《愚者のフライングダンジョン》113 ガスマスク
「おえっ……」
広間の空気が一気に淀んだ。目がい。滝のように涙が流れる。鼻にわさびを突っ込まれたみたいに鼻の奧がツンとする。ドバドバと鼻水が止まらない。息苦しくて口呼吸に変えたら、に何かが張り付いた。
「ゔんッ! うっ! かぁーーッッ! ぺっ!」
痰を絡めて下に吐く。吐いたばかりの痰が蛍イエローの湖に浮いた。室で痰を吐くなんて神的にくるものがある。でも、そんなことを気にしている場合じゃない。異でが詰まりそうだ。魔法のお湯でうがいして、のイガイガを全部吐き出した。
口の中をさっぱりさせてもニオイがとれない。信じられないほど臭い。鼻が詰まっているのにまだ臭う。完全にニオイの度を超えている。これはもう毒ガスだ。
「〖結界士〗『靜寂』」
周囲の臭気を弾き、空気を洗浄したあとで亜空間からバスタオルを出す。顔中の不快を全て拭うと、バスタオルが風呂上がりみたいにびしょ濡れになった。
もう結界の外に出たくない。清らかな空気を吸っていたい。でも、閉じこもるわけにはいかない。結界の外には敵がいるのだから。こっちがかなくても、あっちがしかけてきたら結界を出なきゃならなくなる。
今のところタコにく気配はない。毒ガス対策をするなら今のうちだ。毒ガス対策と言われて、一番に思い浮ぶのはやっぱりガスマスク。
化學戦爭をイメージさせるガスマスクをヒーロースーツの上に被るなんて不本意だが、そんなことにこだわってもいられない。涙ポロポロ鼻水ダラダラの狀態で敵と戦うなんて無謀だからやむを得ない。見た目よりも実用を取る。
記憶に新しいロミさんのガスマスクでも使おう。ボクちゃんの小さいお顔にもピッタリなはずだ。
さっそくガスマスクを想像する。ところが、出てきたのは上っ面だけのガスマスクだった。能はお祭りのお面と同程度の代。これじゃニオイは防げない。
こんなことになるならガスマスクを常備しておくんだった。自分が使わないからって用意を怠った。頻繁にテロに巻き込まれるのだから、他の人のためにも複數用意すべきだった。
だが、今は過去を悔いている場合じゃない。正規品がないのなら、代用品を用意しよう。
というわけで、即席ガスマスクの制作にる。素材のベースにするのは、信頼の魔法金屬原料だ。
まずは、口と鼻にフィットするマスク本を作る。そこからチューブを2本ばし、それぞれ吸気バルブと排気バルブに改造する。吸気バルブから吸い込み、排気バルブから息を吐く。どちらも一方向にしか空気を通さない作りだ。
問題はフィルターをどうするか。防毒マスクに使うような吸収缶は高度な技製品だ。一から作るとかなりの時間が必要になる。そんな時間的余裕はないので、知恵を絞って亜空間の在庫から使えそうなをピックアップする。
なんとかなりそうだ。有り合わせの材料でフィルターを作ることにしよう。
亜空間からティーパーティに使うものを全て出す。お菓子の在庫は全放出だ。それからティッシュ箱も用意しておく。必要なはこれで揃った。
コーヒーフィルターとティッシュを重ねて吸気チューブに蓋をする。続いて、ティーパックの紅茶をティーパックごとチューブに詰める。紅茶は消臭効果があると言われている。即効があるかどうかは知らないが、無いよりマシだろう。
それから、お茶請けのお菓子を開けて酸素剤を取り出す。酸素剤には消臭効果のある材料が使われていたはずだ。酸素剤の袋は分厚く、そのままれると息ができないため、袋を開けて中だけをチューブに詰める。俺の気が済むまでこれを繰り返す。その後、再び紅茶の層を作って、ティッシュとコーヒーフィルターで蓋をした。
試しに空気を吸い込んでみる。息苦しいが呼吸できた。この清らかな結界でガスマスクの能を試すことはできないが、マスク本はこれで完でいいだろう。あとは外殻だ。
眼球を出しているとまた涙を流すかもしれないため、殘りの魔法金屬はヘルメットにして頭部を覆う。視界を遮らないように、シールド部分の魔法金屬は半明にした。
『刈払う貝』に當たって壊れないように、チューブはヘルメットの後方へ流して固定する。
はみ出た長髪を『刈払う貝』でカット。閉狀態を作ってヘルメットの完だ。これでいつでも戦える。
ガスマスクを作る間も警戒は緩めていない。ちゃんとタコの『しわよせ』のきを見ていた。タコはずっと同じ場所に佇んだまま、頭の巨大イソギンチャクをゆらゆらと揺らしていた。ニオイに嫌そうな反応は見せていない。もしかしたら、あのタコには嗅覚が無いのかもしれない。
もうし細かく観察する。ニオイが出てきたのはタコが生まれた後。つまり、あのタコが広間のどこかにを開けたということだ。俺はその瞬間を見逃している。
奴は生まれた直後になんらかの攻撃を放ったはずだ。その攻撃の正を摑むために、まずはのありかを探る。
臭気がれ出ている場所はどこだ?
目を凝らして探すと、蛍イエローの湖で何かがチラついた。さっき吐いた痰だ。さっきまで側で浮いていたはずの痰がタコに向かって移していた。これはおかしい。ガスマスクを作るときも極力波を立てないようにいていた。俺の痰はずっと側にいたはず。
湖に流れが発生している?
よく見ると、タコの足と足の隙間に蛍イエローのが吸い込まれている。あった。あそこだ。奇妙な泡立ちがある。外側の足で隠しているが、俺にはバレバレだ。タコは一本の太い足を床に差し込んでいる。あの奇妙な泡立ちは、地獄の底から湧き出るガスによって膨らんだ泡の集まりだ。
しまった! どれだけ経った?!
ニオイがれ出してからすでに十數分ほど経過している。その間、奴の足の一本を無警戒のまま自由にさせてしまった。
敗北の二文字が頭をよぎる。ガスマスクを作る間に、どれだけ準備されたかわからない。目には見えないが、この広間はすでに奴のエリアだ。俺が自由にける場所はない。どこに罠が仕掛けられているのかもわからないわけだ。
ただの罠なら恐れはしないが、相手は法則すらも食い盡くす『しわよせ』だ。しかも〖黒紫のオーラ〗に似た能力を持っている。
『刈払う貝』で防げるかどうかもまだ怪しいのに、エリアを取られてしまった。最悪、一歩けば一撃で殺される。
下手にけないからと言って、このまま様子見して、タコに時間を與えるわけにもいかない。こっちはすでにタコの腹の中とも言えるからだ。どんな方法を取ってくるかはわからないが、じっとしていれば消化されるだけ。ならば、準備が終わっていないという一縷のみに賭けて足掻くのみ。ここが腹の中ならば、一寸法師のごとく暴れてやる。
しかし、敵の報を得ないまま闇雲にくのは自殺行為だ。最低でもタコの反応速度が知りたい。まずは飛び道で探ることにする。
作業臺に使ったカフェテーブルを念力で持ち上げ、そのままタコに投げつけた。
大した速度じゃない。せいぜいピストルの弾丸程度のスピードだ。マナガス神ならば容易に避けられる。
まもなくカフェテーブルが著弾する。タコは微だにしない。まるで飛來に気づいていないかのようだ。
あれが気づいていないフリなら厄介だ。はったりをかますほどの知能を獲得していたなら、こちらは下手に防姿勢を崩せない。人間を相手にするときと同じような対応をしなきゃならなくなる。
カフェテーブルがタコに直撃した。が、ダメージらしきものは確認できない。カフェテーブルは〖黒紫のオーラ〗に削られて、タコの栄養になってしまった。
カフェテーブルは魔法金屬でできているというのに、それを容易く飲み込んでしまった。魔法金屬を消化できる能力なんて〖黒紫のオーラ〗以外に知らない。ますます〖黒紫のオーラ〗の上位互換説が濃厚になった。
水玉に続き、カフェテーブルを食らったタコがついにきを見せた。
幾つもの足をバタバタとかし、床を叩く。
そして、タコはその場からり落ちた。タコが居た場所には大きなが開いていた。
追いかけなければならないが、あのには近づかない。もしも、の真下でタコが待ち構えていれば終わりだ。
ここはタコが知らない方法で追いかけることにする。
俺はその場で逆立ちし、『刈払う貝』でを掘った。この方法にはリスクがある。床の下でタコが待っていたとしたら、タコの方が先に俺の位置を知ることになる。しかし、この方法なら、もし床の裏側が全面〖黒紫のオーラ〗で覆われていても、最悪、手を犠牲にして逃げられる。
一心不に掘り進むと、手が床を貫通した。手は無事だ。〖黒紫のオーラ〗も確認できない。となれば、急加速で掘るスピードを上げる。狙われる前に急いで落下する。
タコが落ちたはずの場所を見てみると、そこから一筋のがびていた。月明かりよりも明るい蛍イエローのが滝のごとく流れ落ち、暗闇の陥沒を薄明るく照らしている。
そのの滝の出所で見つけた。
床の裏側に張り付き、滝に頭を突っ込んだタコの姿を。
あれは確実に待ち伏せだ。考えなしに追いかけていれば、その時點で終わっていた。警戒してよかった。
それにしてもあのタコ。があったら覗きたいという生の習を理解している。その上で罠を張ったとなれば、カラス以上の知能がある。生まれたばかりでこの知能なら、予想外の學習速度だ。
今は俺を標的しているようだが、あれ以上賢くなれば、プライドよりも生存を選ぶ思考に至るはず。そうなる前に決著をつけたい。
タコは今も滝に頭を突っ込んだままで、俺が床を通過したことに気づいていない。鈍そうでも、接近すれば流石に気づくはず。〖存在消失〗を掛けておきたいところだ。
しかし、懸念點もある。タコになる前の『しわよせ』は〖存在消失〗を使っていた。型が変われば全く違う能力になるというのは、あくまで俺がそう思っているだけであって、過去に『しわよせ』を進化させた例が無い以上、確定した報は無い。
俺が〖存在消失〗を使うことで、タコの能力が覚醒したら更に厄介なことになる。互いに〖存在消失〗狀態になって戦うだけなら、周りへの被害が抑えられて好都合だが、問題は逃げられたときだ。地面を通り抜けて地中を逃げ回られたら、流石の俺でも見失ってしまう。そうなると地獄は終わりだ。〖黒紫のオーラ〗で星ごと食われる。
天國には到達させないが、その時にはもう今の比じゃないくらいタコは強くなっているだろう。一度地球に戻り、完全な狀態で帰ってきても倒せるかどうか微妙なところだ。
今は〖存在消失〗を使わずともなんとかなる。〖存在消失〗は最後の切り札に取っておこう。とにかく、まずはさっき得られなかったタコの反応速度と知能力を知っておきたい。
念力の足場を蹴る。本気の速度で地下を飛ぶ。
今度は飛び道なんか使わない。確実にダメージをれられる方法じゃなきゃ、タコは避けもしないだろう。
あれこれ考えたが、わけわからん敵に攻撃を加える時は、やっぱりド直球にド真ん中だ。小細工せずに最短距離で、一切の邪念を払い、馬鹿正直にぶん毆る。あとのことは、その時の俺に託す。行き當たりばったりでいいじゃないか。
銀の拳がの滝を切り裂く。水しぶきが上がるよりも先に、標的の頭を捉えた。
その頭に向けて渾の拳を叩き込む。直後、重たいが手に伝わった。勢いそのまま毆り抜け、敵に背中を見せぬようを捻って反転しつつ、念力でブレーキをかけた。
あとから滝が破裂した。攻撃の余波での粒が弾け飛び、まるで流星群のように暗闇の底へ落ちていく。
手の甲に殘った違和を確かめる。拳を叩き込んだとき、おかしながあった。重たいだ。
飛び散ったの粒にれてみる。の粒は指の先で散した。ちゃんと『刈払う貝』の機能はオンになっている。だからこそおかしい。『刈払う貝』はなんでも切る。その際にの抵抗なんてる余地は無い。拳がれた瞬間に切り裂くため、手にが伝わるなんてことはあり得ないはずだ。
床の裏側に付著した蛍イエローに照らされ、タコの全像がわになった。タコの頭は無くなり、足も數本失っていた。殘った足の吸盤で天井に張り付いている。頭を失くしたというのに、心なしかこっちを見ているような気がする。
試しに中指を立ててみる。
「ざ〜こ♡」
『ボォォォォオオォォ……』
まるで怒りをわにするかのように、タコの全から〖黒紫のオーラ〗が噴き出した。
サモナーさんが行く
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