《愚者のフライングダンジョン》116 ケツァルポルカ

「そこで、ウヅキさんのを守るために〖幻〗を使うことにしたわけよ。みんなの頭にはした記憶が殘ってる。実際には床の上でもがき苦しんでたけど」

「なるほど、ウヅキさんにはそのことを話さなかったってわけか。山本メイの正を隠すために」

「ウヅキさんは自分がレイプされたという架空の事実に傷ついてる。それ以上に、ボクを巻き込んでしまったことにもな」

「ウヅキさんは今どこよ」

「あっちの部屋で休んでる」

聞きたいことは山ほどある。ムツキはどこへ行ったのか。どうやって切り抜けたのか。証拠は今どこにあるのか。真犯人は誰なのか。

だが、今はそれよりもウヅキさんのそばに居てやりたい。傷ついた妻をめてやれるのは、夫の俺だけなんだから。

「もしものときは全部バラしちまえよ。めちゃくちゃ怒られるだろうけど、落ち込んだままでいられるよりマシだ」

「ああ」

臺所を後にして寢室へ向かう。カーテンを閉め切った薄暗い部屋の隅っこで、布にくるまったウヅキさんを見つけた。

すぐそばにはスパルナが羽を膨らませて休んでいる。天ちゃんの世話だけでなく、ウヅキさんの介抱までしてくれたらしい。本當に置いていってよかった。しい相棒よ。

布にれようとした瞬間、モゾモゾと布のれる音がした。

「起きとったんか」

目を腫らしたウヅキさんが布から顔を覗かせた。

「……おかえりなさい」

「山本さんから話は聞いた。ちゃんと寢たか?」

布のシワをばすと、ウヅキさんはヤドカリのごとく顔を埋めてしまった。

「おいおいおい。俺が怖いんか?」

「私、汚れちゃいました。もうあなたのそばにはいられません。出ていきます」

それを直接言うために待っていたのか。律儀な人だな。

「汚れたからってなんだよ。風呂りゃあええやろそんなん」

「そういう問題じゃないんです」

ウヅキさんは布にくるまったまま立ち上がった。本當に出て行こうとしたんで、布の上から抱きしめ、逃げられないように捕まえる。

「離してください」

「ほっとけるわけねぇだろ」

する人以外の男と寢たんですよ。こんなふしだらながあなたの橫に居ていいわけありません」

「良い悪いとかの問題じゃねぇだろうが。ウヅキさんを責める気なんかサラサラねぇよ。帰って來てくれて嬉しい。それだけだから」

布が熱くなる。ウヅキさんは泣いているようだった。だが、嬉し泣きとは違う。苦しんでいるように思える。

「私はっ、私は私を許せませんッ……。被害者は私だけじゃないんです……。メイさんまで巻き込んでッ。それなのに……。私だけこんな……。優しくしないで……」

「そのことなんやが、山本さんにウヅキさんの付き添いを頼んだのは俺なんよ。こんなことになってしまって、後ろめたい気持ちがある。だから一人で抱え込まないでくれ。一緒に謝ろう」

「……あなたがそれを言いますか」

布から出てきた手が、優しく俺の腕を抱きしめた。

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ジリリリリリリンッ………♪

ジリリリリリリンッ………♪

プラスチックのテーブルがカタカタと揺れる。

震源のスマホには、発信者の名前が表示されていた。

[発信者 ダーリン]

ジリリリリリリンッ………♪

ジリリリリリリンッ………♪

けたたましく鳴り続けるスマホ。いつまで待っても鳴り止まない。周囲の視線が自然に集まる。

スマホの持ち主はというと、周囲の目など気にすることなく両手を広げて、先日ネイルサロンで施してもらったばかりのスカルプチュアを眺めている。

本來なら留守電に切り替わるだけの呼出時間が経過したあと、ようやくスマホを手に取った。赤い髑髏で彩られた黒い爪を傷付けないよう、最大まで指を反らして応答ボタンを押し、スマホをテーブルに置くと、今度はネイルケアを始めた。

『あ゛ーーーッああぁあああああッッ!!!!』

『ひぎぃぃぃーーーいいぃいいいいッッッ❤︎!』

『うぅーー…… うぅーー……』

応答ボタンを押した直後、スマホのスピーカーからの悲鳴が響いた。一人だけじゃない。び聲は複數のたちから発せられたものだった。激痛にくような、あるいは、快楽にぐような聲にも聞こえた。

『よお、ヤヨイさん。し話があんだけども、いいかな?』

「あのさケーちゃん。今忙しいんだけど〜」

ヤヨイは長い爪にネイルケアオイルを塗りながら、気だるげにそう言った。

『爪の手れなんか後にして俺と話そうぜ』

カタンッ コロコロコロ……

驚きのあまりネイルケアオイルを落としてしまった。テレビ電話ではないため、電話の向こう側は見えないはずだ。それなのに、まるで見ているかのようにヤヨイの狀況を言い當てた。

「こっち見てんの?」

『目だけじゃなくて、俺は耳も良いんだぜ』

「話をするのはいいけど……。その前に合言葉を聞かせて♪」

『なー、そんなのいるかね。俺ってことはわかるやろ?』

「本人かどうかハッキリしないうちは何も言わない約束よ」

ケーが黙り、シンと靜まった直後、電話越しに微かに聞こえた。

『た、すけ、くるし、ヤヨ、さん』

『はぁ……。わかった。言うよ。"俺はお前だけをしてる"』

「ありがと♪」

『なー、せめてワードは変えようぜ。誤解しか生まねぇよ。この合言葉』

「じゃあ、初めてのエッチはお前が良いって言って」

『そういう冗談は好きじゃない』

「本當は好きなくせに。そんなんだからいつまで経っても貞なのよ」

クスクス、クスクスと、ヤヨイの周りで笑いを押し殺すような聲が聞こえる。

『他に人が居るみたいやな』

「他の乗客よ。移中なの」

『たす、けて、たす、けてッ』

『他に人が居ると聞いて元気になっとるわ。ほんじゃあ、もう一匹追加してやろうか』

「なんの話?」

『あー、今な。人ので生活したらどんな暮らしになるのか、モルモットを使って観察中なんや』

笑い聲が止んだ。

「天國にいるご両親が知ったらきっと悲しむわよ」

『科學の発展のためや。それに、親の教えはちゃんと守っとる。自分がされて嫌なことは人にしちゃいけないってな』

「ああ言えばこう言う」

『それよりもムツキ知らんか?』

「ムツキをお探し? どうして?」

『実はな、ムツキ主催のオフ會でウヅキさんが酷い目に遭わされたんよ。ムツキなら事を知ってるだろうと思って會いに行ったら、家に居らんくてな。そんで、監視員に話を聞くと、ヤヨイさんの名前が出てきたんで電話したってわけ。で? ムツキは今どこにおる?』

「ウチと一緒の飛行機に乗ってるわ」

『わかった。すぐに行く』

スピーカーから聞こえたケーの一言で、機がざわつき始めた。

「あー、待って。それはまずいわ」

『なんでや?』

「今、韓國の領空なのよね。アンタにはテロ疑がかかってるんだから、日本でジッとしてた方がいいっしょ」

『韓國やと? ムツキも一緒っち言うたよな? なんで國外に連れ出してんだ?』

「ウチが連れ出したわけじゃないわよ。大統領の命令。カゲワニが韓國に出現したから日本は責任を取れってハナシ」

『………ほーん。それでムツキをドラゴン退治の道にしようってか。俺になんの相談もなく』

電話越しに聞こえていたたちの悲鳴がパッタリと止んだ。

ヤヨイも黙り、奇妙な沈黙があったあと、電話越しのたちが揃って金切り聲をあげた。

ガラスを突き破るような悲鳴が耳をつんざく。ヤヨイの全に悪寒が走り、が粟立つ。息を潛めて通話を盜み聞きしていた乗客たちのにも、同じようなブツブツができた。

長い悲鳴を聞かされる。息継ぎの音のあとに沈黙が訪れた。

『似てるよなあ。前にムツキが死んだ時と。また俺に処刑させる気か?』

スマホから流れてきた音は、北風と思えるほどに冷たい。凍えた全を溫めるのに必死で、電話越しのたちがどうなったのか聞く余裕もなかった。

「早とちりしないで。ムツキの了承は得ているし、アンタに手を下させるつもりもないわ」

『互いの同意のもとだろうと関係ねぇ。ムツキまで危険な目に遭わせるつもりなら俺は許さねぇぞ』

「許さないってどうするつもりよ。どう思おうが、ここは韓國。アンタにはもう止められないわ」

り、語尾を強めたヤヨイ。恐怖でを震わせた他の乗客たちは「刺激するな」「落ち著け」と小聲でなだめた。

『ドラゴンは俺がぶっ飛ばす』

「國際問題になるわよ」

『そしたら高橋に責任を取らせる』

小さく、やめてくれっ、と懇願する聲が聞こえた。

ヤヨイは冷たい目で聲の方を一瞥したあと、再び視線をスマホに戻した。

「そんな簡単に言うけど、アンタの思い通りにはならないわ。韓國とは話がついてるんだから。アンタの味方はしてくれないわよ」

『構うもんかよ。今回の件に関しては一つも譲らねぇからな』

そのまま通話を切りそうな雰囲気だ。

「ちょっと待って!」

しかし、聲は屆かず、通話は切れてしまった。すぐに掛け直すヤヨイだが、一向に電話が繋がらない。さっきの今で、電波が屆かない狀態になっていた。

「く、くくく、來る、のか? や、奴が……」

隣の座席が震えている。その座席に座っているのは迎カミナだ。神々を束ねる主神とあろう者がけ無い聲を出して怯えていた。

「カミナちゃん。そんなに怖がらなくても大丈夫。ウチのそばにいれば安心だから」

頭を抱えて怯えるカミナを、ヤヨイはまるで子をめる母親のように橫から抱きしめた。

通路を挾んだ向こう側の席では、そんな有様の主神を目に焼き付けておこうと、頭のモヒカンを揺らしながらを乗り出す男がいた。

「無様だなぁ。みっともない。みっともない」

カミナは弱々しい目で、薄ら笑いを浮かべるモヒカン男を見る。

「ウヌは嬉しそうじゃのう」

「そりゃあそうさ。もうすぐ親の仇と會えるんだからなぁ。早く奴を呼べ。奴を」

高橋大統領の用心棒として雇われたモヒカン男は、待ち切れない様子で殺気を振り撒く。

「殺気をし抑えられるかしらモヒカン。警護対象が苦しんでるわよ」

「わりぃなぁ」

アンカーネの一言のおかげで、高橋は呼吸を取り戻した。アンカーネは「大丈夫?」と囁きながら、高橋の背中をさする。モヒカン男は反省のもなく、鼻をほじり始めた。

「む、迎ッッ! なんなんだコイツらは! 禮儀がなっていないにも程がある!」

「申し訳ありません大統領。あとでキツく叱っておきますので、しばしの間、ご辛抱ください」

「お前がどうしてもというから警備を変えてやったというのに……。まったく、どいつもこいつも私を誰だと思っているんだ」

そう言って、高橋は席を立つ。

「どちらへ行かれるのですか?」

「トイレだ! ここにいると息が詰まる」

「アン。ついてゆけ」

「了解」

高橋とアンカーネの姿が見えなくなったところで、ようやくモヒカン男は鼻をほじるのをやめ、高橋の席で指を拭った。

「くだらんなぁ。実にくだらん。今日死ぬ下等生のために何故頭を下げねばならんのか。余は神だぞ。主神になるべき神だ」

「トナーの子ケツァルポルカよ。そちらの準備は整っておるのじゃろうな。ちゃんとやるべきことはやれよ。ワシは死にとうないからの」

ケツァルポルカは薄ら笑いを怪しげに変えた。

「哀れなおばさんだなぁ。わかってる。ちゃんと退職祝いの用意はしてあるよ。退職祝いのな」

ケーに電話をかけるのを諦めたヤヨイは、スマホをポケットに仕舞い、席を立った。

「それじゃ。ウチはムツキにビデオを見せてくるわ」

「大人しく従ってくれるといいがのう」

「任せて。ああ見えて責任が強い子なの。自分のせいでウヅキが傷ついたと知れば、しはお利口になるわよ」

「そっちは任せるぞ。できるだけ早く帰ってくるのじゃ」

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