《星の海で遊ばせて》一月目の櫂(3)

『ドキドキ學園ミステリー賞』の改稿作業は順調だった。中學生時代、三巻までを出版した、詩乃にとっては呪われた歴史であるそのファンタジーも改稿作業はあったが、要求される改稿の質は、その時のものとは全く違った。今回の編集者の改稿依頼は丁寧かつシンプルで、わかりやすかった。その改稿作業で得た知識や技を駆使して、詩乃は同時進行で、次の部誌に載せる小説の制作にあたっていた。

クリスマスに向けて、五萬文字の中編小説を作っている。クリスマスに合わせて、詩乃にとっては初めてとなる、直球のストーリー。それを、十二月十日までに完させなければならない。印刷に一週間かかり、その後のクリスマスまでの一週間で部誌として配布する。

そのラブストーリーを作るのに必要な知識とリンクするような形で、同じ知識が、詩乃の直面しているもう一つの問題にも必要になってきていた。それはつまり、柚子の誕生日の事である。柚子の誕生日は十二月の三日。あと十日しかない。

詩乃は、今しがた読み終えた雑誌を、資料の山の中に放り投げた。

土曜日――放課後の文蕓部部室。

今日は授業があった。月に二回は、土曜日も授業がある。土曜日の授業は三時間目までで終わり、今は晝過ぎだった。家に帰ると、自由にネットサーフィンができる自由のに負けて、やるべきことがはかどらないので、授業のある土曜日は、詩乃は基本的には家には帰らず、夕方過ぎまで部室にいるのが常だった。そうして、放課後のほとんどの時間を、小説の構想を練って過ごしている。

しかし今は、純粋に小説の構想というよりも、〈〉について考えていた。今月の間に買い込んだ本が、部室の、詩乃のパソコンの周辺を中心にぶちまけられている。向けのファッション雑誌數種類、文字多めの報誌二冊、系の啓発本二冊、小説五、六冊、テクニックやらが書かれたハウトゥー本數冊。ネットの観覧履歴も、そんなもので埋め盡くされている。

詩乃は今、について學んでいるただ中にあった。そのの流れ、表現の仕方、心との関係、男との違い。しかし詩乃は、この研究が不であることがわかっていた。理解するためには、知識をれるしかない。の心とを知って、それを解き明かしていく作業。それをやっていくと、だんだんとわかったような気になってくる。しかし実際には、知識を深めれば深めるほど、本質はどんどん遠く、自分の理解から離れていく。について知ろうとするその試みは、詩乃にとっては、ファンタジーにおける魔法の探求に等しかった。それを分解し、分析すればするほど、どんどん魔法の本質から遠ざかっていく。詩乃はその不さを、研究を始める前から直していた。しかしそうとわかっていてもやっているのは、単にそれしか方法がないからだった。知識も何もなく、ただ漠然と考えていても、それはそれで何がわかるわけでもない。

高校生のの子が誕生日にもらってうれしい

ネックレス、指、時計、バック。予算は、高すぎても気を使わせてしまうから、高校生なら一萬円前後が良いだろう――という報。そこでまず詩乃は躓いた。ネットを見ていて、「いいな」と思ったものは、ことごとく高い。そうして調べていくうちに、一萬円なんかで何が買えるんだ、という憤りを覚え始める。世の男子高校生たちは、一何をプレゼントしているのだろうか。そんな、一萬円という辛い制限の中で。

プレゼントだけではない。どうやら渡す場所、シチュエーションも大事だという。レストランを予約して、食事をして、その後でプレゼントを渡すというが――これにも諸説ある。最初がいいとか、食べた後がいいとか。サプライズがいいから、ちょっとした手品みたいにするとか、目を瞑らせてから渡すとか――そんなことにまで気を使わなければならないのかと、詩乃は考えただけで気が滅ってしまうのだった

しかし、についての知識は、詩乃には大いに役に立った。

の違い、特有の悩み、の変化。

そのあたりを知ってくると、詩乃は自然と、に対する考え方が変わってくるのだった。お腹が痛くなったり、イライラしたり、貧や、が出るのに対して、いつもいつも、準備しないといけない。そんな生活を、は――早い子だと小學生のうちから、ずうっと人生を通して、その変化と付き合っていかなくてはならない。それ自がまず、詩乃はすごいと思った。爪や髪のさえ面倒くさがって手れをしていないような自分のような人間は、男でなければどうなっていたかわからない。

そういったことを知ると、詩乃は、柚子の事がよりいっそう、おしく思えてくるのだった。の難しさを抱えながら、そんなものが無いかのように振る舞って、いつも笑顔を向けてくれる。――そう、だから思わず、頭をでてしまった。

今になって、詩乃はそのことを思い出し、悶絶する思いだった。突然自分は、何をやっているのだろうかと、我ながら正気を疑う詩乃だった。急に、気持ち悪かっただろうか――。

ことあるごとに思い出してしまうその時のことを、詩乃はぶんぶんと首を振って強引に忘れ、ネットでレストランを探した。

十二月三日。の子が喜びそうな場所。

そうしてやっと、詩乃は一軒良さそうなレストランを見つけた。実は、レストランはいくらでも候補はあったが、どれもこれも同じように見えてピンとこなかった。しかしやっと、ちょっとユニークな、個のある店を見つけた。メリーポピンズをテーマにしたレストランである。メリーポピンズは、詩乃にとっては特別な思いれのある作品だった。最初に見た映畫の記憶が、それである。ペンギンの踴るシーンが好きだった。母と一緒に、何度見たかわからない。英國風のインテリア――ここなら新見さんも楽しんでくれるだろう。

三日は、柚子はダンス部がある。詩乃が予定を聞くと、柚子は、デートの方を優先して部活は休むと詩乃に言った。しかし、それは違うと詩乃は柚子を軽く窘め、レストランの予約は、柚子のダンス部の終わる時間をもとに、取ることにした。

それから一週間後の土曜日、詩乃は朝から新宿に繰り出していた。レストランの予約ができても、やることはまだまだ多かった。まずもっとも大事なのは、プレゼント選びだ。まだ何も決まっていない。慣れない新宿の街、詩乃はデパートの立ち並ぶ新宿駅の北東方面に行きたかったが、出口を間違えて、東京都庁の方へさ迷い出た。そのまま放浪して、西武新宿の駅まで歩いてゆき、ゴールデン街をきょろきょろしながら散策し、そうしてやっと、デパートの立ち並ぶ通りにやってきた。

人込みと寒さと歩いてきた疲労にやられて、詩乃はデパートの一つにると、その階段脇にある長椅子に腰を下ろした。店にってくる人たち、出ていく人たちの服裝、ショップ店員の高い聲、バックやら靴やらの報を伝える放送。そういえば靴も、そろそろ替え時だなと思いながら、詩乃は柚子のプレゼントのことを考えた。一時間ほど椅子に座って考え、それからやっと立ち上がり、デパートの各フロアを巡った。デパートも、三つほど渡り歩いた。

そうしてすっかり疲れ果て、疲れ果てた中で詩乃が買ったのは、薄いのルージュだった。イヴ・サンローラン。詩乃には知らないブランドだったが、そのルージュの外裝が綺麗だったので、それを決め手にした。コスメのプレゼントは、に喜ばれるプレゼントの十位以にもっていた。店には他にもいろいろな商品があった。グロスにマスカラ、アイライナーにアイシャドウ、そしてチーク。詩乃には、未知の世界だった。ファンタジーに出てくる魔法道の雑貨にったような気分になる。コンシーラーが何者か、詩乃には最後まで分からなかった。

プレゼントをれたのショップ袋を持って、デパート一階に戻り、椅子に座った。プレゼントは買った。それでだいぶ、詩乃の気は楽になっていた。それでも、本當は自分のよく知らないコスメを贈ることに対しては、強い抵抗をじていた。本當は、ネックレスをプレゼントしたいと、詩乃は思っていた。先ほどふらっと立ち寄った伊勢丹で、詩乃は、高校生のぱっとしない自分の姿がそこには場違いなのをじながら、その裝飾品のフロアを歩いていた。そこで、一目ぼれしたネックレスがあった。金のチェーン、トップは、ダイヤモンドを守る様に重なり合った三つのリングというデザイン。近くで見ていると販売員が聲をかけてくるので、詩乃は遠くから、それをじいっと長い間見つめていた。一萬円、という制限を逸した価格のネックレスだったが、詩乃は今しがた買ったルージュのプレゼントを手にしてなお、頭にあるのはそのネックレスの事だった。

――買ったら、ダメだろうか。

どうしてもネックレスのことが頭から離れない詩乃は、これはもう仕方が無いと、近くの銀行に行き、お金を下ろした。中學學の時に買ってもらった、二つ折りの安財部に下ろした紙幣を差し込む。しかし、らなかったので封筒にれた。三、四カ月分の生活費に相當する金額。

詩乃は一度頭を冷やそうと思った。

封筒を手提げにれて、まずは近くの理髪店を探す。なりを整えることがにとっての表現になる、というのを、詩乃はここ最近學習したばかりだった、自分は、髪なんてどうでもよいが、それでは、彼氏失格だという。どうせデートなら、の子が喜ぶような〈理想の彼氏〉を演出してあげたい。會話の方は無理でも、格好だけならと、詩乃は思っていた。

清潔のあるミディアムショートに髪を切ってもらった詩乃は、再びデパートに向かった。メンズファッションのフロアで、紺を基調とした合いのニットジャケットを買った。

もうすっかり日は暮れて夜になっていた。

頭を冷やすには充分な時間が経った。

しかしまだ、詩乃の頭にはトライリングのネックレスのしさが殘っていた。詩乃はそれを自覚すると、よし、と小さな決心をして、伊勢丹に向かった。明々後日の誕生日にプレゼントすることはできないだろう。でもいつか、プレゼントしても良い時が來たらプレゼントしよう。その時が來なかったら――そのことは、詩乃は考えないようにした。

買いから帰ってきた後、詩乃は玄関にるや、言い様のない疲労にどっと襲われ、玄関口に座り込んでしまった。靴をぐ元気も湧いてこず、目を閉じると、そのまま三十分ほど居眠りをしてしまった。寢心地の悪さにはっと目を覚まし、靴をぐと、を引きずるようにしてリビングに向かった。そうして、洋服のまま布団に寢転ぶと、そのまま真夜中過ぎに寒さに目を覚ますまで眠り込んだ。

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