《お嬢さまと犬 契約婚のはじめかた》またそれからのふたり (2)(終)
葉《よう》のバイトが休みの日に、あらかじめ調べておいた指のブランドショップを回ることにした。近くには紫花がきれいな公園もあるというので、できれば寄りたい。
デートの朝には、前日から慮を重ねて選んでおいたライラックのカットソーに白のシフォンスカートを合わせた。髪だけは葉に編み込みをつくってもらって、鳥のかたちのバレッタを留める。以前、葉に贈ってもらったものだ。
「ど、どうでしょう?」
化粧を終えて披すると、「すごくかわいい!」と葉からはいつもの惜しみない賛辭が返った。葉のほうはカットソーに長袖シャツを重ねて、カーキのチノパンを履いただけのシンプルな服裝だ。
バレエシューズに足をれたつぐみが引き戸に手をのせると、せーので一緒にひらいてくれる。ドアが目のまえでひらいて、ひかりがぱっとし込む瞬間がつぐみはすきだ。つぐみが微笑むと、葉は目を細めてわらい返した。
電車を乗り継いで、目的のブランドショップに向かう。
事前にネットで調べ、候補はふたつに絞っていて、シンプルなラインに植のように流線がったものと、なだらかな曲線のラインにの指だけ小粒のダイヤが嵌まったものだ。
でも、実際に手に取って、指に嵌めてみると、思っていたものとちょっとちがう。つぐみのこだわりが強いのだろうか。すてきだけど、もうすこし細のほうがいいとか、ラインのり方がイメージとちがうとか。難しい顔で考え込んでしまったつぐみに、店員さんはいくつか別のデザインも持ってきてくれる。でも、なんだかちがった。
「えーと、もうすこし考えたいので、今日はいったん帰ります」
場の空気を読んだ葉が、つぐみを促してショップを出た。
時計に目を向けると、ショップにって二時間は過ぎていた。ほんとうはこのあと、オープンサンドが人気のテラス付きのカフェでランチをして、紫花がきれいな公園を回るつもりだったのに、早くも予定が押している。つぐみはうなだれた。
「ごめんなさい。決められなくて……」
「でも、イメージとちがったんでしょ。あんまり買い直すものでもないし、気にらないの買うよりいいよ」
話しているうちに雨が降ってきた。今日は天気予報では晴れだったのに。
つぐみは天気予報を信じて傘を置いてきたのだけど、葉はちゃんと折り畳み傘をボディバッグにれていて、ぱっと水の傘をひらいて、つぐみもれてくれる。
「ありがとう……」
「ううん」
考えてみたら、雨が降ってしまったので、予定していたテラス付きカフェも無理そうだった。お店を探し直さないといけない。つぐみは狹くてドアで閉ざされた空間が苦手なので、そういうことも加味して考えないと。この近くに條件に合うお店はあるのだろうか……。焦るにつれ、どんどん気持ちがしょぼくれてくる。せっかくの葉とのデートなのに。
「あ、つぐちゃん。見て見て、あそこ。大きなアヒルがいるよ」
葉に聲をかけられ、つぐみは足元に落としていた視線を上げた。
見れば、川に沿ってつくられた広い公園に巨大な黃いアヒルがたたずんでいる。なに!?とつぐみは絶句したけれど、ちかづくと、子どもたちが中で飛び跳ねて遊んでいる、ドーム型の遊のようだった。
「遊んでく?」とからかうように訊かれて、「さすがにそれはやらない」と首を振る。でもかわいいので、めったに使わないスマホで寫真を撮った。
アヒルのそばには、いくつかのキッチンカーが來ていて、雨よけのパラソルがついた席もあった。
オープンサンドはなかったけれど、大きなハンバーガーが売っていたので、チキンと魚をひとつずつ買って、ポテトもつける。
「これ、口がばってあけないと無理だね」
葉はなんだか楽しそうだ。
つぐみはすぐにちいさなことでいじいじするので、どこにいても楽しいことを見つけてくる葉のおおらかさがすごいと思う。ハンバーガーは分厚くて、つぐみの口だといっぱいにあけてもかぶりつけなかった。そもそも、こんなに大口をあけるのははしたないって教わった。でも、葉といると、そんなことはみんなどうでもよくなる。
「フィッシュバーガーおいしい?」
尋ねた葉に、うん、とうなずく。
「チキンは?」
「おいしいよ。一口どうぞ」
ひょいと差し出されたハンバーガーを見て、これ、ぱくってするのかな、とびっくりした。そんなことをしたことがなくてどきどきしたけど、えいってかじったら、ちゃんと食べられた。
「おいし?」
「うん、うん」
口を手で覆ってもぐもぐしながら、つぐみは首を振る。
つぐみのフィッシュバーガーも葉に一口あげて、ポテトの山を食べ終える頃には、雨はあがっていた。
川沿いの小道は、水滴を宿した新緑がきらきらひかっていて、まぶしいくらいだ。水嵩を増した川が音を立てて流れている。土が混じった雨上がりのにおいを深く吸い込む。
「今日、すてきなデートにしたくていっぱい考えてきたんだけど」
「うん」
「でも、葉くんと一緒ならどこでもすてきだね」
振り返って微笑みかけると、葉は瞬きをして、あああ、とへんな聲を出した。
「今日もつぐみさんが天使みたいにかわいいです!」
「てっ」
天使って。いったいどうしたらそんなに恥ずかしいたとえばかり思いつくんだろう。
「それは言いすぎでしょう」
「そんなことないよー。つぐみさんがかわいすぎて、そのうちショック死するかもしれない。小出しにするか、予告しておいてもらえると」
「そ、そんな死に方ないから」
「ふふっ。俺は君と一緒なら、どこにいてもしあわせです」
うれしそうに葉が手を差し出してきたので、つぐみはそのうえに手をのせる。
いつものように手をつないで、雨上がりの小道をゆっくり歩く。
*…*…*
結婚指は結局、如月にオーダーメイドで頼むことにした。
よく考えたら、如月のデザインに惹かれて、しいと思ったのだから、本人に頼むのがいちばんだ。つぐみからいくつかの要を聞き取った如月は、「任せて!」と力強くうなずいて、さっそくデザイン畫を起こしにかかった。
「あ、つぐみさーん。冷蔵庫からおつゆ持ってきて」
つぐみが居間できぬさやの筋取りをしていると、おなべから手が離せないらしい葉に聲をかけられた。冷蔵庫から出しためんつゆのボトルを持っていくと、「ありがとう」と菜箸をかしながら言われる。
「つぐみさん、今日は居間にずっといるね」
「うん。だって――」
話しているうちに、ぴんぽーん、と外からチャイムが鳴った。
きた、と跳ねるように立ち上がり、縁側から外に出る。
指のデザインを頼んでから、三か月。先日、完した指を発送したと如月から連絡がっていた。サンダルをもどかしげにつっかけながら椿棚の橫を駆け、半分壊れた裏戸をひらく。宅配のおにいさんから包みをけ取ると、つぐみは母屋に戻った。
「葉くん。指、きたよっ」
うれしくて、ちょっと聲が弾んでしまう。
おなべの火を止めた葉が「どれどれ」とこちらに近寄ってきた。
ベルベット地の小箱をひらくと、サイズのちがうふたつの指がおさまっていた。指の側には、羽と葉っぱのデザインがあしらわれている。とてもかわいいし、すてきだった。
指をひかりにかざして、しばらく眺めすかしていると、「つぐみさん、左手だして」と葉が言ってきた。どきどきしつつ差し出した左手の薬指に、指をはめてくれる。
「わあ……」
つぐみはしてしまった。
「指だ」
自分もはめてあげようと、葉に手を出してもらったのだけど、案外うまくいかない。手伝ってもらってはめたあと、どちらともなくわらいあった。
「あのとき葉くん、お願いの宿題、ぜんぜんできなかったの覚えてる?」
「そうだったっけ?」
「二個目と三個目が出てこないまま、結局一週間が経っちゃって、最後は『お醤油とって』と『お砂糖とって』で終えたんだよ」
「だって、お願いなんてなかなか浮かばないよー」
夕飯の準備は終えたらしい。エプロンを取った葉はつぐみを膝のうえに抱き上げて、後ろから軽く抱きしめた。指がはめられた左手を持ち上げて、薬指を指ですりすりする。
「ね、つぐみさん、『宿題』してもいい?」
「うん、なに?」
尋ねると、葉はつぐみの耳にを寄せ、「お願い」を言ってきた。
頬にふわふわと熱が集まり、つぐみは照れ隠しで渋面をする。
「どうしてわざわざ訊くの?」
「えー、だめ?」
「……いいけど」
ぽつっと許可を出すと、葉は相好を崩して、つぐみを抱え直した。
そっとを重ねられる。つぐみが葉のくちづけを拒んだことはないし、そうするとずるずると葉の思うとおりになってしまうことも知っている。
「代わりにつぐみさんのお願いも聞くよ」
たくさんくちづけをしたあと、葉はふにゃりとわらって、そんなことを言った。
ええ、と戸っていると、聞き分けのよい大型犬みたいに「待て」の姿勢を――傾聴の姿勢をとる。浮かんだことがあったけれど、言うのはちょっとためらった。葉のおなかのあたりに目を落とす。
「じゃあ、一個だけ……」
「うん、なに?」
「ちゃ、ちゃんと、すきって言って」
瞬きをした葉に、「だって葉くん、わたしのこと、すきって言ってくれたことないもん」と早口でまくし立てる。あらためて口にすると、なんだかすごく面倒くさいの子みたいだった。早くも前言撤回したくなったけれど、こらえて俯きがちに震えていると、「待って、俺言った、言ったよね?」とあわてたようすで葉が訊いてきた。
「いとしいとは、言ったけど……」
「それ、すきって意味だよね?」
「そうだけど……」
つぐみはことあるごとに「すき」とか「だいすき」とか言っているのに、葉は一度類似した言葉を言ったきりで済ませているのがずるい。確かに葉はところかまわず、つぐみを褒めそやすし、毎日のようにたくさん「かわいい」って言ってくれるけれど、でも「かわいい」と「すき」はちがうのだ。つぐみは葉にすきって言われたい。
「わたしのこと、すき……?」
おずおずと尋ねると、「ひえ」と葉は奇聲をあげた。
「ま、待って、今がんばるから、ちょっと待って」
「すきじゃない?」
「――すき、だいすき、世界でいちばんきみがだいすき!」
すごい勢いですきの三連打が返ってくる。
葉は照れたふうに顔を手で覆った。
「これ、とっても恥ずかしいー」
「君でも恥ずかしいなんてことあるの?」
つぐみからすると、いつもよくあんな恥ずかしいことばかり言えるな、と思っている葉である。
「あるよ。あたりまえだよ」
「……わたしのこと、すき?」
ふふっとわらってもう一度訊くと、「いじわるするのわるいこだー」と葉がつぐみを抱きしめてきた。そのまま、またくちづけてくるのかなと思ったのだけど、葉はつぐみの背中に腕を回したままかない。
「どうかした?」
「つぐみさん、あのね」
「うん?」
「いつか君がいいって思えたら、俺はもうひとり家族がほしいです」
言葉の意味はすぐにわかった。
大きな腕に囲われたまま葉を仰ぐと、すこし不安そうにこちらを見返してくる。
つぐみが指のことを考えているときに、葉はそんなことを考えていたのかときづくと、がぎゅーっとつかまれたみたいになった。あたたかくてしあわせな痛みだ。
今にも死んでしまいそうな気持ちで三千萬円を抱えて、葉に結婚を持ちかけにいったとき、こんな未來を想像しただろうか? していない。この先起こることも想像できない。でも、君と一緒ならきっと大丈夫。
「うん、わたしも」
微笑み返すと、つぐみは葉の首に腕を回す。
おなじ気持ちが伝わるといいなと思った。
その晩、夢を見た。
春のがゆらゆらとす畳のうえで、うたた寢をする葉のとなりでつぐみも眠っている。そしてふたりのあいだでは、ちいさなの子が手足をいっぱいにばして寢息を立てている。そんないつまでも見ていたくなる夢だ。
きっといつか、そんな日がやってくる。
《Extra Tracks》 is END !!
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