には、すかさず言葉のナイフが投げつけられた。
「リンケさん、また徹夜されたんです?」
二人の喧嘩が始まらないよう、トリーネが先に話しかけ事なきを得た。ほとんどの場合、最後はリンケがレーヴェに締め上げられる結末となるため、誰かしら事前に止めにることが暗黙の決まりとなっている。
「レーヴェさんたちも下に降りて來るのは珍しいじゃないですか?」
ルーもレーヴェのほうに話しかけ、気を逸らす。
「アニエス様の決裁をいただかねば進まない仕事があるのですが、先ほどローレン公が急にいらしたので」
「え!?」
館の裏の掃除をしていた彼は気づかなかったのである。隣人の公爵の話となると、途端にメイドの眉がつり上がった。
「どうして? お約束はなかったですよね?」
「なんか急用だってさ。先生これ食わないの?」
答えたのは、いつの間にか窓から現れたクルツである。を乗り出し、リンケが皿に殘しているベーコンをつまんでいた。
「また何の用だって?」
「知らね。どうせアニエス様にかけに來たんじゃねえの? 他に用ないだろあの人」
「うぅ~っ」
「俺に唸るなよ」
「なに? 誰なの?」
この場でユカリだけが話を把握できておらず、トリーネが簡単に説明する。
「ここの隣のローレン領を治めている公爵様よ。アニエス様に求婚されてるみたいなの」
「マジで? やばいじゃん。どんな人なんですか? かっこいい?」
「いいのは見てくれだけですよ!」
ルーが強い口調で斷言したため、ユカリは椅子の上で小さく跳ねた。
「びっくりした。なんでルーさん怒ってるの?」
「あんな不誠実な人絶対だめです! アニエス様にはもっとふさわしい方がいるはずです!」
「ルー、気持ちはわかるけどちょっと聲を押さえて? ね? あなたの聲は響くから」
トリーネが一杯なだめる。しかし、空気を読まないリンケがそこへ口を挾んだ。
「ふさわしくないということは、ないんじゃないですか? 辺境伯と公爵、領地は隣どうし。仮にご結婚されてもエインタートの実権はアニエス様が握ることになるでしょうし、むしろ結婚相手としては都合が良いのでは? 人間はともかくとして」
「最後がいちばん重要だと思いますっ」
やや聲を押さえてルーは反論する。
リンケはわざとらしく両手を挙げてみせた。
「アニエス様ほどの分になると、純粋ながさほど重要でなかったりしますよ。とにかくお互いに高貴な統を継ぐ子孫が必要ですからねえ」
「そういえばあなた貴族でしたか。忘れてましたが」
「どうせ勘當されてますよ」
ふと思い出したように口にしたレーヴェに、リンケは目も合わせず返した。
大人の事を盾に取られると、ルーはどうしようもない。だが引き下がるわけにはいかなかった。
「でもっ、公爵様はアニエス様のお立場を良からぬことに利用する気かもっ。前にニーナさんがそんなこと言ってましたしっ。なによりアニエス様ご自が嫌がってるじゃないですかっ」
公爵の前では領主がひたすら死んだ魚のような目をしていることは、彼に仕えている者たちの共通認識にあった。
「でも実際問題、公爵様にはけっこう世話になってんじゃん?」
窓枠に足をかけて上り、クルツが冷靜に言う。
「アニエス様も気ぃ弱いしさあ、そのうち押し切られそうじゃね?」
「だから私たちがお力にならなきゃでしょっ」
「どうやって?」
「要は他にお相手がいれば良いのでしょう」
レーヴェが年の話に加わった。
「いねーじゃん」
「適當な人材を用意すればいい。アニエス様に対して誠実で従順である夫でさえあれば、我々のも安泰でしょう。下手な輩とご結婚されて領をいじくり回されてはたまりません。ローレン公はその辺が怪しい」
「結局レーヴェさんの損得の話? はいいの?」
「そんなもので腹が膨れるか」
クルツにも蓋もなく言い捨てる。
「誠実で従順ねえ・・・」
個々人が近な誰かしらを思い浮かべていたところ、ちょうど食堂の扉が開き、ジークが顔を出した。
警備主任の彼は公爵の馬車の先導をし、帰りもその任を果たすべく館で待機していようと思ったのである。
「あ、ジークさんいいんじゃね?」
「は? なんだ?」
事もなげにクルツが言ったことに、話の流れを知る由もないジークは目を瞬いている。
他の者は、一部が「あー」と何か納得するような聲を上げていた。
「どうしたんだ?」
「うーん、まあ、ジークさんなら? なくとも公爵様よりは」
「権力を持って豹変しないタイプであればいいですが」
「ジークさんなら大丈夫ですよー。今も警備主任で皆に親切ないい人じゃないですか」
「いやなんの話?」
ルー、レーヴェ、トリーネに口々に評され、ジークは困するしかない。
「ですが分がねえ。彼を使って公爵を追い払うのは無理でしょう」
「は? 先生、どういうことです?」
「詐稱すればいい。貴族の私生児、では弱いのでどこぞの王族のご落胤くらいに言っておきましょうか」
「レーヴェ? 君までどうした?」
「実はとある國の第三王子で、戦爭で國を失くし王妃がい王子を連れて亡命し、隠れ暮らしていたって設定はどう? 昔やってたソシャゲのキャラのだけど」
「最終的に國を再興させるんですかね?」
「いいんじゃないですか、それで」
「・・・よし、大話はわかった。念のため言っとくが、パン屋の息子にその設定は背負いきれないぞ」
自力で狀況を把握し、ジークは呆れ顔で各人を見回す。
「公爵様にアニエス様を取られたくないのはわかるが、先走ってよけいなことはするなよ。すべてお決めになるのはアニエス様だ」
「そうですけどっ、アニエス様が公爵様に傷つけられたら嫌じゃないですかっ」
「あの方はそんなに弱い方ではないよ。先生方も、悪ノリはやめてください」
たしなめられたリンケは笑みをらし、レーヴェはカップの茶を飲んだ。
「分とか結婚とか々、アニエスさん大変なことばっかりなんですね」
ユカリの素直な想に対し、ジークは苦笑いを浮かべ、
「だからこそ、アニエス様にもっと心安らげる時間をお作りして差し上げられればいいんだが」
しみじみ言ったことは、多かれなかれその場にいる全員が考えていることだった。
◆◇
「晩餐會、ですか」
ゲストルームにアニエスの小さな呟きが響く。
対面のラルスはにこやかに頷き、二人の間のテーブルに招待狀を置いた。
「私の叔母がぜひアニエス様をご招待したいと申しておりまして。明後日の夜なのですが、いかがでしょう?」
「・・・急、ですね」
晩餐會と言えばその名の通り、ホスト宅で夕食を共にし懇親を深める催しだ。ラルスの叔母と言えばフィンク侯爵夫人である。ローレン領から汽車を使えば半日程度で行ける。
アニエスの最も忌避するダンスなどの余計なイベントはないが、泊まらねばならないのが何より面倒だ。
「聞くところによるとご領地の様子もだいぶ落ち著いたようですし、たまには息抜きに外に出られては?」
(私の息抜きは書庫に籠ることですが・・・)
アニエスはカップを持ち上げ、あからさまに嫌そうになってしまう顔を隠す。知らない人々ばかりがいる食事會で気が休まるはずがない。
(正直に斷って良いのだろうか)
おずおずとラルスの顔を窺うと、相手の笑みがやや困っているようなものに微妙に変化した。
「実はこの度おいしたのは、私が助けていただきたいためでもあるのです」
「・・・は」
「叔母はどうも私が獨りでいることが気にらないらしく、そういう集まりではよくを紹介されるのですよ」
さもありなんという話だった。
これまであまりに無縁であったためアニエスは當初失念していたが、晩餐會は若い男にとって見合いの場も兼ねている。ホストとなる主人は、若い招待客を食事の際に男互に座らせたりなど、細やかな気遣いをするものである。
すでに両親もなく、との噂の絶えない甥を、叔母が世話焼きたがるのは自然な心理だろう。
しかし當人はそれが迷なのだという。
「そこでアニエス様が共に行ってくだされば、おそらく無理に勧められることはなかろうかと」
笑顔で言われたアニエスは、ひくりとを鳴らした。
「・・・そ、れは、つまり」
「無論、そのような仲だとは紹介しませんよ。まだ」
(まだ・・・?)
「良き友人としてご一緒させていただきたいのです。叔母もさすがにアニエス様の前では余計な話をしなくなるでしょう」
「・・・」
アニエスは想像を巡らせた。
ラルスと同伴で親族の前に現れ紹介されるということは、口でなんと言おうが怪しいことこの上ない。
そもそもアニエスは彼に求婚されており、それをどうにか退けたいと思っているのだから、彼の縁談よけのために晩餐會に出席する行為は矛盾している。
(さすがに、これは斷っていいはず)
躊躇は何もいらない。むしろ意思表示をできる良い機會である。
だが意を決して言葉を発す前に、ラルスが急に笑みを引っ込め、悲し気に眉を下げた。
「やはり、引きけていただけませんか」
憂うように瞼を下げ、溜め息まで吐いてみせる。
「私は、これまでのお役に立てていなかったのでしょうか」
「え? い、いえ・・・」
常に自信に満ち溢れているラルスの覇気のない聲音に、アニエスは慄いてしまった。
「ファルコ様から良き隣人であってほしいと願われ、私なりにできうる限りお支えしていたつもりでしたが、もしやすべてがご迷でしたか?」
「そ、そのようなことは、斷じてございません。冬の嵐の時も、他の時も多大なご支援を賜り、大変助かりました」
「果たして本心からそうお思いなのでしょうか」
「・・・」
アニエスは理解した。
ラルスははじめから斷らせる気がない。わざわざ彼が招待狀を運んで來た時點で察して然るべきであった。
渉事にはだいぶ慣れてきたものの、大恩ある相手には為すなく、アニエスは彼のむ通りの返事をするしかなかった。
「では、よろしくお願いいたします」
ころりと笑顔に戻った公爵を見送った後、エントランスで肩を落としていると、ぞろぞろと食堂から出て來た面々に説明を乞われた。
「――ふっつーに外堀埋めるための口実だと思う人、はい」
クルツの先導ですかさず全員が挙手し、全會一致がなされアニエスの背がますます丸くなる。
「絶対行っちゃだめですアニエス様! 何されるかわかんないですよ!?」
ルーなどは耳を真っ赤にして怒ったが、どうしようもなかった。
「言い方悪いですけど、借金取りに売りを迫られているかのようですねえ」
立場の弱い辺境領主の狀況をトリーネが的確に言い表す橫で、レーヴェなどは特に顔を変えず、しれっと進言した。
「調不良で當日欠席とすれば良いのではないですか」
「・・・噓が見えいていませんか。あまり、不興を買うのは得策ではないかと」
「では――代役を立ててはいかがでしょう。あちらの本當の目的はともかく、公爵様が必要とされているのは同伴するなのでしょう? ならばアニエス様でなくともよろしいのではないですか。何かしらの用事を作り、晩餐會に本人は出席できないが、代わりの者を派遣し一杯の誠意を示す形にしては」
「そう・・・できますか?」
やや期待を抱いたアニエスだったが、そこへ最後のパンの一欠けらを飲み込んだリンケが指摘をれた。
「アニエス様の代役となると、それなりの分の者でなくてはならないのでは? この館にはいないでしょう」
「あなた子爵の娘では?」
「だから勘當されてますし、あと単純に面倒です」
「クソ役立たずが」
文化や職業が解放されつつあっても、分制度がある以上は本をそれに縛られる。
領主がもはや観念したところで、レーヴェがまた一つ提案した。
「分の高い者がいないのであれば、分に縛られていない者を代わりとするのはいかがでしょう」
「分に縛られていない者・・・?」
はじめは何を言っているのか誰もわからなかったが、間もなく気づいて後ろを見やる。
「ん? なに?」
話半分程度しか理解できていないユカリが、暢気に首を傾げていた。
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