《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》70話 蛇(サチ視點)
ゴゴゴゴゴゴ……
地底で暴れるマグマが今にも噴き出さんとしている。そんな音が聞こえてくるのは気のせいだろうが、おどろおどろしい空気は本だ。
うねり狂う髪は蛇のごとし。全から邪気を発している。これは執念に加えて怨念。恐ろしいほどの負のパワー──嫉心にを焦がすイザベラを前にサチは、の危険をじていた。
──殺される……いや、自分のことはどうでもいい。メグさんに危害が及ばぬようにしなければ。なんとしてもメグさんを守る!
「なにを言ってるんだ? メグさんは関係ない。俺は今言ったとおり、個人的な事で主國へは帰らないんだよ。邪推はやめろ」
「ふん。格好つけて、取ってつけたような理由言わないで。本心はのことでしょうが」
「ちがう! 関係ないメグさんを巻き込むな!」
本當に噓は言っていないのだ。正直に自分の気持ちを話した。ただ、そこに“メグさん”という存在が抜けていただけで。
「必死に否定するってことは、やっぱりそうなのね。確信したわ」
邪悪なオーラをまとったイザベラは嘲笑した。とことん意地の悪い笑い。
「わたしのこと、ふしだらとか? よくも言ってくれたわね。自分はどうなのよ? 父親の人に橫慕。どう考えてみたって、勝ち目なんかないのに。みっともないと思わないの?」
「あ、人? メグさんはそんなんじゃ……」
「じゃあ、なんだっていうのよ?」
「よくわからないけど、家族のように同居してる人なんだ。斷じて、そんな汚れた関係ではない!」
「本人に聞いたの? ザカリヤ様とあなたは、なんなんですか?って?」
「それは……」
「ふ……やっぱり、確認してないんじゃない。怖くて聞けないんでしょう? なんなら、わたしが聞いてあげようか?」
「ヤメロ」
「まあ、聞かなくても明らかよね。一つ屋の下で父親と好きな人がの営みをしているのって、どんなじなのかしら? 今夜、のぞいてみたらどう? あなたの抑えきれないを満たしてくれるかもよ?」
イザベラがじゃなかったら、サチはぶん毆っていたかもしれない。ふふんと笑う顔は嗜に満ちており、それこそ神話に出てくる蛇を彷彿とさせた。そういえば以前、仮裝パーティーで會った時もそのような裝いをしていた。ヴィランは彼にぴったりだ。
サチは我慢するのをやめた。
「嫌なだな、君は。心からそう思う。俺が不快に思う言葉を次から次へとよく吐けるもんだ。俺は心の優しいが好きなんだよ。だから、君みたいな底意地の悪い子は好きにならない。主國に帰ったら、もう二度と會うこともないだろうね。忙しいだろうし、君にも見合い話があるだろう。俺以外の男とどうぞ、お幸せに」
言いたいことをすべて吐き出してからサチは構えた。毆られると思ったのである。以前、毆られて吹っ飛んだあげく流した。彼の掌打は河を倒すほどの威力だ。
だが、拳は飛んでこない。サチは警戒心を解かず、様子をうかがった。油斷はだ。剣で見合う時の迫に等しいものがある。
奇妙なことに増幅した邪気は、イザベラからスッと引っ込んでしまった。今度は泣くのかと思いきや、不気味な笑みを浮かべている。
──なんだろう? ものすごく嫌な予がする
本音をぶつけてすっきりしたはいいが、サチは不安になってきた。泣くか、暴力に訴えるならわかる。だが、余裕の態度のイザベラには違和がある。
──もう二度と立ち直れないくらいの仕返しを用意してるとか?
サチはいっそのこと謝ろうかとも思った。何をされるかわからない気持ち悪さを抱いたまま、別れるのはよろしくない。
謎の笑みと落ち著きは、いったいどこから來るのか。彼が暴しなければ、サチは確実に頭を下げていただろう。
自信満々にイザベラは呪詛を吐いた。
「ふふん。あなた、自分のが就するとでも思ってるの?……教えてあげるけど、あなたがどんなにい焦がれようが絶対無理よ? まず、あの父親に勝てるわけないでしょう?」
「父は俺の母のクラウディア様以外はさないと言っていた」
「それはそうでしょうよ。でも、のほうは、だけの関係でも構わないと思うものよ」
「メグさんはそういうんじゃない」
「あのメグさんて人、とっても一途そう。それに真面目で誠実そうよね? ザカリヤ様と別れることになっても……そんなこともないだろうけど……その息子とどうにかなるなんてこと、絶対にないんじゃないかしら?」
ごもっともな分析。し會っただけで、ここまで推察できるとは。能力をこんなことではなく、人のために生かせればいいのに。どこまでもイザベラは嫌なだ。
「絶対に失するのがわかってるから、わたしは笑ってられるの。あなたがまた、みじめに振られるのを楽しみに待っているわね」
「振られても、君のもとへは行かない……」
その後の憎まれ口は封じられた。
不意打ちだ。イザベラはサチの襟元をぐいっと引っ張ったのである。毆られることは予測していても、喧嘩の最中にこれは想定外だった。
サチは強引にを奪われた。
「じゃあね、サチ。頃合いを見計らって、めに行くわね」
唖然とするサチを置いて、イザベラは部屋を出た。とりあえず主國へ戻るが、サチのことをあきらめる気はさらさらないらしい。
イザベラがいなくなって、サチはしばらく放心した。彼が座っていた所には、魔法の札が置かれてあった。餞別のつもりか。
──なんなんだ、あいつは。
力したのは呆れたからか、いや……
ああは言っても、サチはイザベラのことを嫌っていない。助けられているのは事実だし、好いているところだってあるのだ。元気な姿で會えたのは嬉しかった。だから、こんな別れ方をしたくなかった。
──嫌な言をしてこなければ、俺だって素直になれるのに。もっと、まともな形で好いてくれたら……狂気じみているから嫌なんだよ。
これまでの謝を伝え、生きて會えた喜びを分かち合いたかった。魔國でイアンたちとどんな生活をしていたかも聞きたかったし、百日城でサチが意識を失っていた時のこと、もっと言えば蓬萊山での冒険の話、六年前の魔國、グリンデルから夜の國へたどり著くまでの話……
どれも、ユゼフや他の皆から聞いているが、イザベラからは何も聞いていない。サチとイザベラは圧倒的に會話が不足していた。
──會話する時って、いつも罵り合っているよな? 顔を合わせれば喧嘩ばかりなのに、どうしてあいつは俺に執心するのだろう?
自分のどんなところが好きで、いつから好きなのか、どうして好きなのか、聞いてみたい気もした。考えてみたら、彼のことをサチは何も知らない。守人としてどんな教育をされたのか、ディアナと喧嘩はしないのか、歌は誰に習ったのか。魔國で一緒に生活していた時も、彼は個人的な話をサチにしてくれなかった。
サチはをでた。熱を持ったにはまだ余韻が殘っている。激しい熱はを割って、中にまでってきた。寸前まで彼を嫌悪していたのに妙だ。どうして、もっとほしいと思うのか。
いなくなったあとで彼のくるくるした黒髪に指を絡ませ、らかいを吸いたいとまで思う。きっと、優しくれられたら、サチは簡単にイザベラのとなったにちがいない。を渇していたし、心は泣いていた。
サチはを飾らないで表に出せるイアンが羨ましかった。嬉しいも悲しいも好きも嫌いも、いつもその場ではっきり示すから間違うことがない。
小悪魔か妖かが、好きと嫌いの境界線をいつも悪戯する。消したり、違う所に書いたり──消された細い線を何度も書き直しているうちに、よくわからなくなってきた。
泣いてを任せてくれるだけでよかったのだ。シンプルかつストレートに苦しみを共有したかった。もし、そうしていたら──
サチはそっと舌を出す。濡れた下を舐めると、彼の味がした。
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