《ロング・ロング・ラブ・ストーリーズ 4度目のさようなら that had occurred during the 172 years》第6章 1983年 プラス20 – 始まりから20年後 〜 3 革の袋(4)
3  革の袋(4)
しかし不思議なほどに、惜しいという気が湧き上がらない。
これでマシンに金を置ける。ちょっとした〝勘違い〟はあったが、もしかしたらそんな回り道も、時の流れにとっては必要なことだったかもしれないのだ。
そんなふうに思ってしまえば、百萬くらいの出費は仕方がないと素直に思えた。
剛志はそれから、自転車を必死に漕いで家路を急ぐ。そしてあと一つ角を曲がれば、自宅の屋が見えてくるというところでだった。
ハンドルを左に傾け、カーブを描きかけたその瞬間、視界の隅っこにいきなり軽トラックが映り込んだ。と同時にクラクションが鳴り響いて、慌ててハンドルをさらに左に切ったのだ。
「ガツン!」という衝撃。続いてフワッと浮いた気がして、その直後に地面に叩きつけられる。
腰から背中に痛みがあって、途端に息ができなくなった。
それでもほんのなん秒かで呼吸も戻り、気を失うことなく彼はフラフラ立ち上がる。
――急がなきゃ!
ただただそんな思いに支配され、自転車を起こして再びサドルにまたがった。
そうして十一時に十分以上殘して、剛志は自宅までたどり著く。
そのままバッグを抱えて、マシンに歩み寄ろうとした時だった。
――革の袋が、ないじゃないか……?
それ以前に、あの袋をどうやって手にれるのか? 唐突にそこまで思ってすぐ、続いてあることが思い浮かんだ。
――袋はある。あれは確か、捨ててないはずだ。
病院に現れた弁護士は、アパートにあった革の袋までバッグにれてくれていた。
それが単なる偶然なのか、それとも意図してのことかはわからない。ただとにかく、剛志はそれを今の今まで捨ててはいない。それでも……、
――あれをあのまま使っていいのか? そんなことで、本當にいいのか?
マシンで見つけた袋でいいのなら、それならそれで構わない。ただこの先もずっと繰り返していけば、革袋はどんどん劣化していき、いずれ使いにならなくなるのは決まっていた。
――そもそも、あれを最初に持ち込んだのは、俺なのか? それとも他の誰かか?
三十六歳の剛志に渡っていくあの袋は、二十年という歳月を行ったり來たりしているのだ。
しかし誰かが最初に持ち込まない限り、どの時代であろうと剛志が手にすることはない。
まるで卵が先か鶏か? みたいな話だが、どちらにせよ今から買いに行く時間などなかった。
だからしまってある袋を使おうと、屋敷にって思いつくところを捜しまくる。ところがどこにも見當たらず、時間だけが刻々と過ぎ去った。そしてふと、別の袋で代用するか……そう思った時突然、ずっと忘れ去っていた記憶が一気にふわっと舞い戻った。
――あれが、まさか……?
ずいぶん前のことなのだ。
節子のクローゼットにった時、よく似た革袋を棚奧に見つけて、剛志は一度その手をばしかけたのだ。ところがその時ちょうど、節子の探しがようやく見つかる。
だからほんの一瞬考えて、剛志はばしかけた手を途中で止めた。
そもそも、あの袋のはずがない。似てる袋なんてこの世にごまんとあるだろう――などと思って、これまでずっと思い出さずにいたのだった。
しかし今になって思えば、あの袋だったような気がしてならない。
――だったらどうして、あれがあんなところにあったんだ???
さらにそんな疑念が重なって、ふと、顔を上げようとした時だった。
突然スイッチを切られたように、目の前がストンと真っ暗になった。と同時に、書斎で立ったまま考え込んでいたはずが、なぜかうつ伏せで地べたに顔を押しつけている。
――どうして!?
頰にザラつくがあって、さっきまでの暖かさが噓のように寒かった。
何が起きた? そう思って辺りの様子見ようとするのだ。ところが顔を上げるどころか、いつのまにか瞳も閉じていて、それがどうやったって開かない。さらに全がギシギシ痛み、特に後頭部が割れそうに痛かった。
――俺は、いったいどうしたんだ!?
そう思ったのが最後だったと思う。
その後、あっという間に、彼の意識は消え去っていた。
次に目が覚めた時、剛志は病院のベッドに寢かされていた。すぐそばには節子がいて、今にも泣きそうな顔であらぬ方を見つめている。
剛志が薄眼を開けて「節子」と呼ぶと、彼の橫顔が一気に崩れる。それからすぐに剛志の顔を覗き込んで、口のきだけで「バカ」とだけ言った。
それからすぐに醫者と看護婦が現れて、痛みはあるかと尋ねてきたり、名前や誕生日なんかをさんざんっぱら聞いてくる。圧やらなんやら検査があって、彼らが病室を去ったのは三十分くらいしてからだ。
そうして二人っきりになってすぐ、剛志は節子に聞いたのだった。
「俺は、なぜ病院なんかに? それにおまえ、どうして日本にいるんだ? まさか俺、三週間ずっと寢てたのか……?」
ツアーから戻った節子が、書斎で倒れているのを見つけてくれた。そんなふうに思ったが、それはあまりに見當違い。
「ぜんぜん違うわよ。やっぱり、三週間って長いじゃない? これまで一週間くらいはあったけど、こんなに長い旅行なんて初めてだから、搭乗する直前、やっぱりって思ってキャンセルしちゃったのよ。そうして慌てて帰ってきたら、まあこれだもの。ホントよかったわ、あのまま飛行機に乗っちゃわなくて……」
三週間も、一人にしておくのは申し訳ない。
そんなことを言ってくれる彼に、剛志は思わず聲にしてしまった。
「三週間くらい、大丈夫だったのに……」
そんな呟きに、節子の表が突然変わった。滅多に険しい顔など見せない節子が、いきなり眉間にシワを寄せ、明らかに不機嫌そうな聲となる。
「あのね、いったいどこが大丈夫なの? ぜんぜん大丈夫なんかじゃないじゃない!? 事故になんか遭っちゃって、また目が覚めなかったらどうしようって、わたしがどれほど心配したと思ってる? あなたどうして、急に自転車なんか乗ったのよ。それによ、家に帰れば帰ったで、変な男たちが庭にり込んでるし、あなたはいったい、あの日どこで何やってたの!?」
変な男たち……それは紛れもなくあの三人組だ。
やっぱり、あれはちゃんと起きていた。
きっと今頃あっちの時代で、三十六歳の剛志は警察の尋問をけていて、そろそろ病院から連絡がったくらいだろう。
そして何より心配なのは、智子がどうなったかということだ。
ただ、マシンのことは口にはできない。だから心配かけたと一生懸命謝って、その後はなんだかんだ噓八百を並べたてる。そうして機嫌が治った頃を見計らい、何気ないじで聞いたのだった。
「……、それで、その変な男たちってどうなった?」
「不法侵って、わたしが大きい聲出したらね、すぐに逃げてったわよ。ねえ、あなた本當に、あいつらのこと知らないの?」
「知らないよ。だってその頃にはさ、俺は地面に抱っこされてたんだろ?」
「それはね、まあ、そうなんだけど……」
そう言いつつも、どうにも納得できないという顔をする。
「でもあの人たち、あそこで何してたんだろう? 離れの前に大きな巖があるでしょ? あの巖の周りに立って、ぼうっと何かを見ていたわ。そのあとすぐに電話があって、あなたがこの病院に擔ぎ込まれたって言うでしょ。でもね、これも本當におかしいのよ。ここに著いてみたら、あなたがどこの誰だかって知らないの。だから、誰もうちに電話なんかしてないってわけよ……ホント、あの電話って、いったい誰からだったのかしら? あなたには、誰か思いつくような人っているの?」
そんなことを聞かれてしまうが、電話の主にはさほど興味がないらしい。
節子はあっという間に話題を変えて、剛志が擔ぎ込まれた時の様子を話し始めた。
この時一瞬、の子がいなかったかと言いかけるが、もしいたんなら節子が口にしないはずがない。マシンが消えて、あの三人が驚いている間に庭からさっさと逃げ出したのだ。だからきっと、剛志が送り返したマシンは、今も扉の閉まったまま巖の上にあるのだろう。
あの時、いきなり昭和三十八年の林に戻った彼は、一か八かの決斷をした。
――このままじゃ、智子はあっちに行きっぱなしになる!
智子を思えばそうするしかなかったし、マシンが向こうにちゃんと著けば、きっと彼もこの時代まで戻って來られる。そう信じてマシンを起させ、剛志は表に飛び出したのだ。
ところがマシンが戻った時には、智子は庭のどこにもいない。
幸い帰宅した節子も庭を眺める余裕などなく、大慌てで剛志の擔ぎ込まれた病院までやって來た。
あの時、剛志は自宅のすぐそばで、ひん曲がった自転車と並んで倒れていたらしい。
そんなところを通りかかって、誰かが救急車を呼んでくれた。財布にっていた分証か何かで番號を知ったのか? とにかく家まで電話をかけて、この辺りで一番大きな救急病院の名前を節子に告げた。ところが病院に到著しても、剛志は目を覚まさない。
「の方は打撲程度なんだけど、また今度もね、頭をけっこう強く、打ったらしいの……」
それでも今回は、節子が到著して十五分くらいで意識は戻った。
――それで、あんな変なシーンを、俺は見てたのか?
実際は軽トラックと接して気を失ったくせに、そのまま自宅に戻った気になっていた。
であれば、あの四百萬はどうなったのか? ショルダーバッグの所在を聞いても、現場には自転車以外、何も殘されていなかったらしい。
――救急車を呼んでくれた誰かが、中を知って持ち去ったのか?
だから名前も名乗らず電話を切った。そう考えれば辻褄は合う。しかし、たとえあの金が戻ってきても、三十六歳の剛志はもうここにはいないのだ。
すべては剛志の勘違いのせいだ。
それさえなければ、昨日の夕刻には五百萬だって置いておけた。そうすればきっと、時の流れの何かが変わって、あの革袋だってちゃんと姿を見せたのかもしれない。
あの時、老婆の持ってきた札を眺めて、剛志はすぐに気がついたのだ。
「あれっ」と思って、手に取った札を端から端までじっと眺める。
「ない!」と思うまま、彼は札束をパラパラっとめくった。
一萬円札のどこを眺めても、札束の萬札どれもこれも……、
――発行年なんて、印字されてないじゃないか!?
結局、何がどうであろうと同じなのだ。この時代で流通している紙幣でも、昭和三十八年でだって立派に通用する……と知った時にはもう遅かった。
――どうして、発行年なんかにこだわったんだ?
そのせいで、マシンは金のないまま行ってしまった。その後はおんなじことが繰り返されて、きっと今頃はマシンだけが庭にある。
歴史の流れというものは、何をしようと変わることはない。そんな確信がここに來て、いとも簡単に崩れ去ってしまった。
剛志はその晩だけ病院に泊まって、次の日の午前中には退院が許される。
會計やら何やら節子にぜんぶやってもらって、二人はお晝頃には家路に就いた。門の前でタクシーから降りると、車のひん曲がった自転車がすぐ目にる。誰が運んでくれたのかと節子に聞くが、彼は何も知らないらしい。
四百萬のお禮のつもりか? 到底ありそうもない想像だったが、それ以外に誰が屆けるかという気もする。
ただとにかく、自転車の狀態からすれば、たった一晩の院で済んだことには謝しなければならないだろう。それからさっさと家にろうとする節子へ、剛志はずっと頭にあった言葉を投げかけるのだ。
「僕はちょっと、庭の方を見てくるよ。昨日いたっていう男たちが、もしかして庭で何かしてるかもしれないだろ?」
そんなことよりの方を心配しろと、呆れるような聲が返ってきたが、こればっかりは「はい、そうですか」というわけにはいかない。だからひと回りするだけだと返し、剛志はさっさと巖の方に歩いていった。
さっき、病院でのことだった。
擔當醫が正式に退院を告げ、病室から出て行ってすぐのことだったのだ。
「でも、わからんよな、二度あることは三度あるって言うからさ、家に帰った途端すっ転んで、また意識不明になっちゃってさ、擔ぎ込まれるなんてこともあるかもしれんし……」
剛志は思わずそんな臺詞を口にして、振り向く節子におどけた顔を見せようとした。
ところが節子が振り向かない。ボストンバッグを膝に置き、丸椅子に座ってき一つしないのだ。
ついさっきまで、タオルや下著やらを用にバッグに詰め込んでいた。それも途中で手を止めて、節子は背を向け、ジッと窓の方を向いている。だから剛志は続けて言った。ちょっとした気まずさを意識して、それでも明るい聲で節子へ告げる。
「まあ、もちろんそうならないように、俺だって気をつけるから、大丈夫だけどさ……」
そう言い終わった途端だった。
節子の聲が響き渡って、さらにひと呼吸置いてから、彼の顔が剛志に向いた。
いい加減にしてほしい。
今度そんなことになったなら、
わたしはあなたと離婚します。
要約すればこうなるが、その何倍もの言葉が彼の口から溢れ出た。
目には涙が溜まり、息を吸うたびに口元がわなわな震えて見える。
この瞬間、剛志は初めて節子の気持ちを知ったのだ。
植狀態の男が奇跡的に目を覚まし、なんとか十年間は生きてきた。しかし今後、何かの衝撃でいつなん時、再び眠りに就くかもしれない。
きっと彼の心には、片隅にいつでもそんな恐怖があったのだろう。
――これからは、節子との生活だけを考えて、生きていくから……。
そんなことを心に念じ、剛志は心の底から節子に詫びた。
もう二度と、今回のようなことはやって來ない。すべては終わってしまったし、こうなってしまえば、あとは忘れてしまうくらいしかやることはない。
そうして最後に、庭がどうなっているかを確認する。もちろん殘されたマシンはそのままにして、いつなんどき智子が戻ってきても、使えるようにしておくつもり……などと、そう思っていたのだが、剛志の思う通りにはとことん進んでくれないらしい。
マシンがあれば、太のですぐにわかるはずなのだ。ところがいくら目を凝らしても、巖の上にはなんにも見えない。慌てて駆け寄っても同様で、
――やっぱり、智子はマシンに乗ったのか?
マシンがないということは、そういうことになるだろう。
庭からは出て行かず、彼はずっとどこかに隠れていた。男たちが逃げ去って、節子が家にってか、もしかしたら病院に向かってからかもしれないが、過去から戻ったマシンにきっと智子は乗り込んだのだ。
それでも、二十年前には戻っていない。
ならば作を誤って、二十年未來へ行ったのか?
二十年後、2003年で待っていれば、再びこの場所に現れるのか?
そんなことを考えているうちに、新たな疑問が降って湧いたように浮かび上がった。
三十六歳の剛志は、確かにマシンに乗ったはずだ。男たちが呆然と立ち盡くしていたというから、そこのところはまず間違いない。彼のバッグは巖の隅っこに置かれたままだし、となればやっぱり無一文で旅立った。
――ならばどうして、この時代になんの変化もないのだろうか?
金がなければ旅館には泊まれない。まして児玉亭への援助なんかは絶対的に不可能だ。となれば何から何まで狀況は変わるし、節子との出會いだって同じようにはならないはずだ。
きっと、ミニスカートどころではなかったろう。生きていくだけで大変で、あんなアパートだって借りられたかどうか……?
ということなら、あんな事故にだって遭っていないんじゃないか?
――俺は節子と、出會えてたのか?
様々な疑念が渦を巻くが、この瞬間まだ、剛志は慣れ親しんだ庭にいて、中では節子が剛志の戻りをイライラしながら待っている。これは紛れもない現実で、いつもと変わらぬ日常だ。
――本當に、何も変わっていないのか?
そう思って辺りをグルっと見回した瞬間、すぐに何かがおかしいと気がついた。
節子が家の中にってから、なくとも十分以上は経っている。きっと普段の彼なら、今頃どこかの窓から顔を出し、とっくに何か言ってきたっていいはずだ。
それなのに、すべての窓は閉じられたまま……。
「ちょっと、待ってくれ、やめてくれよ……」
剛志は思わずそう呟いて、その場で一気にけなくなった。
たとえ今、三十六歳になった智子が現れても、それは節子の代わりにはなり得ない。
もちろん剛志にとって、智子は今でも大事な存在には違いないのだ。元の時代で幸せになってほしいし、葉うならいつの日かもう一度、きちんと會って話がしたいと思っている。
けれどそれは、五十六となった剛志にとって、昔懐かしい想いからくるものなのだ。
これからの人生一緒に過ごしたい――などというものでは決してないし、まして十六歳のままの智子であればなおさらだ。
この十年、節子と過ごした時間が大事で、彼を失ってしまうことこそ、剛志の一番恐れていたことだ。
「節子!」
彼は思わずその場でんだ。
妻の名前を聲にしながら、玄関目指して一目散に走り出す。玄関扉を押し開き、剛志は聲を限りにぶのだった。
「節子! 行かないでくれ!」
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