《ドーナツから蟲食いを通って魔人はやってくる》79話 アンジェリーヌ夫人のお屋敷(リゲル視點)
(リゲル)
寢不足のリゲルは不機嫌だった。夜型人間のリゲルにとって、真っ晝間の日ほどうっとうしいものはない。くわえて、自分の置かれた狀況だ。する主はリゲルを蔑ろにし、人の監視をさせている。
今、リゲルがいるのはイザベラの母アンジェリーヌ夫人の邸宅だ。ディアナを見張るため、このお化け屋敷……もとい、ボロ家に一週間も滯在していた。
ボロ家の狀態は一週間前より改善されている。ユゼフがディアナのために使用人を送り、清掃や庭の手れをさせたからである。
ディアナの機嫌は良く、毎日楽しそうに過ごしていた。自慢の金髪を流行りの大きめのシニヨン※にし、華やかなドレスにを包む。毎日がファッションショーだ。たまたま保護されていたユマという娘と意気投合したのがよかったのだろう。一緒に編みをしたり、お菓子作りにお茶會と仲良く地味な娯楽に興じていた。
「ユマがいてくれて本當に良かったわ。こんなに気の合うお友達は初めてかもしれない。運命的よね?」
「ええ。わたしもディアナ様がいらっしゃってくれて嬉しい! アンジェ(アンジェリーヌ夫人)にも謝してますが、獨りぼっちで不安だったの。穏やかな気持ちでお腹の子を育てられるのは嬉しいわ」
二人は砕けた口調で、數年來の親友のように話した。リゲルから見て、この二人の関係はなかなか面白い。
ユマは人形にそのまま命を吹き込んだような可らしい娘だ。クルクルした巻きがリゲルのエミリーちゃん人形に似ている。あのしょうもない深親父、アスターの娘とは見た目から想像もつかないだろう。従者ダーラの子をごもり家出していたところ、アンジェリーヌ夫人に保護された。
ディアナは三度も出産を経験しているので、ユマにいろいろとアドバイスしていた。
「甘いものはフルーツを中心に食べましょ。を冷やしてはダメ。運はしてもいいのよ。そのほうが産むとき楽」
「つわりの時は本當につらかった。最近、やっと収まってきたの。ディアナ様のアドバイスが効いたのね」
「私も最初の子の時は、つわりがひどかったからね。特に気をつけないといけないのは匂いよ。香水や薫きを控えさせたわ。あと、食事はハーブと香辛料がダメ」
「でも、なぜかハーブティーはよかったんですよね。ディアナ様のおっしゃるとおり、ハーブティーを飲むようにしたら、収まりましたもの」
「ハーブティーは良いものと悪いものがあるわ。暁城の母に聞いたのよ。夜の國では一般的なドクダミが、主國ではなかなか手にらないんですものね。注文したのが、今日あたり屆くといいのだけど……」
ディアナが偉そうに先輩風を吹かすのは笑える。リゲルは侍たちに混じり、ミリヤの傍らでその様子を観察しているのだった。頭から足のつま先まで黒いローブで隠し、邪悪な空気を漂わせる。侍や使用人たちは、見るからに魔のリゲルを恐れた。
まだ春には遠いが、杏やよく晴れた日には冬牡丹が咲きれる。手れの行き屆いた庭にテーブルを運ばせ、ディアナたちは優雅にお茶を楽しんだ。
使用人たちはし離れた所から立って見守る。彼らより手前にミリヤとリゲルは立っていたのだが、他の侍たちからジワジワと離れ、屋敷の壁近くまで移した。ミリヤは栗をまとめ上げ、相も変わらず地味な裝いだ。外壁の近くに立つと、同化して見える。
リゲルが嘲笑しているのに気づいたミリヤは、肘で小突いてきた。琥珀の目は鋭い。
「不気味な顔で笑うんじゃない。失禮だろ?」
「うるせぇなぁ。退屈なんじゃよ。ユゼフが帰ってくるまで、こんな生活は耐えられん」
「おとなしく待つんだな? 主の命令でディアナ様をお守りしているんだろ?」
「ふん。ミリヤはマジメちゃんじゃなぁ……で、お茶會のあとは仕立て屋呼んでドレス選びだっけか? 明日が演奏會か?」
「ちがう。明日は妊婦向けだ。遊詩人や聲楽家を呼ぶのはその翌日だ」
「つまらんなぁ。しかし、大丈夫か? ミリアム太后が眼で探しておろうが?」
「心配ではないと言ったら噓になるが、最善の注意は払っている。長い監生活のストレスが溜まっているし、ディアナ様にはできるだけ安らいでいただきたい」
「安らいで……なぁ。あくびが出そうじゃ」
「おい! ここでするなよ? 無禮にもほどがある」
「おまえが遊んでくれるんなら、しない……そうじゃ、ミリヤ! 屋敷の裏手に行かぬか? あそこじゃったら、ひとけがないからいいじゃろ?」
「チッ……ちょっと、待ってろ」
「この、師匠に舌打ちしたよ?」
リゲルの指摘を無視し、ミリヤは他の侍のところへ戻り耳打ちする。即座に目配せしてきたので、リゲルは退屈なお茶會からクルリ、背を向けた。
ツタが絡みつく外壁沿いに歩き、口笛を吹く。今頃、する主は魔國でなにをしているだろう? まだ、骨人間と修行中か? そろそろ、アホのティモールが痺れを切らすだろうか。イアン、サチのコンビと合流したら、おもしろいのに──リゲルはあてがわれた地下の部屋に戻って、水晶玉をのぞきたかった。
軽い足音が追いかけてきて、リゲルは歩く速度を上げた。
「リゲル、教えろよ? ユゼフは魔界まで下りたか?」
「やだね、教えねーよ。教えるわけないじゃろ?」
ミリヤの問いに嘲笑で返す。橫に並んだミリヤは仏頂面だ。男の前だと、かわいらしく頬を膨らませるんだろうが。
「ふふっ……笑っちまうな? ユゼフがいつ臣従禮を解除するか、気が気でないんじゃろ? 目覚めちまうからな、デカブツが」
「そうだ。わかってるんだからな? 臣従禮を解除したらシーマは目覚める。シーマから逃れたいと、ユゼフがディアナ様に匂わせたのは欺瞞だ。シーマが目覚めれば、この平安も終わる……なぁ、リゲル、考え直してくれないか? ユゼフの行は愚かだよ。シーマにはこのまま眠っててもらったほうが、みんなのためになる」
「みんなのため、とは? わしは自分のためにいとる」
「ユゼフがあんたを捨てることはないよ。ユゼフがディアナ様の王配になっても、人関係を続ければいい」
「本気で男を好きになったことがないから、そういうことが言えるんじゃな」
「リゲル」
ミリヤが腕をつかんできたので、リゲルは止まらざる得なくなった。ミリヤは子貓ではなく猛禽の目になる。
「爭えば、死人がでる。あんたの勝手なのせいで」
「勝手な、というのは? それはおまえが勝手に決めた設定じゃろ? わしは好きなように生きる。とやかく言われる筋合いはない」
「けない……けないよ。こんなのが師匠とはね。あんたが言ってるのはさ、男を得るために人の命を犠牲にするってことだよ。殺人者だよ、あんたは」
「殺人者とな? 無垢なヴィナスを殺したのは、どこのどいつじゃ?」
「……殺すつもりはなかった」
「死んだら、同じじゃ」
ミリヤの歩みが止まる。リゲルは構わず進んだ。軽い足音が再開するまで、そんなに時間はかからなかった。ちょうど目的地にも著いた。手れされてない屋敷の裏手は雑草だらけだが、暴れ回れるだけの広さはある。
「そうじゃ! 協力してやってもいいぞ?」
リゲルが笑って振り返ると、ミリヤはブスッとした顔を上げた。
──ガキじゃな。じゃが、利用させてもらうか
「タイマンじゃ! タイマンでわしに勝ったら、協力してやってもいい」
「なめるなよ? 殺すぞ?」
「ひゃはははは! いい目じゃ! 死ぬ気でかかってこい!」
リゲルはローブをいだ。ローブの下はではない。足には鉄のブーツ、とぐら、くらいは革製の下著で覆っている。のロッドを取り出し、スリングを放り投げた。
それを見て、ミリヤもスカートを外した。いつでも戦えるようにだろう。スカートの下は長靴下(ホーズ)※、鉄靴スタイル。ガーターに短剣をいくつも仕込んでいる。
「手加減はしない。真剣勝負だ」
ミリヤは短剣二本を抜刀し構えた。表を変えるだけでガラリ、別人になる。かわいいの正は戦士。子貓が雌豹に変わった。
※シニヨン……まとめ髪
※ホーズ……ズボンの代わりに履く長い靴下。
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