《傭兵と壊れた世界》第百四十五話:不滅の元帥
孤児院周囲の結晶地帯を出た後、子供達の避難はミリアムとココットに任せた。本當は皆を連れて出したいが、これから始まる第二〇小隊の逃亡生活に、シェルタのような未來ある子供達を巻き込むわけにはいかない。
天巫は子供達を優先して最後まで殘り、全員の避難が終わってから地下室を出た。顔隠しの布を外して防護マスクをつける。
孤児院は変わり果ててしまった。建てられたばかりの綺麗な壁はだらけになり、子供達がヌークポウから持ってきた思い出の品々も壊れ、昨日まで平和な日常が送られていたとは思えぬ有様だ。
生存者は一人もいない。解放戦線の戦士がすべて平等に結晶化している。天巫奪取の任務に選ばれているのだから、彼らも優秀な戦士だったのだろう。そんな彼らがとある部屋から逃げようとしていた。自然と、天巫の視線も部屋の中に向けられる。
「……」
ディエゴとサーチカだ。
人形のように固まった二人を見た瞬間、天巫の足はかなくなってしまった。本當は、いつまで経っても地下室に現れない時點で、二人が生きていないのは予想できたのだ。ただ、希を捨てられなかった。生きていると信じたかった。
「立ち止まったら駄目です。時間がありません。さあ、いきましょう」
ナターシャに腕を引かれた。手袋越しなのに彼の手は冷たい。防護マスクからる空気も氷のように鋭く、放っておくと溫をすべて奪われてしまいそうだ。
「ご、ごめんなさい、私が、巻き込んでしまったから……私が……」
天巫は瞬時に「自分のせいだ」と理解する。孤児院が教われたのは天巫がいたからだ。導き出された答えにを震わせながら、彼はすでにいない二人に対して謝罪を繰り返した。
天巫とはけっして騎士に守られるお姫様ではなく、むしろ人を、民を、守るための存在だ。國のためならばいざ知らず、普通に暮らしたいというわがままのために、しかも軍人ではない年を巻き込むなど、あってはならないのだ。普通の子供ならば友人と遊んでいるであろう時間を催事に費やした天巫にとって、民のためにを捧げることこそが存在意義。それゆえにが締めつけられる。途方もない謝意が心を押し潰さんとする。
「巻き添えではありません。狙われる危険をわかったうえで、二人はあなたをけれたのでしょう」
悲しみに打ちひしがれる天巫と、悲しみを飲み込むナターシャ。両者の違いはひとえに「経験の差」であろう。天巫は近な人の死に慣れていない。対して、ナターシャは死にれすぎた。覚の麻痺、もしくは心を壊さないための自己防衛として、彼は死を後ろ向きに考えない。
結晶が、原生生が、もしくは限られた資源の奪い合いによって生まれる戦爭が、死を近なものに変えた。そこかしこに誰かの夢が転がっている。
「我々は背負うしかありません」
潰えた意志は、誰かが継がねばならぬのだ。それで初めて足を前に踏み出せる。
進んだ道こそが正しかったとを張るために。
「私が、背負う……」
天巫はわなわなと瞳を震わせた後、きゅっとを結び、祈るように両手を前に重ねた。結晶に込められた神が呼応して淡いを帯びる。神的な空間のなかで彼は小さく謝った。
――夢を見てごめんなさい。
巻き込んだことではなく、普通の暮らしをんだことに対してだ。背負うと決めた以上、もう普通の暮らしをんではいられない。天巫としての誇りがそれを許さない。これは一人のが生き方を決めた瞬間である。
やがて天巫も落ち著いたらしく、取り繕った様子で顔を上げた。
「ナターシャ、助けに來てくれてありがとう。これからどこに向かうの?」
「第二〇小隊の船ですよ。大國を離れるのです」
「え?」
ナターシャは正直に答えた。遅かれ早かれ話すことだ。隠しても意味がない。
「ちょ、ちょっと待って! 私は勝手に國を離れられないの! 民を不安にさせてしまうよ!」
「あなたの力がパルグリムに渡れば不安どころじゃなくなるんです。隠れ家を孤児院から私達の船に移すだけですよ」
「でも、私がいないとローレンシアは……!」
「國に殘っても天巫として國事に関わることはないでしょう。そのためにアーノルフは祭壇を閉鎖したのだから。今は安全な國外へ逃げるのが先決です」
「うう……」
「理解してもらえたなら行きましょう」
うまく丸め込まれたような気がする天巫。流されるがままナターシャの後ろについていく。
「アーノルフは知っているの?」
「これから伝えます。まあ彼が許すとは思えないので返事を待たずに逃げるつもりですが」
それはそれで問題がありそうである。かといって代案が浮かぶわけでもない。
やはりアーノルフの指示を待ったほうがいいのでは、と天巫が考えていたとき――。
「ああ、ここにいたのですか。探しましたよ天巫様」
アーノルフの聲がした。
結晶地帯の出口に彼が立っている。らかな金髪を揺らし、銀の義手を握りしめながら、彼は二人が現れるのを待っていた。ただし正常な姿ではない。
「アーノルフ……?」
半明のしい結晶がアーノルフの元を中心に広がっている。結晶化現象(エトーシス)だ。すでに顔の左半分が飲み込まれており、殘った右側もしずつ侵食されていた。
ひどい激痛に襲われているはずだ。常人であれば意識を保つことすら不可能だろう。しかし、アーノルフは天巫を守りたいという一心のみで結晶に耐えていた。
不幸なのは結晶化現象(エトーシス)が脳にまで達していたこと。意思の力だけで抗うには限界があり、すでに正常な判斷能力が失われている。
「ええ、私ですよ。お迎えに參りました。邪魔を排除しますのでお待ちくださいね――」
言うや否や、地を割る勢いでアーノルフが跳んだ。ナターシャはとっさに天巫をかばいながら橫っ飛びに避ける。直後、衝撃。地面が大きく陥沒し、土煙があたりに舞い上がった。
人外の膂力だ。あふれだす膨大な殺気。失われた正気と無盡蔵な力。タガが外れたことで発的な力を生み、人知を超えた力であらゆる敵を砕する。
天巫の自由を願った男、アーノルフ。元帥にまで昇り詰めた果てに、彼は結晶憑きとなった。
○
ローレンシア軍は混していた。アーノルフ元帥からの指示が途絶えたからだ。敵兵に狙撃されたという報も出回ったことで兵士が揺し、拮抗していた戦場がまたも傾き始める。
「アーノルフ元帥からの連絡はまだないのか?」
「連絡途絶のままです!」
アメリアが渋面をつくる。アーノルフがいなくなった影響で解放戦線と傭兵を抑えられなくなった。このままでは増援が到著する前に防衛陣を破られてしまう。
「……」
しばし無言で目を閉じる。誰か他に適任者はいないだろうか。ホルクスは裏切り、シモンは殉死し、軍団長は自分だけになってしまった。アーノルフが抜けたを補るのは自分しかいない。
わかっている。軍団長として兵をまとめ、鼓舞し、作戦を考え、民を守る。その重責がアーノルフから自分に移っただけだろう。
「……の同調範囲を拡大する」
「お待ちください! それはへの負荷が大きすぎるのでは!?」
「そうは言っていられないだろう。ここが命の燃やし時。今から私が作戦の総指揮だ」
天巫に仕えることが何よりも幸せだった。親衛隊としてひたむきに腕を磨き、をに埋め込み、気付けば部下を率いる立場になっていた。自分には重すぎる肩書きだ。天巫の隣で護衛をしているほうがに合う。
されど戦わねばならない。アメリアの指示を待つ者がいる。アメリアを信じて戦う部下がいる。期待に応えるのもまた上の務め。
反シャルコー機構の出力を最大にした。見える景が圧倒的に広くなり、同時に兵士達の恐怖や苦痛が頭になだれ込んでくる。脳が焼き切れそうなほどの報量。
耐えろ。今だけでいいから脳の限界を超えろ。
「いくぞ同志よ! 天巫様への忠誠を示せ!」
アメリアが吠えた。祖國を、そして天巫を守るために撃鉄を起こす。
◯
ローレンシア軍の様子がおかしいことにホルクスも気付いていた。足並みがれたかと思えば、急にきがよくなったのだ。敵軍で何かが起きたのだろう。
「イサークの作戦が功したのか? それにしちゃあ連絡が來ないが」
副イサークは単で狙撃に向かってから帰っていない。あの律儀な男が報告をしないということは失敗の可能が大きい。
「まあ今は悩むよりも先にやることがあるな」
猛烈な勢いで迫る気配をじた。敵は一直線にホルクスを目指している。まるで居場所を知っているかのようだ。
武を極めた者は特有の覇気を放つ。たとえ離れた戦場であってもじ取れるほどの強い引力。ホルクスが敵に気付いて構えるように、敵もまたホルクスの覇気を捉えていた。
「隊長、敵襲です! 逃げてください!」
「馬鹿! 巻き込まれる前に、お前らが逃げろ!」
炎が逆巻いた。辺り一面に燃え広がりながらローレンシア兵を食らう。逃げるという判斷すら間に合わないほど一瞬の出來事だ。ホルクスは持ち前の第六で避けられたが、他のローレンシア兵はことごとく飲み込まれた。
奴だ。ルーロの亡霊だ。
全に鋼鉄をまとい、右手に焼夷砲を攜えたが、銃口で殘り火の軌跡を描きながら戦場を歩いている。圧倒的な重圧。あらゆる修羅場をくぐり抜けたホルクスが思わず後ずさる相手。
「來たなァ化け」
ソロモン現る。炎の中心で二人は対峙した。
因縁の相手だ。かたや多くの仲間を焼き殺され、かたや自らのと夫を奪われた。今さら後戻りは不可能。撤退などもってのほか。一度始まればどちらかが倒れるまで止まらない。
「自慢のお仲間はいなくなりましたよ。あとは、あなただけ。寂しいですか?」
「てめえのそんな嬉しそうな聲は初めて聞いたぜ。殘念だが、俺達は戦場で死ぬのが怖くねえ。むしろ本ってもんだ」
「逃げてばかりの犬がよく吠えますね。そもそも、闘爭をむなんて時代遅れでしょうに」
「ハッ、時代遅れ? 俺達みたいな人種はいつの時代にもいる。政治や宗教、価値観の違いや歴史の軋轢……爭いのかたちが変わるだけで、みんな戦う理由を探しているのさ」
爭いの才能しか持たぬが故に銃を握る。戦場でしか輝けない者達がいる。彼らは決して不幸ではない。たとえ稱賛されなくとも、を張れる才能を持っているのだから。
「てめえも同じだソロモン。俺達はみな同種だぜ」
「やめてください。吐き気がしますよ」
殘り火を吐く焼夷砲。発散の瞬間を今か今かと待ちむ散弾銃。燃ゆる鋼鉄と一匹狼。憎み憎まれ爭い合う化けが二人。
「さあ、始めましょう」
両者激突。
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