この部省の長の神経質さを模したような空気の中、粛々として業務を進めるのが侍省吏たちの日常だった。

しかしこの日ばかりは、普段通りとはいかなかった。

「たのもーう！」

若々しい聲と共に、突如侍省の扉が開かれた。

朝に位置することもあり、滅多に外部の吏など訪ねてこない侍省にとって、それはまさに青天の霹靂であり、それがまた青天の瞳を持つ者だとすれば、騒がずにはおれなかった。

ガタガタッと総員が腰を上げ、り口に険しい顔を向ける。

「おっ、お前は！」

「例の太醫院の！」

「泥棒貓ッ！」

息ぴったりである。

「誰が泥棒貓ですか」

勝手に晝下がりの有閑夫人にありがちな艶話に巻き込まないでほしい。

というか、萬里は侍省で一どのような立ち位置にあったのか疑問がわく。

「まあまあ、皆さん落ち著いてくださいよ。ちょっと聞きたいことがあるだけなんですから、大人しくしててください」

「何でちょっと上から目線なんだよ！」

月英の言いに、侍たちがさらにめき立つ。

「何か、敵地って言ったの分かるなあ……」

月英が何か発言する度に、合いの手のように侍たちからヤジが飛ぶのだから。発言の容さえ気にしなければ、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

しかし、月英はケロリとしている。

「こんなの慣れたものですよ。最近まで全方位から向けられてましたからね！」

「お前の、時々挾むその弩級の自ってなんなの？　やめてよこっちの心が痛い。ぬくぬく生きてきてごめんなさいだよ……あ、待って。ちょっと気持ちいいかも」

「…………」

「だめだって月英、その目は。嗚呼……っ、できたら野郎じゃなくて張朱朱さんに向けられたかった……っ」

ぶるっとを震わせた翔信を、月英がドブ底で拾った饅頭を見るような目で見つめた。

いったい、この數日で彼に何が起こったというのか。

いよいよ本格的な扉を開き始めている。

月英、翔信、侍が三者三様の様子を見せる中、たまりかねたとばかりに、部屋の奧にあった扉がけたたましい音を立てて開いた。

「うるさいですよ！　何をしているのですか!!」

神経質な尖り聲と一緒に現れたのは、ここ侍省の長である呂阡である。

苛立ちで走った三白眼で睨まれ、侍たちは「ひっ」とを鳴らした次の瞬間には、機に向かって筆をとっていた。

翔信までが氷の視線に貫かれ、仕事(逃げ場)はないかとあたふたしている。

しかし、月英は遠慮しない。

呂阡の姿を見るやいなや、ドドドと押しかけ房も真っ青な勢いで呂阡へと押しかけた。

「初めまして、僕は月英って言います！　あのですね、ちょっと聞きたいことがありまして、教えてくれますよね！」

「よ、月英……!?」

呂阡は詰め寄った者の瞳を認めて、口端を引きつらせる。

『あの者に関わって変わらぬ者などおらぬよ』

いつか言われた、孫二高の言葉と高笑いが呂阡の頭の中に響いた。

彼の思うところは、『正直関わりたくない』である。

しかし目の前には、氷の侍と呼ばれる自分に対し、おくびも怯むこともなく突進してくる醫がいる。

普通の者は呂阡が目を眇めただけで氷漬けにされ、圧倒してくる者などいない。

「――っ誰かに似た厚かましさですね」

かつての部下を思いだし、不覚にも々興味を惹かれると思ってしまった。

「というよりまず、確か今、あなたには自由などないはず」

さすがに月英が収監されたという事実は、朝廷たちには共有されていた。

他の吏たちのほぼは知らないことであり、呂阡は言葉を濁して伝える。

「とりあえず、侍省に迷を掛けるのだけはやめていただきたいのですが。正直、もうここにいる時點で充分に迷ですがね」

出て行けとばかりに、凍てついた目を向ける呂阡。

しかし、月英の逞しさは呂阡の『普通』を超える。

「あ、じゃあ迷ついてにもっと迷掛けていいですか？」

「どうしてそうなるんですか」

「えぇ……敵地なのに仲よさそうなんだけど」

月英と呂阡の軽妙な會話のやりとりに、翔信が困気味に聲をらす。

「今仲良くなりました！」

「やかましい。仲良くなんかありませんから」

呂阡はもう一度『出て行け』との念を込め月英を睥睨した。

しかし、月英は青い目を瞬かせて首を傾げるばかり。

「呂侍、差し出がましいようですが……そいつに普通を期待しないほうがいいですよ」

ぼそりと掛けられた翔信の言葉を耳にし、呂阡は額を押さえて天を仰いだ。

天井に向かって吐き出された長い長い溜め息に、侍たちは肩をビクッと揺らし、月英は「長っ」と呟いていた。

「……ここではたちの邪魔になるので、お話はあちらで伺います」

青筋の立つこめかみをみながら、呂阡は「聞いたらすぐに出て行ってもらいますがね」と、苦渋の決斷だということを匂わせながら特別室へと迎えれた。