《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》67話 イアン、またやらかす(サチ視點)
サチが、クロチャンのことをイアンに口止めしておかなかったのはまずかった。皆に會えたことでのぼせていたのと、新たな問題に頭を悩ませていたのもある。注意が散漫になっていたのだ。
診療所を早引きしていたので、その日の夕食はサチが作った。イアンとエドに手伝わせ、配膳などをさせる。グラニエは気づかず、ザカリヤと話し続けていたが、エドが皿を並べているのを見てギョッとしたらしい。途中から廚房をのぞきにきた。そして、この家に使用人その他諸々が存在しないことに気づき、オロオロし始める。なかなか良い反応だ。サチはほくそ笑んだ。
生まれも育ちも貴族のグラニエからすると、食事の用意は人にしてもらうもの。それを自分の主にさせている。騎士団時代、サチが料理を振る舞った時など泣いてしまったこともある。あれは、おいしくて泣いたのではなく、不遇な主をどうにもできないことに嘆いていたのである。
「あ、グラニエさん、座っててください。今、ご用意しますのでー」
以前の言葉遣いで言ってやれば、グラニエは髭をプルプル震わせる。
「久しぶりに會ったというのに、そういう態度を取るわけですか。本當にあなたという人は……」
「ここに泊まるんでしょ? 慣れてくれなくちゃ。著替えとか、の回りのことは全部ご自分でお願いしますね?」
「なにが気に障ったのかはわかりかねますが、そういうところですよ? 素直にしていればいいのに、かわいげがない」
サチは別に悪気があるわけではなかった。腹を立てているわけでもない。グラニエが英雄としてのザカリヤに心酔するのも構わないと思っている。年時代の憧れが目の前にいれば當然だ。まえと同じように、じゃれあいたいだけだった。
怒っているグラニエは放って置いて、サチはスープの味見をした。魔國は作が育ちにくいから、夜の國同様、野菜類には苦労する。木の実や保存のきくハーブ、菜類を使うことが多かった。
スープは白花豆のポタージュ。豆類も保存がきくので重寶する。屋の植木鉢で栽培しているディルを飾る。他には翼を持った鹿、ペリュトンの薫製とか、サバの塩漬けをハーブとチーズでくるくる巻いたやつとか、スパイス強めのサボテンステーキなど。
メグが帰ってきたので、サボテンを焼き始めたところ、イザベラがをぶつけてきた。
「痛った!」
かまどに網を載せて焼いていたから危ない。うしろからドォーンとやられたら、大火傷するではないか。火傷くらいならまだいい。火が服に燃え移ったりしたら大慘事だ。
「なんなんだよ? 危ないだろ?」
「わたしを置いて、イアンたちとどっか行っちゃったのはどーして?」
「何があったか聞くためだよ。君だって、ずっと俺の父親と楽しそうに話してたじゃないか?」
「ふぅーん……」
疑り深い目でサチをジロジロ見てくる。なにかづかれたかもしれない、とサチは思った。イザベラもイアンと同じく、余計なことには勘が働く。一番知られたくないのはメグへの淡い心だ。絶対、めちゃくちゃにされるだろう。イザベラには前科がある。
「今夜わたし、あなたの部屋で寢るから」
それだけ言って、イザベラはぷいっと背を向けた。ディアナと同じ薫香が鼻をくすぐり、サチはなんとも言えぬ気持ちになった。
──同じ部屋で寢るって、あいつ……
既事実を作ってしまおうと思っているのかもしれない。そして、ことあるごとにそれを持ち出し、サチを縛り付けるつもりだ。
──勘弁してくれよ
せっかく無事を確認し合えたのに、こんなギクシャクした雰囲気で夕食はスタートした。サチが悪いのは言うまでもなく、グラニエやイザベラのせいにするつもりはなかった。
ザカリヤはグラニエたちが泊まることに気づき、最初のころほどの気安さがなくなっている。くわえて、サチを奪われるのではないかという懸念もあるのだろう。言にも気を使い始めた。何も知らぬメグだけが嬉しそうに、食べを頬張っていた。
「ほんとにサチが作るご飯って、おいしい。毎日のようにこれが食べられるあたしたちは幸せだよ。ねっ、ザカリヤ」
「……うむ」
グラニエが顔をしかめているので、ザカリヤは生返事だ。グラニエからすれば、サチは英雄王の生まれ変わりで王子。使用人のように扱うなと。
「メグさんはお醫者さんなんですよね? すごいなぁ、こんな不便なところで診療所をやるなんて……それこそ白の神だ」
聲のトーンを変えて、メグに話しかけるのはイアンだ。瞬きせずにメグへ熱視線を送っている。綺麗なを見ると反応するのは、もはや病気の一種であろう。
ヤメロ──サチの心のびも虛しく、イアンのクソアピールは止まらない。メグも褒められて、ニコニコしているし……
「眼鏡のって知的で格好いいですよ。男の醫者とちがって、丁寧に診てくれそう。大ケガをしても安心がありますよね、きっと。俺も診てもらいたいな」
「醫者に男ももないけどね。どこか悪いところがあるの、イアン君は?」
「先日、カラスみたいな魔人に噛みつかれて、それは治ったんだけど……その時、つかみ合って地面をゴロゴロ転がったせいか、関節のあたりに違和があるんですよ」
「骨がズレちゃったのかなぁ? よかったら、あとで診ようか? 簡単に治るものかもしれないし……」
──ふざけるな。理由をつけて、きわどい場所を診てもらおうとするんじゃない。メグさんは賢いなんだよ。君みたいな馬鹿はお呼びでないからな?
サチは苛ついた。イアンを思いっきりにらんでも気づかず。隣に座っていたら、蹴飛ばしてやるのだが、あいにくサチは上座に座るザカリヤとテーブルの端と端で向かい合っている。イアンの席とは、やや距離があった。
十人程度が座れる々歪な一枚板のテーブル。ザカリヤの左手にイザベラ、メグが座り、向かい合ってエド、グラニエ、イアンと並んで座っている。
ザカリヤはエドから黒曜石の城跡の場所を確認していた。イアンとメグの會話にはまったく無関心である。この時點ではまだ、ザカリヤにとってイアンは息子の友達。名前に聞き覚えがあっても、そこまで強い関心を持っていない。
サチは我慢できず、口を挾んだ。
「メグさん、イアンは大丈夫ですよ。ものすごい頑丈なんです。ただ、の人に診てもらいたいだけですから」
「あっ、サチ、そういうこと言うのか? 俺は本當に骨が痛いのに」
「だって、関節って? 普通、喧嘩でそういう所がおかしくなるか?」
「これだから素人は。俺みたいな武闘家は全を使って戦うから、あとで変な場所を痛めることがあんの……それとメグさん、傷痕がかゆくなることがあるんです」
「かゆみを抑える薬なら診療所にあるよ。あとで取ってこようか? どんなじの傷痕?」
メグが優しいのをいいことにイアンは図に乗る。袖をまくり上げた。
──あ、ここでその傷を見せるんじゃない!
サチが懸命に頭を振っても、時すでに遅し。
「うん? 普通の傷じゃない? 呪詛が練り込まれているような……」
メグの表が曇る。魔の臣従禮の痕を見せられてはそうなるだろう。イアンはマズいことに気づき、すぐに袖を下ろした。ここは魔國。メグもザカリヤも亜人だということを忘れていたのだ。
ザカリヤは見間違いと思ったのか、目を何度も瞬かせている。こっちもアホでよかったと、ホッとするのも束の間──
「さっき言ってたカラスみたいな魔人って、どんなの? あたしの知ってる魔人だといやだな」
メグが突っ込まなくてもよいところに反応してしまった。イアンはこともなげに、
「ああ、クロチャンという……」
答えてしまった。
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