《【書籍化】碧玉の男裝香療師は、ふしぎな癒やしで宮廷醫になりました。(web版)》4-7 夜の語らい
萬里が命の危機に怯えていたその頃、月英と翔信は茶心堂で鄒央に呂阡から聞いた話を伝えていた。
それを聞いて、鄒央はすぐに準備に取りかかってくれた。
仕事を終えた月英と翔信は再び王宮へと戻り、時間も時間だったものですぐに別れた。
そうして、月英は今牢屋で一人、筵の上で橫になっていた。
「あと二日で全部が決まるんだよね」
上手くその二日で犯人が現れてくれればいいのだが。
壁の上の方に空いた窓らしくない窓を見上げ、月英は掛布を頭のてっぺんまで引き上げた。
窓からは夜の蟲たちのさざめきが聞こえてくる。
どうして夜の蟲の聲は、こうもに心細さを覚えさせるのだろうか。
「このまま皆と別れることになちゃったら……」
薄暗い牢屋の中、目を閉じなくとも々と思い浮かんでしまう。
「豪亮……春廷……呈太醫、皆……」
最初、彼らに対して特別ななど持っていなかった。日雇いの時と同じように、やることだけやって関わらないようにしようと思っていた。
嫌われるのには慣れていた。
だから、何かをされて腹立ちはしても、それで悲しいなど思わなかった。
なのに、今彼らと會えなくなってしまうことを考えれば目が熱くなる。
楽しい。うるさい。優しい。ちょっとしつこい。嬉しい。お節介――言葉にできるものだけでは足りないほど、彼らには々なを持ってしまった。
「……劉丹殿、どうしてるかなぁ」
自分より先に異國への門をくぐった彼は、今頃どこを旅しているのだろか。
渡した柑の皮は役立ててくれているだろうか。
きっと、彼の人なつこさなら、言葉が通じなくとも苦労せずに異國の人たちと友を築いていることだろう。
簡単に想像できてしまい、思わずふっと笑みがれる。
「貓太郎と貓は……ちゃんとおやつ貰えてるかな」
貓と言うより、すっかり友人的存在になってしまった太醫院の住貓。
いつも獨り言を聞いてもらっていた。返事がなくとも、腰元にくっついた暖かさで『聞いてるよ』と言ってくれているようで、つい何でも話してしまう存在だ。
「そういえば、貓太郎と貓って、萬里と亞妃様に似てるんだよね」
お互いちょっかいを掛け合うのに、でも離れない。
そんな人間のほうの貓太郎と貓は、どうしているのだろうか。
「萬里が百華園から出てきたってことは多分、芙蓉宮に行ってたんだよね」
後華殿の中を吹き抜ける風に乗って漂ってきた香り。
香療をじられているはずなのに、萬里からは様々な植の香りが薫っていた。侍や翔信は、百華園の花の香りくらいにしか思わなかっただろう。しかし、月英には植と油の香りを嗅ぎ分けることなど造作ない。
「あれは、間違いなく……」
彼のあの時の振りを考慮すると、芙蓉宮でかに香療を使っているに違いない。
「すっかり香療師なんだから……もう」
もし……萬が一のことになっても、彼がいれば香療房は閉ざされることはないだろう。
「良かった。せっかく作ってもらったばっかりなのに、すぐに無くしちゃったら、陛下の迷になるところだった」
異國融和策の第一歩がつまずいたとなったら、その後に悪影響を及ぼすかもしれない。
「でも、僕がいなくなっても萬里がいれば大丈夫だ」
もし、燕明ともう一度話す機會があれば、萬里の有能さを伝えておこう。
「……陛下……藩季様……」
頭まですっぽりと被せた掛布をし下げ、目だけを出す。
薄暗い天井を眺めながら、口のきだけで彼の名を呟いてみた。
すると、「月英」と自分を呼ぶ聲が聞こえた。
「はは、寂しすぎて幻聴まで聞こえてきちゃった」
牢塔に誰かってきた気配も足音もない。相変わらず、靜かで寒々しくて暗いばかり。
「王宮まで二回も往復したし、疲れてるんだな」
寢よ寢よ、と掛布に包まるようにして瞼を閉ざそうとした時。
「おい月英、聞こえてるんだろう。返事くらいせんか」
ガバッと掛布を剝と一緒に、月英はを起こした。
閉じかけていた瞼は、驚きにクワッと見開いている。
「え……へ、陛下!? 待って、どこに!?」
「はは、ここだよここ」
ここまではっきりけ答えができるのだから夢ではないはず。
月英はどこから聲がしているのかと、キョロキョロと視線を巡らす。
「ここってどこです」
「上だ、上」
「上?」と月英が顔を上げた先には、あの小さな窓。
確かにその窓から、聞こえるだろー、燕明の聲がしていた。
そこかあ、と思ったのも束の間、脳で翔信が「接見止ー!」とんだ。
「な、何やってんですか!? ばれたら陛下も危ないですよ!」
聲を潛めた中の最大限の音量で月英がわめく。しかし、向こう側からは、はははとのほほんとした聲が返ってくるばかり。
「こんな時間に、こんな王宮の西端に來る者などいないさ。しかも牢塔の裏側なぞ」
「でも、衛兵の見回りがあるんじゃ」
「……まあ、心配するな」
「そ、そうですか?」
「そうだ」
その自信の拠は分からなかったが、この國一番の者がそう言うのならきっと大丈夫なのだろう。
月英は、筵の上から窓の下へと場所を移する。
壁に背を當てて座ると、ひやりとした石の冷たさが伝わってきて、月英はたぐり寄せた掛布をに巻いた。
「月英、どうだ? 無実は証明できそうか」
「はは……ギリギリです」
掛布を握る手に力が籠もる。
「……陛下、もし……もし、そうなってしまったら本當にすみませ――」
「謝るな、月英。悪いことをしていない者が謝る必要などない」
ずしりと重い聲で言葉を遮られる。
聲しか聞こえないはずなのに、燕明がどのような顔をしているか分かるようだ。
「でも、もし……っ」
「いつになく弱気だな? どうした」
はは、とカラッとした笑い聲が聞こえる。
「昔なら別に追い出されようと、何とも思いませんでしたよ。でも今はもう……ここから離れたくないんです」
「そうか」とだけの靜かな相づちが返ってきた。
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