「フィローラ皇！」

森の中で、今にも壊れそうな結界の中で震えていたフィローラ皇達に襲い掛かろうとしていたフェンリルに火炎魔法をぶつけると、その景に皇の悲鳴が上がる。

結界の外には、いつもフィローラ皇の側にいた侍が二人ほど、大怪我をして倒れていてた。

恐らく結界が間に合わなかったのだろう。

「お怪我はありませんか？」

そう尋ねるとアメジストの瞳を大きく見開き、侍たちに守られるように震えながら地面にへたり込んでいる皇が小さな聲で言った。

「あ……貴方。なぜここに……」

「間に合って良かったです。リタ、狼煙を上げて。それから彼達の治癒を」

「はい」

そう言ってリタは、スカートの下に仕込んである諸々の中から連絡用の狼煙に魔法で火をつけた後、フェンリルに襲われたであろう地面に倒れ込んだの治癒を始めた。

今の不意をついた一撃がフェンリルを昏倒とさせているが、私程度の攻撃で簡単にやられてくれはしない。

けないたちを治癒するまで結界を張りつつ戦うしかない。

「……殘念だけれど、レオン様はこの結婚をおみでないそうよ」

「え？」

唐突に言ったフィローラ皇の言葉に思わず結界を張っていた手が固まる。

「『この結婚は執り行わず、貴方と一緒になりたい』と、彼の名前と家紋付きの手紙をもらったのよ」

ざわりと不快な何かが駆け上がるも、新郎控え室ではレオンとセルシオさんの聲が聞こえていた。

そんなはずは無い。

萬が一、レオンの心が私から離れて、フィローラ皇に心奪われたとしても、こんなひどい裏切りをするような人ではない。

そう言い聞かせながら震える手で手紙を開き、そこに並んだ文字を見つめた……。

手紙の中には彼の言った言葉と、待合わせ場所が書かれていた。

「……これは、レオンの文字ではありませんよ」

そう彼に言うと、フィローラ皇は言葉を失った。

「……は？」

「その手紙はレオンが書いたものではありません」

「何を言っているの！　ここに、レグルス家の家紋が！」

彼の指差したそこには確かに、獅子がに一つの星を抱いている家紋。けれど、細部が異なるこれはレグルス家の家紋ではない。

「違いますよ。それは似せて作られただけでしょう」

レオンから何度も送られた手紙も、毎日部屋に飾られる花に添えられたメッセージカードも、何度読み返したか分からない。

彼の手元にある文字とは大きく異なり、綺麗で、それでいて力強い文字がレオンの文字だ。

そう言うと、彼はその場にへたり込んだ。

こんなに有能な彼がレグルス家の家紋を見間違えるだろうか。

その時、フェンリルが唸り聲を上げて襲いかかって來た。

わしつつ切りつけたフェンリルの足から飛び散ったが、ドレスにかかる。

続け様にくる攻撃を避けながらも、いつもと違う足捌きの悪くなった裾を踏みつけてしまい、一瞬つんのめった。

このままでは戦うことも、彼達を守ることもできないと思い、きにくいドレスの裾を太ももあたりから裂き、足元で広がっている邪魔なドレープを切った。

「リタっ……！　治癒はどう⁉︎」

「あと一人です！」

私一人では彼達に結界を張りながらフェンリルを倒すのは無理だ。

襲いかかって來たフェンリルの爪を避け切れず、ドレスに飾られた真珠の飾りに當たり、真珠が弾け飛ぶ。

キラキラと、目の前で真珠がを反している。

あぁ、本當にどうしてこんなに私の結婚式はスムーズに行かないの……。

「お嬢様！」

「大丈夫！　リタは治癒に集中して！」

そうして黒竜の剣に通した魔力を一旦切り、氷結魔法で攻撃すると、フェンリルが間合いを取るために下がった。

「はぁっ……はっ……」

上がった息を整えながらも、剣にもういちど魔力を流し、フェンリルを見據える。

「貴方……今から結婚式だというのに……」

そう澄んだ聲で、私に言うフィローラ皇はこんな狀況でも神かと思う程完璧にしい。

月のを依ったかのような銀髪に、紫水晶を思わせる澄んだ瞳は驚きで大きく見開かれていた。

そこに立っているだけで、神々しさが滲み出ている。

「サルヴィリオ嬢。貴方のようなは……レオン様には相応しくないわ」

冷ややかに言った皇殿下の言葉に思わずを噛み締めた。

殿下のような人がレオンの隣にはふさわしい。

彼の側に立つのは私のようにドレスを著たまま、剣を振り回し、ウェディングドレスを裂き、泥とで汚すようなではない。

一度失敗した結婚式。

二度目までも……。

「――そんなこと、私が一番分かっていますよ。皇殿下」

誰よりも、自分がじている。

それでも、ここから引くことなど出來ない。

嘆くことなら後でも出來る。

ひとつ、深く呼吸をして、目の前の敵に剣を向けた。

フェンリルの攻撃をわしながらも、全てを避けることが出來ず、なんとか致命傷となる攻撃を避けることだけに集中する。

力の限界をじ、一旦殿下やリタ達の元に戻り結界を張るも、壊されるのは時間の問題だろう。

それでもしでも力の回復をと呼吸を整える。

「貴方、もう限界じゃない。私の……侍は放っておいて、貴方の侍に治癒してもらいなさいよ！」

「私より彼達の方が致命傷です。優先度が違います」

「……！　なんなの？　恩でも売ろうっていうの？　それとも私を憐れんでるの⁉︎」

「憐れむ？」

「そうよ。貴方はこの襲撃を偶然だなんて思っていないでしょう？　私だって、これがレオン様の名を騙ったものだったなら。……恐らく私の事業に反対する人たちの仕業よ……。國を出る時も、ここに來てからも脅しの手紙を何枚ももらったわ！　『生きたまま國に戻れると思うな』ってね……。國に戻っても敵だらけよ。味方なんていない」

「……それで、何故私が貴方を憐れむ事に繋がるんですか？」

「こんな……、こんな手紙に浮かれて、騙された私を憐れんでいるんでしょう？　貴方はいいわよね。でありながら、騎士団長として輝かしい人生を歩んできて、レオン様と結婚して。私の……気持ちも分かっているでしょう？　こんな結果になって満足⁉︎」

「……貴方達を、無事に守り切れれば満足ですね」

その時、フェンリルの攻撃で結界にヒビがった。

一旦結界を解除し、フェンリルに攻撃することで、意識を私に向けさせる。

「ぐ……っ」

思った以上に力は回復しておらず、まともに攻撃をけ、地面に叩きつけられた。

「貴、どう見ても限界でしょう？　もう良いわ！　もう良いから！」

ぶようなその聲に、視線だけで彼を見る。

「もう良いって何ですか？」

「え？」

「今の……私には……これしか無いんです。戦うことと、諦めないことだけが私にできる唯一ですから。貴方のようにしくも、才能も、らしさも無い。でも、レオンはそれでいいと言ってくれたから！　……ここで命も、貴方を守ることも諦めたら……っ」

何も私から殘らない。

「……助けてもらっても、謝なんてしないわ」

「そんなことんでませんよ」

その時、ドォンという衝撃と共に、目の前でフェンリルがきを止めた。

「間に合ったかな？」

「カミラ皇子⁉︎」

金の髪を靡かせながら、整いすぎた顔に笑みを広げて、再度雷撃をフェンリルに向けて放つと見事に直撃し、一瞬気を失ったフェンリルに背後からべレオ隊長の大剣の一撃によって、フェンリルは二度とかなくなった。

その景を不敵に笑ったカミラ皇子が、そこに落ちていた小さな木箱を手に取った。

その木箱は側から押し開かれたように、蝶番が外に向かって曲がって壊れていた。

小さな木箱の蓋についた、大きな魔石。そして、いるはずのない王家の森に、高ランクのフェンリルの出現。

カミラ皇子から聞いたマジックアイテムに間違い無いだろう。

「あ、あなたが……」

「え、何？　ティ……」

「あなたが狙われてるんじゃ無かったんですかー‼︎」

「え、第一聲がそれ？　『カミラ皇子強ーい』とか、『カミラ皇子素敵』とか無い？」

「あるかー！」

思わずそのぐらを摑むも、くらりと視界が歪む。

「おっと」

安心からか、大聲を出したからか、足の力が抜け、ふらついたところをカミラ皇子に背中を支えられた。

「お嬢様！」

侍達の治癒が終わったようで、リタがこちらにかけて來た。

「ああ、君か。早くティツィアーノの治癒をしてあげて。出がひどい」

その言葉に、リタが一瞬怯んだのが分かる。

「大丈夫よ、リタ。けるわ。魔力の無駄使いしないで」

本當はリタの魔力がほとんど無いことは分かっている。瀕死の人間を二人も治癒したのだから、消費した魔力は相當なはずだ。

「カミラ皇子、助けていただいたことは謝申し上げます。けれど、なぜこちらに？　貴方にはルキシオンが護衛についていたはずでは？」

「あぁ、そのルキシオンが狼煙に気づいたんだよ。『リタがお嬢様の急事態を伝えるものだ』ってね。それで僕とべレオが先に來てルキシオンは君の母君に報告に行ったんだけど……」

「護衛するべき貴方を行かせるなんて」

「僕やべレオが報告に行ったって信憑が低いからでしょ」

そう言って、やれやれと首を振る。

「ティツィ！」

「レオン！」

新郎裝にを包んだレオンが母とテトやルキシオン、騎士団員達を引き連れて現れた。

私を目にしたレオンの瞳が揺らぐのが分かる。

今、彼の目に私はどう映っているのだろうか。

こんな格好で、剣を持って立っている私が……。

レオンは自分の著ていたジャケットを私にかけると、私を抱きしめた。

「何があった？　こんなになって……」

「お嬢！　クラーケンの魔石です」

リタの視線で察したであろうテトが魔石をこちらに差し出し、レオンがそれをけ取ると魔力を流し、治癒してくれた。

「ありがとう。テトも……、ふふ、いいタイミングで持ってたわね」

「お嬢が分けてくれてて良かったっすよ。……笑い事じゃないんすからね」

「一、何があったんだ？　フィローラ皇までこんなところに……」

地面にへたり込んでいたフィローラ皇がビクリと肩を震わせた。

「あ、あの……」

「レオン。フィローラ皇はウィリア帝國を出てからも、エリデンブルクに來てからも殿下の事業に反対する人達に脅迫されていたそうで、今回も脅されてい出されたそうです」

そうレオンに説明すると、殿下が息を呑むのが分かった。

「そんな事が、殿下……ご相談頂ければ……」

「ごめんなさい、レオン様。我が國の事でしたのでお手を煩わす訳にはと思ったのですが、逆にご迷をおかけしてしまいましたね」

「そうでしたか……」

「レオン、母上、今會場はどのような狀況ですか？」

「あ、あぁ。テトがお前が飛び出したと報告しに來て直後、警備に當たっていたルキシオンがここから上がった狼煙を確認して連絡に來た。格國の要人は全員避難させている」

「では、このまま調査にれますか？」

「そうだな、フェンリルのような強力な魔が出て來ては王國騎士団の威信にかけて調査が必要だろう。そうだろ？　レグルス公爵」

「そうですね。すぐに調査団を編させます」

レオンはすぐ様後ろにいた王國騎士団員に指示を出す。

私は、フィローラ皇に近づき、彼が立ち上がれるよう手を差し出す。

「フィローラ皇、大変混されていらっしゃるかとは思いますが、當時の狀況のお話をお伺いできますでしょうか？　一緒にいらっしゃった侍の方もご一緒に」

「え？」

そうフィローラ皇に尋ねると、軽く目を見開いた彼は何も答えず、年配の侍が気まずそうに口を開く。

「い、今からですか？　でも、貴方の式は……」

「今からです。完全な安全を確認できておらず、式を行える狀況ではありませんし、それどころではないですから」

今、ここにいる人達の視線を痛いほどにじるも、ただ、淡々と現実を見ることしか出來ない。

「……分かったわ」

そう言った、殿下を立ち上がらせようとすると、フィローラ皇は膝に力がらなかったようで、カクンと崩れ落ちそうになるのを支えた。

「大丈夫ですか？」

「ええ。大丈夫よ」

そう言いいながらも、彼のが震えているのが分かる。

それもそうだろう、ウィリア帝國でほとんどいない魔に襲われ、死ぬところだったのだ。

気を失っていてもおかしくは無い。

「失禮致します」

彼の背中と膝下に手を添えて持ち上げた。

「えっ……」

小さく驚く彼の言葉に、「ご自ではけそうにないので」と伝え、レオンのいるところに歩いて行く。

「レオン、フィローラ皇をお願いします。……私は著替えてきますので」

「あ、あぁ……」

そう言って彼をレオンに託し、私はリタとその場を後にした。