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清蘭(せいらん)學園學生寮・淺風(あさかぜ)寮の朝は、六時調度に流れるピアノで始まる。

音大へ進んだ卒業生が殘していった音源らしいが、あまりにも靜かな曲調のせいで目覚めへの促進効果は乏しい。

芙が起きかけのまどろんだ意識の中、布団の溫もりを堪能していると、洗顔を終えた恵ことメグがタオルを首に掛けて「遅刻しちゃうよ」と急かす。

芙は朝が苦手だった。

いくら睡眠をとっても、目覚めだけはスッキリしない。

流れるピアノが二曲目にるが、これも睡眠を助長する緩さだ。いっそのことベートーベンの運命でもかけてもらったほうがパッと起きる事ができるかもしれない。

「ほら、あと三十分だよ！」

朝食は六時四十五分。下のフロアに男子がいるせいで、一階の共有フロアはパジャマ厳だ。

『平日の朝食は制服で』と、所時に渡されたプリントに書いてあった。

「三十分なら、まだ余裕だよ」

顔を洗って、歯を磨いて、髪を整えて制服に著替える。食堂までの移を考えると、ざっと見積もって十五分あれば余裕だ。

「そんなの、駄目ぇ！！」

のんびりと起き上がる芙に、メグは腰に手を當てて主張した。芙がびくりとを震わせ怒り気味の彼を見上げると、メグは既に制服姿でヘアブラシを手にしていた。

「今日はクラスで自己紹介があるんだよ？　最初が肝心なんだから！」

気合充分に髪を両サイドに縛り上げるメグに発(しょくはつ)され、芙はようやくベッドを下りた。

そういえばあまり覚えていないけれど、今朝は町子である頃の夢を見た。

あれは、大魔に初めて會った時の事だ。黒いローブをに纏(まと)った、絵本に出てくる『魔』そのものだ。

魔法になりたての頃に數回しか會ったことがないのと、黒い姿のインパクトが強すぎて、顔の記憶が全くない。そんな黒い魔と対面するだけの夢だった。

部屋の隅にある小さな洗面臺で顔を洗うとようやく目が覚めてきて、鏡に寫る顔に自分が芙であることを思い出す。昔の夢を見ると記憶が混してしまう事があるが、最近は區別が付くようになってきた。

芙は大きな目が都子と良く似ていた。町子がコンプレックスに思っていた低くて丸い鼻も、彫りの深い和弘のおでちゃんと筋が通っているし、トーンの低かった聲も気にならなくなった。

ただ、うねうねと癖のある髪はストレートだった町子を羨ましく思うが、総合的に見れば合格點だ。

『神様有難うございます』と、和弘と都子の元に産まれた幸運に謝しながら、芙はいつもより二割増の気合で支度を整えた。

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「有村芙です。名古屋から來ました」

今日一日で、何回このセリフを口にしただろう。

朝、寮母の若いから始まり、寮長、クラス、それに授業毎の擔當教師への挨拶。最初は『有村』の肩書きにざわめいていたクラスメイトも、父親の仕事が忙しく転勤が多い事、その為に寮のある學校を選んだ事を説明すると、予想以上に皆が納得してくれて、後半はもう誰も騒がなくなっていた。

メグは持ち前の可さと早朝から勵んだ百二十パーセント増しの気合で、男子の注目を浴びていた。

教師陣は流石私立と言わんばかりに芙の見知った顔ぶれが多い。十六年の時は過ぎているが、し老けた程度であまり変わりなく、懐かしさに芙は心を躍らせた。

同じクラスから寮にったのは、芙とメグ以外に男子が二人だ。全部で五十人程度の寮で、この人數は多いほうだと言う。一人は陸上競技の推薦で県外から來たと言う背の高い人で、もう一人はし癖のありそうな人だった。

「熊谷修司(くまがいしゅうじ)です」

面倒そうにそれだけ言って、すぐに腰を下ろしてしまう。後ろから三番目の窓際の席で、自分の挨拶以外はずっと外をぼんやり眺めていた。

放課後、寮に帰る彼を見つけてメグがこっそり耳打ちしてくる。

「ちょっと変わってるね。でも、ニヒルなじがカッコいいかも」

芙は驚いて、「えっ」と聞き返してしまった。彼の倍の時間この世に生きているつもりだが、ニヒルなんて言葉を口にしたことはない。

メグは実はもっと古い時代に生きた人の生まれ変わりなのではないかと疑いつつ、芙は建へって行く修司の背を見送った。